第780話 ヤングアルテミトス ※主人公視点外

 今晩、愚息はヘッセリンク伯の屋敷で宴に参加するらしい。

 少し前には廃嫡もやむなしと思われていた愚息がここまで盛り返し、領内でも徐々にではあるが評価を高めていると聞けば、自然と頬も緩もうというものだ。

 しかし、同世代にレックス・ヘッセリンクがいるということは、愚息にとっての幸福であると同時に、不幸でもある。

 なんといっても狂人ヘッセリンクだ。

 私のなかでヘッセリンクと言えば、先々代。

 炎狂い、プラティ・ヘッセリンクが真っ先に思い浮かぶ。

 もちろん当代も華々しい活躍を見せているし、時たま信じられない行動をとって後見人を自認する私の胃を痛ませてくれるが、それでも彼の祖父と比べたら可愛いもの。

 あの男は、出会いから酷かった。

 私が学院を卒業して国軍に入軍したばかりの頃。

 確かに私は生意気盛りであり、諸先輩方に対してそれはもう無礼な態度をとっていたことは認めよう。

 腫れ物のような扱いをされていることを感じながらも、態度を改めず過ごしているなか、あの日がやってきた。


「全員注目! 本日は、我々レプミアの武人の頂点に立つお方、護国卿プラティ・ヘッセリンク様に足を運んでいただいている! レプミア国軍の兵として、恥ずかしくない姿をお見せするように!!」


 護国卿として紹介されたのは、長身痩躯とニヤニヤした笑顔が特徴の男。

 今思えば、本当に当代とそっくりだった。

 護国卿という割には叩けば折れそうだな。

 そう思った瞬間。

 私に向かって真っ赤な何かが飛んできた。

 すんでのところで転がって躱したはいいが、炎狂いの周りには複数の炎の塊が浮かんでおり、その目ははっきりと地面に伏せる私を捉えていた。


「ヘッセリンク伯!? 一体何を!!」


 指揮官が慌てたように炎狂いに詰め寄るが、当の本人はどこ吹く風とばかりにニヤニヤ笑いをやめない。


「言っていませんでしたね。私は別に国軍の皆さんを鍛えるためにやってきたわけではないのですよ」


「は? いや、例えそうでないにして、あれは新兵! しかも、アルテミトス侯爵家の嫡男です!」


 そこまで聞いた炎狂いは、一層笑みを深めると、なおも言い募ろうとする指揮官の額を指で弾いて黙らせる。

 国軍の指揮官が指で弾かれただけで痛みに耐えかねてうずくまったのだ。

 あの時点で炎狂いの異常さに気づけなかったのは若さゆえだったのだろう。

 

「なるほど、一目見て生意気盛りなのがわかりました。個人的に跳ねっ返りの世間知らずな若者は評価してあげたいのですが」


 私から目を離さずそう言うと、懐から一枚の紙を取り出して指揮官に放る。

 それを見た指揮官の顔色の変化といったら、青い顔とはよくいうが、それを余裕で通り越して真っ白といっても過言ではなかった。


「わかりましたね? 邪魔をすれば、陛下の御心に反することになる。静観する事をお勧めします」


 陛下。

 そう口にした炎狂いに場がざわつくなか、男がゆっくりと私に近づいてくる。


「貴方。名前は?」


「……ロベルト。ロベルト・アルテミトス」


 相手が護国卿だろうが関係ない。

 そんな青い勘違いに支えられ、睨みつけながら名乗る私に炎狂いが言った。


「殺意のこもった視線、百点。生意気な口調、百点。合計、零点。残念、落第です」


 計算がおかしいだろう!

 そう反論する間もなく私を襲った蹴りを不細工に転がり続けて避ける。

 そんな私を見て、なおもヘラヘラと笑いながら、流石に若いだけはありますねなどと手を叩く炎狂い。

 この時点で殺意は百点どころか百二十点だったはずだが、距離をとった私に次々と炎が飛んできた。


「くそっ! なんだって言うんだ!!」


「なんだと言われると、陛下からのご依頼なんですよ。アルテミトス侯の息子が国軍に入ったが、生意気すぎて将来が心配だという声が方々から上がっているのでちょっと行って指導してこい、とね」


「これが指導だと!?」


 これが指導だというなら国軍の訓練は準備運動かなにかか!? と叫ぶ私に炎狂いはあっさりと頷いた。


「そうですね。さあ、頑張って避け続けなさい。でないと、死んでしまいますよ?」


 殺気などないのに本当に私を殺してもああ、残念で済ませてしまいそうな狂気。

 背筋に嫌な汗をかきながらも、若い私は臆病風に吹かれるのをよしとしなかった。

 炎の嵐が止んだ瞬間、剣を抜いて前に出る。

 炎狂いは近接の戦闘にも明るいと聞いていたが、それでも魔法使いには違いない。


「舐めるな! 俺はロベルト・アルテミトグフっ!?」


 甘い夢を見ながら振り上げた剣は、振り下ろすことすらできなかった。

 その前に、護国卿の拳が高速で私の頬を撃ち抜いたから。

 後にも先にも人に殴られて宙を舞ったのはあの時だけだ。

 剣を取り落とし、再び地面を舐めた私を見下ろしながら、炎狂いが呆れたように言う。


「学院でもだいぶやんちゃしていたようですね? 学院の先輩は、こんなふうに指導してはくれませんでしたか?」


 そう言われて、苦手だった先輩の顔が頭に浮かんだ。

 ことあるごとに呼び出され、下手な言い訳をしては高速の往復ビンタを叩き込まれた一つ上の先輩。

 当代カニルーニャ伯、アイル先輩の前に出ると、今でも若干背筋が伸びるのは秘密だ。

 この時も、無表情でビンタを繰り出してくるアイル先輩を思い出して苦さが顔に出たのだろう。

 

「その顔は、指導されていたようですね。それでこの仕上がりなら、少し強めに殴らなければいけませんか」


 ぎゅっと拳を握り込む炎狂い。

 理由はわからないが、これを受けたらまずいと本能が警鐘を鳴らした。


「指導が殴る前提なのはおかしいだろう!!」


「レプミアの西側ではこれが最も標準的な指導方法です」


「我が国の西側は魔境か!?」


 西側の貴族に謝れと声を大にして言いたいが、この時の私にそんな余裕はなく、ばたばたと立ち上がると、同僚に視線を向けた。

 

「誰か、剣を貸し」


 てくれ。

 そう言い終わる前に、音もなくプラティ・ヘッセリンクが私の間合いに侵入してくる。

 

「馬鹿ですねえ。戦場でも味方に剣を借りるつもりですか? その身体が飾りじゃないなら拳できなさい。ああ、まさか魔法使いに格闘で負けるのが怖い、とか?」


 煽られるな。

 そう警告する本能よりも感情が先走る。

 まあ、若かったということだろう。


「舐めるな狂人が!!」


「なぜ私は狂人などと呼ばれているでしょうか? そう、魔法使いなのに、殴り合いがとても上手だからです。こんな風にね?」


 この瞬間を、今でも夢に見る。

 一、二、三ときておまけに四、五。

 計五発の拳を叩き込まれた私は、六発目が入る前に崩れ落ち、意識が薄れゆく中、炎狂いの声だけがやけにはっきりと聞こえてきた。


「貴方は当面私が付きっきりで指導してあげます。もちろんお父上の同意をとってありますので、安心しなさい。よろしく。ロベルト君」



……

………

《読者様へのお知らせ》

本作第三巻の書影が公開されましたので、よろしければご覧ください。

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サイトに飛べない場合は、近況ノートにもURLを掲示しておりますので、そちらならどうぞ( ͡° ͜ʖ ͡°)

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