第185話 感謝を伝えるのは照れる

「エイミー姉様! 会いたかったです!」


 屋敷の部屋に入った瞬間、エイミーを見つけたユミカが短いストライドで走り出した。

 なんだろう、足の短い猫が一生懸命走ってる感じ。

 つまり可愛い。

 そんな子猫を膝をついて待つエイミーちゃんも既に蕩けそうな笑みを浮かべている。


「ああ、ユミカちゃん! 遠かったでしょう? 疲れていない? 野盗が出たらしいわね。大丈夫よ。姉様がその野盗達を懲らしめてあげるから」


 長い長いハグの後、妊婦さんとは思えないギラついた瞳でそう宣言するエイミーちゃんから、メアリがユミカを引き剥がして抱き上げる。


「そいつらは懲らしめた後だっての。ほら、ユミカ。部屋に荷物置きに行くぞ。姉ちゃんはハメス爺にも一言声かけてやれよな」


 くいっと顎をしゃくった先には、お腹が大きくなったお嬢様を感動の面持ちで見つめるハメスロットが立っていた。

 エイミーちゃんはアデルとクーデルの手を借りながら立ち上がると、年老いた忠臣に微笑みかけた。


「ハメスロット、ご苦労様。オーレナングは変わりない?」


 予想外の事務的な対応に一瞬面食らったような表情を浮かべたハメスロットだったけど、すぐに背筋を伸ばして報告を行う。


「ええ、特にお伝えするようなことは。ああ、フィルミーさんとイリナさんがセアニア男爵領から戻られたくらいでしょうか。フィルミーさんは無事に領民の方々に受け入れられたそうです」


 一番聞きたかったであろうフィルミー達の喜ばしい報告に、満面の笑みを浮かべるエイミーちゃん。

 かーわいいー。

 うちの妻は世界一だな。


「二人の仲が上手くいって本当によかった。爺がフィルミーの叙爵のために骨を折ってくれたと聞いているわ。ありがとう」


「同僚のために力を尽くすのは当然のことです。お嬢様に礼を言われることではありません」


 当たり前のことをしただけだと仏頂面の執事さん。

 お互い塩対応と呼んで差し支えないやりとりを見たクーデルがメアリの服の裾を引っ張る。


「久しぶりに会ったからかしら。信じられないくらいぎこちないわね。ハメスロットさんったら、お腹が大きくなった奥様を見て感動してるのならそう言えばいいじゃない」


「ばっか、クーデルお前。その辺は言わない約束ってやつだろ。長年主従関係やってても、ハメス爺にエイミーの姉ちゃんを甘やかす癖がねえんだから難しいんだよ」


「お前達、そういう会話はもっと小声でこそこそするものだろう」


 空気を読まないクーデルを普通の声量でたしなめるメアリも空気が読めていない。

 そのあたりの機微は、今後僕がしっかりと教えていかないといけないな。

 

「そこの皆さん、聞こえていますよ?。はあ……。お嬢様。このハメスロット。お嬢様が御子を宿した姿を拝見することができ、感無量でございます」


 二人が空気を読まなかったことが奏功したのか、堅苦しい雰囲気を消したハメスロットが微笑みながらそう伝えた。

 武士の情けだ。

 その瞳が濡れていることには触れないでいてあげよう。


「そう。思えば、爺には子供の頃から迷惑をかけっぱなしだったものね。でも、爺が私を見捨てずしっかり育ててくれたおかげで、もうすぐ母親になるのよ? 想像していたよりも何倍も幸せだわ。長い間、ずっと支えてくれた爺には、感謝してもしきれないくらい」


 エイミーちゃんはエイミーちゃんで目を赤くしながらハメスロットを抱きしめ、感謝の言葉を伝えている。

 いい関係だ。

 ニヤニヤを噛み殺しながら見守る僕の方を見ず、ハメスロットが頭を下げる。


「……伯爵様。歳のせいか疲れが出てしまいました。少し休ませていただいても、よろしいでしょうか」


「ふっ。ああ、構わない。ゆっくり休んでくれ」


 そして感動を噛み締めてくれ。

 明日の朝、いつもどおりのハメスロットに戻っていてくれたらそれでいいからね。

 メアリもいつもの皮肉めいたものじゃない、優しい笑みを浮かべてハメスロットを見送っている。


「じゃ、俺達も行くぞ」


「メアリ、私も抱っこ」


 ユミカを抱き上げたまま部屋を出て行こうとするメアリにクーデルが戯れている姿にほっこりしていると、エイミーちゃんが僕に抱きついてきた。

 柔らかな髪の毛を撫でてあげると、僕の胸にぐりぐりと頭を押し付けてくる。


「素直になるというのは、気恥ずかしいものですね、レックス様」


 顔をあげないままそう呟くエイミーちゃん。

 気持ちはわかるけど、お耳は真っ赤だ。


「そうだな。特に、子供の頃から世話になっている相手ならなおさらだ。僕なら、ジャンジャックになるだろうか。なかなかありがとうと言う機会はないな」


 なにやってんだ! とか、嘘だろ正気か!? とか思う事のほうが多いからかもしれないけど、最近はだいぶ助けられてるんだよなあ。


「では、オーレナングに戻られたらぜひ伝えてあげてください。きっとジャンジャックさんも喜びますから」


 頭の中でジャンジャックに普段のお礼を伝えてみた場合のリアクションをシミレーションしてみた。

 うん。


「相手はあのジャンジャックだからな。いつもの飄々とした笑顔で『それはどうも』くらいの反応しか返ってこない気もするな」


 最近涙腺が緩いとは言ってたし、ユミカの家来衆宣言の時なんかはウルウルしてた記憶があるけど、僕に対してもいいリアクションをくれるか怪しいところだ。


「それでもきっと伝わるはずです。オーレナングに戻られたら必ず実行して結果を教えてくださると約束してください」


 そもそもそのシチュエーションが恥ずかしいからできれば避けたいので、心の中では常に感謝しているということで許してもらえないでしょうか。

 

「自分だけ恥ずかしい姿を見られるのは不公平というところか?」


「ふふっ。そうです。夫婦なのですから、ね?」

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