第324話 天使と学者 ※主人公視点外

 屋敷裏の地下施設とそこで起きた出来事については、伯爵様から家来衆に包み隠さず説明が行われました。


『屋敷の裏で見つかった地下空間には歴代のヘッセリンク伯爵が住まい、森の魔獣が増えすぎないよう死してなお力を尽くしてくださっていた』


 この説明にブルヘージュから来ているメラニアさんが理解できないと首を振っている以外、大した反応もなく概ね受け入れ済みなのは流石ヘッセリンク伯爵家ですね。

 その聖騎士様も、オドルスキさんからの『オーレナングでは常識を捨てろ』という身も蓋もない助言により一応は納得したようです。

 ちなみに、同じくブルヘージュ人のステムさんは相変わらずサクリお嬢様以外に興味がないようで、この件に関しても特段の反応はありませんでした。

 

 地下施設を目的に、大奥様に続いてオーレナングを訪れたのはレプミアの誇る大貴族、カナリア公爵様とラスブラン侯爵様。

 普通なら対応にてんやわんやなのでしょうが、ヘッセリンクの先輩方は落ち着いたものです。

 伯爵様からの指示もあって、皆さんなんら普段と変わらない生活を送っています。

 自分も皆さんに倣い、予定どおりユミカちゃんに歴史の授業を行うべく教室代わりの空き部屋で準備をしていると、そこに可愛らしい足音を響かせながら天使が駆け込んできました。


「エリクス兄様! お兄様のお父様とお祖父様にはいつ会えるの? ユミカもちゃんとご挨拶したい!」


 ユミカちゃんは、急にやってきた大貴族ではなく、先代様や先々代様の存在に興味があるようです。

 先代様はともかく、あの『炎狂い』プラティ・ヘッセリンク様がユミカちゃんを見てどんな反応をされるか、少し楽しみなのは自分だけではないでしょう。

 

「そうだね。でも、もう少し時間がかかるかな? 今はお客様がいらっしゃってるからね」


「ロニーお爺様ね! お土産のお礼を言わなきゃ」


 カナリア公爵様は、相当な強行軍だと思われる今回のオーレナング訪問にも、しっかりユミカちゃんへの贈り物を用意していらっしゃいました。

 流石は女性の扱いにかけてはレプミア随一の伊達男です。

 呆れる伯爵様に対して、


『この気遣いこそが最後の一押しにつながるんじゃよ』


 と笑っていましたが、何を言っているんだと思う一方で、なるほど勉強になるなと思ったのは秘密です。


「そうだね。きっと公爵様も喜ばれると思うよ。ところで、今日の午後は誰の授業だったかな?」


 ユミカちゃんの強い希望により、先日から本格的なヘッセリンク的英才教育が始まっています。

 自分に課せられたのは、ユミカちゃんの知的好奇心を育てるというなかなかに重大な任務。

 重圧もありますがそれ以上にやり甲斐を感じているのも事実で、授業の前日は準備に力が入りすぎ、ついつい睡眠時間を削ってしまいがちです。


「えっとね。エリクス兄様とお勉強した後は、お昼から晩御飯までお爺様に土魔法を習うの!」


 午前中は自分が担当する座学。

 午後は、ジャンジャック様が担当する実技、ですか。

 

「……そうかあ。うん、頑張っておいで。いいかい? 絶対に無理をしちゃいけない。疲れたり、どこか痛かったりしたらすぐにジャンジャック様に言うんだ。もしジャンジャック様が怖かったりしたらすぐに近くの大人に声をかけること。いいね? エリクス兄様との約束だよ?」


「? 大丈夫だよ、エリクス兄様。お爺様は優しいし、怖くなんかないよ!」


 キョトンとする天使の顔に癒されます。

 いえ、ジャンジャック様ですらこの小さな天使に甘いのはわかっているのです。

 しかし、どうしてもフィルミーさんやメアリさんを厳しくしごいている印象が強過ぎて心配を拭いきれません。

 

「……うん。ならいいんだ。でも、絶対に無理をしてはいけないよ? ユミカちゃんが怪我をしたりしたらみんな悲しい思いをするからね」

 

「うん! あ、でもね? 早く強くなってお義父様達と一緒に森に魔獣さんの討伐に行きたいの。だって、ユミカはお兄様の、ヘッセリンク伯爵様の家来衆だから」


 エメラルドグリーンの瞳が真っ直ぐに自分を射抜きました。

 自分は、ヘッセリンク伯爵家の家来衆としての自覚と誇りを持っています。

 しかし、この十歳になったばかりの少女の背負う覚悟に比べたら、自分のそれはまだ充分だとは言えないのだと思い知らされるのです。


「ユミカはヘッセリンク伯爵家の兄様や姉様達にたくさん幸せをもらってるから。早く大きくなって、恩返ししたいんだあ。だから一生懸命頑張るの。泣いたりしないよ?」


 その言葉を受けて、気づいたら膝から崩れ落ちていました。

 

「神よ……! こんなに優しい天使が不幸になることがあるならば、自分はアナタを許さない……!!」


 おかしいな。

 無理はしちゃだめだよ? と優しく頭を撫でてあげればいいだけなのに。

 なぜか神への脅迫が口から溢れてしまっていました。


「エリクス兄様? お顔が怖いよ? あ! ご飯食べてないんでしょう? だめだよ。またお兄様に叱られちゃうよ!」


「いやいや。少し神様に苦情を申し立てていただけだから心配ないし、朝ごはんならしっかりいただいたよ。大丈夫」


 食べることと眠ること。

 これを怠るようなら護呪符の材料である魔獣の素材の供給を絞ると言われているので、三食食べたうえで最低限睡眠をとるようにしています。

 

「そうなの? んー。そうだエリクス兄様、指切り!」


「指切り?」


 聞いたことのない言葉です。

 なんだか怖い響きですね。


「そう。お兄様が教えてくれたの。なにかを約束するときにね? こうやって」


 ユミカちゃんが小指を立て、自分の小指と絡め、小鳥が囀るような可愛らしい声で歌い始めました。

 

「ゆーびきーりげーんまん♪ うーそつーいたーら」


 なるほど理解しました。

 約束を守らせるためのおまじないみたいなものですね。

 あまりその分野には明るくないのですが、もしかしたらヘッセリンクに伝わるわらべ歌だったりするのかもしれません。

 

「もーりのおくーでしーばく♪」


「ちょっと待ってユミカちゃん」


 天使の口から溢れてはいけない言葉が聞こえて思わず遮ってしまいます。


「どうしたの? エリクス兄様。ユミカと約束するの、嫌?」


 悲しい顔を浮かべるユミカちゃん。

 違うんだ。

 君は一切悪くない。

 

「そうじゃない。そうじゃないんだ。あー。伯爵様から教えてもらったおまじない、なんだね?」


「うん!」


 よし、悪いのはあの狂人様で決まりです。

 天使に何を教えているのか。

 知識面の教育を任された身としては厳重に抗議しなければ。


「わかった。まあ、よく考えたらユミカちゃんとの約束を破るなんて考えられないからこのおまじないに乗ること自体はやぶさかではないんだ」


 約束の内容はご飯を食べてちゃんと眠ること。

 それを守れば天使に森の奥でしばかれることはない。


「?? じゃあ、指切りしてくれる?」


「うん、もちろん大丈夫だよ。自分はどんなことがあってもユミカちゃんの味方だからね」


 正確には、ユミカちゃんと、将来彼女の夫になる男性の味方です。

 未来で確実に起きるであろうユミカちゃんの結婚問題。

 メアリさんやフィルミーさんあたりの我が家の常識担当の先輩方も巻き込んで、その時どうやって伯爵様とオドルスキさんを抑えるか対策を考えておかなければいけませんね。

 

「嬉しい! じゃあ、お礼にユミカがエリクス兄様の眼鏡を毎日拭いてあげるね! はい、もーりのーおくーでしーばく♪ ゆーびきった!」


 

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