第277話 交渉はお任せあれ

「お帰りなさい、レックス殿。それで、私の可愛い息子の名を騙る愚か者は特定できたのですか?」


 おじ様方との温泉コミュニケーションを終えた僕を国都で待ち受けていたのは、見た目だけは平静だけど明らかにはらわたが煮え繰り返っていることを隠せていないママンだった。

 その手には、僕から送った事情説明の手紙が握りしめられている。

 玄関で済ます話ではないので、メイドさんにお茶をお願いしてお母さんの部屋に向かう。

 ソファで向かい合って座ると、急かすように視線を送ってきた。


「鋭意、捜索中です。しかし、正体を突き止めるのも時間の問題でしょう。元闇蛇の四人組に加えて、メアリ、クーデル、フィルミーを投入して各地の裏街を隅々まで確認しておりますので」


 驚いたのは、あの一目で調子乗りだとわかるチンピラ、イグジス君が、偽レックスとのつながりを弟以外に漏らしていないらしい。

 その事実から、同じように偽の外套を渡されているチンピラがいたとしても、かなりしっかりした口止めがされているのだろう。

 しかし、専門の四人が偽物に関することだけに絞って情報収集し、前職でレプミア各地を歩いた経験があるというメアクーと、アルテミトス侯爵領軍時代の伝手があるらしいフィルミーを投入したことで、多少時間はかかるかもしれないが、全く何も見つからないなんていうことはないだろう。

 

「そうですか。もしその痴れ者の正体がわかればこの母にも教えてくださいね? 万が一、万が一貴族の手の者だった場合には、貴族同士でお話をする必要があります」


 ママン主導のOHANASHIか。

 まったく丸く収まる気がしないな。


「カナリア公やアルテミトス侯の見立てではそれはないだろう、ということでした。まあ、仮にそうだとしても母上のお手を煩わせるようなことはいたしません」


 貴族が絡んでいる可能性は限りなく低いというのが海千山千のおじ様方の考えなので、おそらくそうなんだろうと思う。

 仮にその低い確率を引き当てたとしても、ヘッセリンク当主として僕が責任を持って事に当たるつもりだ。

 そう決意する僕に、ママンがゆっくりと、それはもうゆっくりと首を振った。


「いいえ。レックス殿はヘッセリンク史上最もそれらしい狂人の一人という、かのお祖父様と並ぶ輝かしい呼び名で知られています」


 いつの間にか、逸話が揃いも揃って「頭のネジ迷子?」と聞きたくなるようなグランパと並んでいたらしい。

 泣くよ?


「しかし、それゆえに直接的な交渉ごとには向いていないことも母は理解しています」


 つまり、腕力を封印して交渉を有利に進めることができますか? と。


「仰りように思うところはありますが、言葉を弄しての交渉ごとはあまり経験がありませんね」


 よく考えたら机を挟んでの交渉ごとなんてほとんどやったことないんじゃないかな。

 アルテミトス領に乗り込んだ時も、エスパール伯絡みの時も、東国とのやりとりの時も。

 僕の交渉場所は、いつも青空の下だった。


「そうでしょう、そうでしょう。しかし、ヘッセリンクの当主はそれでいいのです。外交は国都にいる妻が担うもの。とはいうものの、レックス殿の妻であるエイミーさんはオーレナングにて魔獣を討伐する役目を負ってくれているのですから、そこはこの母にお任せなさい」


 ニヤリと笑うママンが頼もしい。

 この人にしてもエイミーちゃんにしても、好戦的な方に針が振れると、ニコリじゃなくてニヤリと笑うんだよなあ。

 

「あくまでも、僕の名を騙る者が貴族であった場合、または貴族がなんらかの形で関わっていると証明された場合に限っては、母上の力をお借りするやもしれません」


 苦手分野を補おうと言ってくれる母に素直に頭を下げておく。

 

「結構です。ラスブランあたりが裏で糸を引いていたりするのであれば最もやりやすいのですが、残念ながらないでしょう」


 温くなってしまったお茶を啜りながら皮肉げに笑うママン。

 最もやりやすいは、最も喧嘩しやすいという意味だと理解した。

 本当に実家がお嫌いですよね。


「ありませんか。いや、あちらのお祖父様や叔父上を疑っているわけではないのですが」


「腐っても『風見鶏』です。今現在、レプミアではレックス殿に向けて暴風とも思えるような追い風が吹いています」


「いや、そのようなことはないと思いますが」


 追い風が暴風って。

 自分の意思で進めませんよね,それ。


「王太子殿下の覚えめでたく、カナリア、アルテミトスなどの大貴族ともつながりを持ち、東国との小競り合いでも中心的役割を果たした。向かい風が吹いていないことはもちろん、その追い風がそよ風などいう生優しいものでないことも事実でしょう」


 地位と力がある皆さんに可愛がってもらってるのは事実だし、だいぶ助けてもらっているのは事実だ。

 王太子以外にはね。


「それらを踏まえれば、風を読む力に長けたラスブランが、現段階でレックス殿との敵対を選択することなど絶対にあり得ません」


 現段階でっていうのがラスブランを語るうえでのミソだ。

 僕の勢いが落ちたら風見鶏よろしく向きを変える可能性があるよと。

 そのタイミングが絶妙で、決して間違わないし躊躇わないのがラスブラン侯爵家。


「それにしてはあまり好かれてもいないようですが」


「それはあちらの都合ですからレックス殿が気にされることではありません。大方、孫が活躍する姿に嫉妬でもしているのでしょう」


 その結果結婚式にも来てくれないとかどれだけ警戒してるのか。

 やっぱり今度エイミーちゃんとサクリを連れて直接お邪魔するしかないな。


「僕としては、身内なのですからお祖父様や叔父上とも仲良くさせていただきたいのですが」


「無理でしょう。あの家と仲良くしたいと仰るなら、レックス殿を慕うアヤセが当主に立つのを待つのが最も建設的です」


「なんとも気の長い話ですね」

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