第711話 歴史に残らない話 ※主人公視点外

 ジダ・ヘッセリンクに頭から地面に叩きつけられたにも関わらず、大きなたんこぶができるくらいの被害で済ませたレックスが『今日はこのくらいにしておいてやる!』とかなんとか捨て台詞を吐きながら帰っていきました。

 我が孫ながら、おかしなところで丈夫な男です。


「それだけ派手に流血している父上など久々に見ましたね。いつ以来ですか?」


 レックスの唐突な、しかし美しすぎる頭突きをくらって鼻血を流す父親を見た時は記憶にないくらい笑ったものですが、よく考えれば珍しい光景でした。

 以前ジャンジャックとやり合った時もこんなにはっきりとは血を流さなかったような。

 私の質問に、父も首を捻ります。


「あー、覚えてねえなあ。お前が学院卒業するときに殴り合った時には鼻血くらい流したかもしれねえが」


 ああ。

 卒業してオーレナングに戻る私をわざわざ迎えに来た父上と中庭で殴り合ったあれですか。

 理由は……、なんでしたか。

 まあ、目が合えば喧嘩が始まると言われていた私達親子なので些細なことだったのでしょう。


「それはそれとして。いかがでしたか? 本気を出した当代ヘッセリンク伯爵の歯応えは」


「だいぶいいじゃねえの。お前の言うとおり詰めが甘くて調子に乗るところがあるみてえだが、歳取ればその辺も落ち着くだろうしな」


 レックスの悪癖は時間が解決するというのは私も、そしてあの子の父ジーカスも同じ見解です。

 もし四十にもなって落ち着かなかったら……厳しめに指導しましょう。


「しかし、だいぶ危なかったように見えましたよ? 疲れたでしょう。相手がジジイでも容赦なく体力を削りにきますからねレックスは」


 レックスの戦法は、速攻ではなくとにかく遅攻。

 外では知りませんが少なくとも地下で私達を相手取る時にはその傾向が顕著です。

 慎重な割には詰めの部分で急に軽くなる点が不思議ですが。


「お前の孫だろうが。責任持って敬老精神ってもん叩き込んどけ」


 父が口にしたのは、割と真面目にほぼ聞いたことのない言葉だったので、すぐに反応できませんでした。

 敬老。

 敬老ねえ。


「記憶を辿りましたが、我が家の辞書にそんなもの載っていませんね。載っていたら年がら年中ジジイ同士で罵り合いながら殴り合っていません」


 殴る方も殴られる方もジジイのこの空間。

 お互い敬い合っていてはお茶を飲むことくらいしかやることがなくなりそうです。

 私の言葉に、父が嫌そうに思い切り顔を顰めました。


「ほんとにほとんどジジイしかいねえからなあ。せめてあいつやエリーナがいたら空気が良くなるんだろうがよお」


 あいつ、とは母グリエのこと。

 人前で名前を呼ぶのが恥ずかしいとかなんとか言って、二人きりの時以外はこう呼ぶのが毒蜘蛛です。

 ジジイが照れたって、何も可愛くないのですが、言いたいことはわかります。


「ここにエリーナがいたなら、顔見知りのジジイ共と殴り合う時間なんかなくなりますよ」


 あの子を見ているだけであっという間に時間が過ぎることでしょう。

 邪魔する輩はそれが父だろうが息子だろうが埋めます。

 実現する目があるなら今以上に悪魔に魂を売るのですが、まあ叶わぬ夢というやつです。


「そうだ。レックスもだいぶ健闘したのだから母上との惚気を聞かせてあげればよかったのでは? お二人の冒険譚と恋模様を聞けば、さぞ盛り上がることでしょう」


 母の話が出たのでそう水を向けると、毒蜘蛛が肩をすくめながら小さくため息をつきました。


「ひいじいさんの惚気聞いて楽しむような曽孫、行く末が心配すぎるってもんだ。それに、エリーナのために南を沈めに行ったお前に比べたら俺とあいつの関係は落ち着いたもんだろうがよ」


 別に私はジャルティク全体をどうこうしようとしたつもりはありません。

 エリーナ追放に少しでも噛んでいた貴族を無作為に燃やして殴ってひん剥いて転がしていたらあら不思議。

 その数があまりに多くて、気づいた時には南の国が勝手に沈みかけていた。

 それだけです。

 それに比べて両親のそれはまあひどい。


「どの口が言っているのでしょうね。母上と手を組んで教会権威を衰退させたのはどこの誰ですか?」


 私がそう指摘すると、皮肉げに唇を歪める父。

 

「おいおい。まだそんな噂信じてやがるのか? 国の歴史書のどこを読んだって、そんな記述はねえだろうよ。与太話だよ、よ、た、ば、な、し」


 私も本人達から直接顛末を聞いたことはありませんが、その筋の人間からは、『神殺しの夫婦』と呼ばれていたのもまた事実です。

 生前、母にそう呼ばれていることを伝えると、笑いながらこう言いました。


『本当に神様を殺せたならそうしたのだけど、ジダ様と私でも流石に難しかったから、代わりにそれに群がる有象無象を、ね?』


 ああ、両親揃ってよろしくないなと幼いながらに確信したものです。


「歴史書に載っている事柄しか起きていないような国は、さぞかし平和でさぞかし薄っぺらいのでしょうね。父上の教会権力一掃、私のジャルティク遠征はもちろん、レックスの暴れっぷりも当然表の歴史書には残りません」


「そうかよ。ま、なんにせよ小僧に惚気話を聞かせるのはお預けってことで」


 そう言いうと、手をひらひらさせながら部屋を出ていく父。

 仕方ありませんね。

 レックスには、父の代わりに私が聞かせてあげましょうか。

 教会の長に祭り上げられそうになって王城から逃げ出した母上の前に颯爽と現れ、何も言わずに抱き上げて逃がしてくれた正義の味方の話をね。


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