第599話 狂人のフィジカル ※主人公視点外
『手を貸せ』
若い頃から世話になっているカナリアの大将から届いた文。
肝心なことは何一つ書いていないが、その飾りのない短文から拒否権がないことを悟った私は、急ぎの仕事だけ片付けてそうでないものを家来衆に丸投げして旅立つ。
家来衆も心得たもので、カナリアの大将相手なら仕方ないと苦笑いで送り出してくれた。
よくできた家来衆に感謝しつつカナリア公爵領に入った私に大将が課した役目は、護国卿レックス・ヘッセリンクの修行相手という難題だ。
「ラッチよ、だいぶ楽しんでおるようじゃのう」
そう言われたのは、ヘッセリンク伯の訓練に付き合い始めて何日か経ったある日の夜だった。
楽しんでいると言われれば、それはそのとおりだ。
意外なことに、ヘッセリンク伯は予想を遥かに超えて動ける。
もちろん魔獣を相手に暴れ回る仕事なのだからある程度鍛えているとは思っていたが、驚いたのは人との戦いに慣れている気配があること。
ジャンやオドルスキ殿相手かとも考えたが、護国卿という冠をかなぐり捨て、地面を転がってでも必死に私の攻撃を避ける姿に違和感を拭えない。
あの動きは、日常的に命の危険に晒されるような攻撃を受けないと身につかないものだ。
本人や大将に尋ねても明確な答えが返ってこなかったところをみると、下手に触れない方がいいのだろう。
「ヘッセリンク伯は、魔法使いに嫌われる魔法使いの素質がありますな」
魔法使いに嫌われる魔法使い。
それは言い換えると、殴り合いに長けた魔法使いとも言えるだろう。
稀に生まれる、魔力が切れても闘争をやめない魔法使い。
ヘッセリンク伯はまさにそれになれる素質が備わっている。
「かっかっか! プラティ・ヘッセリンクやジャン坊と同じ道を往くか」
「聞いた話では、ヘッセリンク伯の奥方もそれだとか」
稀にいる程度のはずなのに、ヘッセリンク伯の周りにはそんな魔法使いの多いこと。
神が差配を誤ったとしか思えない。
「おお、そうらしいのう。儂らのような腕力一辺倒の野蛮な人間から見たら羨ましい限りじゃ」
当代随一の野蛮人が笑いながら杯を干したので、間髪入れずになみなみと注いでおく。
「しかし、やはり驚かされるのはレックス・ヘッセリンクの体力です。あれは底なしなどという言葉では収まらないでしょう。体力の衰えを感じるこの歳ではもちろん、若い頃の私をも上回っているかもしれません」
正直な感想を述べた私に、大将が苦い顔を向ける。
なんだ?
「お主らが来る前に散々しごいてみたんじゃよ。そうしたらどうしたと思う? 小僧二人がぐったりしている横で、あやつだけは小腹が空いたと干し肉を齧りだしおった」
「はっはっはっ! 流石にいかれておりますな!」
大将がしごいたと言うのだから相当走らせたのだろう。
私も若い頃を思い出すと吐きそうになるくらいには走らされた。
それを課されたにも関わらず腹を空かせるだけで済むとは。
笑わざるを得ない。
「生ぬるいと言われとるようで腹が立ったからあやつだけ倍走らせてやったわい」
「本人達にそのつもりはないのでしょうが、息をするように人を煽り散らかすところがあるのがヘッセリンクですから仕方ありますまい」
「炎狂いはそこに煽ってやろう! という明確な意図を混ぜ込んできおったからな。それに比べれば当代は可愛いもんじゃ」
大将がヘッセリンク伯を可愛がっているのはわかるが、その点について比べるには対象が適格性を欠くと言わざるを得ない。
「プラティ・ヘッセリンクと比べれば大抵の生き物が可愛いでしょう」
私の指摘に、大将が意地の悪い笑みを浮かべる。
「ラスブラン侯もか?」
「言わずもがなあの方は大抵の範囲外です。しかし、プラティ・ヘッセリンクとバート・ラスブランの孫? レックス・ヘッセリンクも冗談のような生き物ですね」
ヘッセリンク伯は、十貴院史上最も厄介な二人組と名高い男達の孫だ。
それを考えれば、可愛げのある若者であることは否定しない。
「明日からもヘッセリンク伯のはお主に任せようと思っておるが、荷が重いか?」
「まさかまさか。召喚獣なしの純粋な腕力勝負ならまだまだひよっこです。負けはしません。まあ、私相手に体当たりを仕掛けてきたあの動きはなかなかでしたがね」
まさかあれほど大胆に跳び技を放ってくるとは。
「あれは儂も笑った。思いつきにしては完璧な動きじゃったからな」
絶対に初めてではない動きだったが、まさか魔獣相手に?
いや、ヘッセリンクだから魔獣相手に体当たりをしていてもおかしくない、か?
考えても答えが出ないので話を変える。
「あとは大将が相手をしている顔の綺麗な……、メアリでしたか。あの子もいいですね。もう一人の文官の子も親父どもに可愛がられているようです」
「メアリに関して言えば、可能性の塊じゃな。ほぼ完成品だったところを一度壊して組み直す必要があるから時間はかかるが、面白い素材じゃ」
ほう、大将がそこまで言うとは。
機会をみて一度で手合わせしてみたいものだ。
「眼鏡の小僧はむしろ文官達から引き抜けと声が上がっておるわ。あまりにもうるさいからヘッセリンクのに打診だけしてみたが、非売品だと断られたがのう」
聞けばあの子も王立学院を首席で卒業した逸材だとか。
「ヘッセリンクだというのに若い世代が育ってきていますな」
人を育てる機能などないと思われていたヘッセリンク伯爵家で若手が成長している。
それが周りにどう評価されるか。
またいらぬ騒動につながらなければいいが。
「少し離れたところにはユミカも控えておるぞ?」
「ああ……。あの子の育成方針を間違えないよう、ヘッセリンク伯にはきつく釘を刺しておくべきでしょうな」
息をするように、という意味ではあの子が最も厄介だろう。
その愛らしさと健気さに触れたなら、あの子の味方をしないことなどあり得ないと強く感じてしまう。
かく言う私も某協定には署名済みだが、一歩道を間違えれば、当代ゲルマニス公並の人誑しの完成だ。
「釘は刺したが、芳しくなかったのう。『もう遅い。天使は走り出した』。それがヘッセリンクのからの回答じゃ」
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