第794話 新加入選手のお知らせ

 この日、我がヘッセリンク伯爵家に新たな家来衆が加わった。

 本当ならもっと早く加入している予定だったのに、北との戦の影響で呼び寄せる時期が遅れていた若きニューカマー。

 迎えのために国都に送ったフィルミーとガブリエに護衛されてやってきた青年、というよりまだ少年といった風情の彼は、僕の前に進み出ると洗練された動きで膝をついた。


「ご無沙汰をしております、伯爵様。これから、ヘッセリンク伯爵家発展のため全力を尽くす所存にございます。どうかご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」


「こちらこそよろしく。オライー殿」


 オライー・ゲルマニス君の新規加入をお知らせいたします。

 立つように促しながら右手を差し出すと、躊躇うことなく両手で強く握ってくるオライー君。

 

「伯爵様。ぜひオライーとお呼びください。僕……私は今日この瞬間から、ラウル・ゲルマニスの弟ではなく、ヘッセリンク伯爵家家来衆オライーでございますので」


 背伸びしちゃってまあ。

 ただ、家来衆を殿呼びするのが変なのも確かなので、遠慮なく呼び捨てにさせてもらう。


「では、オライー。さしあたっては、表情が硬いな。もっと力を抜かなければ、あっという間に疲弊してしまうぞ?」


 リラックスリラックス。

 我が家は風通しの良さが売りだからさ。

 そんな僕の言葉に、オライーが両手を握ったまま首を振る。

 

「……緊張するなと仰る方が無茶です。ついに、この日がやって来たのですから」


 ゴクリと唾を飲み込む音が部屋に響いた。

 やむなし。

 あまり頻繁に使いたくはないが、若者の緊張をほぐすためだ。

 ヘッセリンクジョークを解禁しよう。


「はっはっは! まるで断頭台にでも上るような様子だが、心配するな。よほどのことがない限り死んだりはしない」


 はい、オライー君から笑い声がどっかーん!


「いえ、そこは心配しておりません」


 とはいきませんでした。


【ドンマイドンマイ! 巻き返せるよ!】


 ミスした扱いやめて?

 しかし、命の心配で緊張してるんじゃないのか。

 僕のジョークにマジレスを返してきたオライーに、小首を傾げつつ尋ねてみる。


「オーレナングで命の危険を感じる以外、緊張することなどあるか?」


 繰り返しになるけど、先輩は優しいし、ご飯は美味しいし、休みも取れるし、給料も悪くない。

 はて。

 そんな僕の様子に、オライーが遠慮がちに口を開く。


「単純に、あの強度の仕事をこなす毎日が始まるのだなという緊張でございます」


 なるほど、仕事内容に対する緊張か。

 それは盲点だった。

 彼には、文官としての実技試験で普段の仕事を体験してもらったからね。

 オライーのお姉さんからは、これは試験じゃなくて研修だと苦言を呈されたのが懐かしい。


「僕の領地は、武官だけでなく文官にとっても等しく地獄の一丁目だったようだ。いいかオライー。慣れるまでは、絶対に無理をするなよ?」


 僕が真剣な顔でそう言い含めると、オライーも同様に真剣な表情のまま頷いた。


「お気遣い感謝いたします。ですが、私も試験以降、あの強度に耐えられるようにと兄ラウルに頭を下げて教えを請うてまいりました。ただで振り落とされるつもりは、ございません」


 ヘッセリンク対策の特別講師がゲルマニス公?

 薄々分かってたけど、レプミア貴族のトップに君臨する『誑惑公』も、この末の弟には甘いらしい。

 

「ちなみに、ゲルマニス公には何を学んできた?」


 興味本意でそう尋ねると、オライーが若者にあるまじき苦い顔を見せ、何度か躊躇うように口をぱくぱくさせたあとで意を決したように言う。

 

「主に、対人の交渉術を」


 その表情と躊躇い方に何を教えられたのかと内心ビクビクしていたのに、案外普通……いや、待て。

 交渉術に、なんでわざわざ対人を付けた?


「まるで、対人でない交渉があるような言い方だが」


 念のためにそう畳み掛けてみると、一層顔を歪めたあと、観念したようにこう言った。


「兄からは、私に叩き込む交渉術はあくまでも世間一般を想定したものであり、その尽くがヘッセリンク伯の前では意味をなさないだろうからくれぐれも注意しろ、と」


 悲報。

 レックス・ヘッセリンク、トップ貴族に人外扱いされている。

 いやいや、ゲルマニス公に交渉なんて仕掛けられてごらんなさいよ。

 赤子の手をひねるより簡単に条件呑んじゃいますけど?


【それはそれでどうなのでしょうか】


「兄が大変失礼を。ただ、生きているだけで他人を誑し込むと言われる兄のような人並外れた能力は私にはありませんし、使えるのも付け焼き刃の交渉術です」


 オライーが無念そうに首を振る。

 

「構わない。というか、つい先日まで少し頑固なところのある真面目な青年だったものが、ゲルマニス公よろしく息をするように人を誑し込む術を身に付けてきたならそれは別人だろう。再度面接をやり直すところだ」


 そうだろう? とハメスロットに目配せすると、筆頭文官殿もうんうんと頷きを返してくれた。

 それを見て、ほっとため息をつくオライー。

 どうやら、採用試験から配属まで時間がかかりすぎたことで、我が家に対するハードルが上がっていたらしい。

 安心してくれ。

 我が家にブラックな面などなく、どこを切り取ってもホワイトな職場なのだから。


「では、オライー・ゲルマニスを我がヘッセリンク伯爵家の家来衆として正式に認めることとする。期待しているぞ、オライー」


「はっ! 命を懸け、この身果てるまでヘッセリンク伯爵家のため働かせていただきます!」


 

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