第265話 未来のお話2 ※主人公視点外

「私は森に入りたいなんて一度も言ってないんですが……」


 兄貴に良く似た顔立ちの若い男が、意気揚々と森を進むお嬢の背を追いながらため息混じりに呟く。

 そんな男を振り返るお嬢は満面の笑みだ。

 楽しくて仕方ないって顔だな。

 こっちは表情次第で兄貴にもエイミーの姉ちゃんにも似て見えるから親子ってな不思議なもんだと思う。


「まあまあ。固いことを言わずにさ。マルディは次期護国卿なんだから今のうちに森に慣れておかなきゃ」


 マルディ・ヘッセリンク。

 お嬢ことサクリ・ヘッセリンクの二つ下の弟で、この国の慣例を守るなら次期ヘッセリンク伯爵で次期護国卿。

 そして、次期狂人候補筆頭ってやつだ。

 

「先代ロソネラ公爵様の例もあるんですし、女性当主が禁じられてる訳ではありません。ならば姉上が護国卿でも問題ないでしょう? 私は国都で他家との外交を頑張ります」


 お嬢は赤ん坊の頃に次元竜を召喚したことでオーレナングで育てられたが、弟は基本的に国都の屋敷でお袋さんが面倒を見てきた。

 男はオーレナング、女は国都って慣例を完全に逆転させたわけだ。

 幸運なことにこの姉弟にはそれが上手くハマった。

 森で鍛えられることで兄貴譲りの魔力の運用を身につけ、今や立派なヘッセリンクの戦力となった姉と、基本的には穏やかなタチで頭も良く、お袋さんから国内での外交術を叩き込まれた弟。

 

「ねえマルディ。僕、慣例破りって良くないと思う」


 弟が乗り気じゃないことが気に入らないのか、口を尖らせてそんなことを言うお嬢。

 一方の弟は、その発言を半笑いで受け流す。


「父上と一緒に慣例を破っては捨て、破っては捨てしてる姉上にそれをいう資格はありません。とりあえず破って捨ててきた慣例達に謝ってください」


 鮮やかな手際で弟の一本勝ち。

 それも秒殺だ。

 

「くっくっ。まあ、正論だわな。お嬢がマル坊に口で勝つのは無理だって」


 可笑しくてつい笑っちまったが、お嬢はマルディ……、俺はマル坊って呼んでるが、弟の反論に腕をぶん回しながら姉の威厳を保とうと必死だ。


「むう! メアリだってヘッセリンクが慣例を守るなんてちゃんちゃらおかしいって言ってるじゃない!」


 そりゃそうだ。

 ヘッセリンクと慣例ほど相性が悪くて噛み合わねえもんがあってたまるか。

 が、それはこっち側だから言えること。


「ヘッセリンクの常識、世間の非常識。エリクスに習わなかったかい?」


 お嬢の家庭教師は一貫してエリクスが務めてるが、マル坊については国都にいたからそうもいかねえ。

 だが、エリクスは次代のヘッセリンクの教養面は自分が支えるんだとかなんとか、手作りの本を拵えて国都に定期的に送りつけてやがった。

 我が親友ながら尊敬するわ。


「エリクス先生お手製の教科書、一冊目の表紙をめくった一枚目のさらに一行目に書いてありましたね。子供ながらに『あ、これはいけない』と思ったのを覚えてます」


 本のド頭にそれを載っけるエリクスもどうかしてるが、それを見て何かに気付くマル坊もどうかしてる。

 弟の追及に姉のほうは視線を泳がせてるのがまたなんとも言えないが。


「その顔は覚えていませんね? まあ、姉上はそれでいいと思いますよ。久々に顔を合わせた姉上が理性的になってたら、魔獣が化けたかと思って槍で突いてしまいそうです」


 マル坊が、担いでいる槍をブンッという重い音を立てながら振り回して見せると、お嬢は再び不満顔だ。

 

「ひどい! 小さい頃はあんなに姉上姉上って慕ってくれてたのに!」


 マル坊は生まれてすぐ国都に行っちまったが、それでもたまに会うこのちびっこい姉ちゃんのことが大好きだった。

 よく二人で追っかけっこしたりしてるのを、家来衆一同ほっこり見守ったもんだ。

 姉の主張に、弟は優しい笑みを浮かべて応える。


「今も慕っていますよ? 姉上のことをこの世で一番慕っているのは私だと自負しています」


 ああ、これ嘘ついてるわ。

 あの優しい笑顔が、悪いこと考えてる時の兄貴そのものだからわかりやすくていけねえや。

 素直さがウリのお嬢も流石に騙されなかった。

 

「……お婆様が、マルディはひいお爺様にそっくりだって言ってたわ」

 

 お嬢達のひい爺さんは、『炎狂い』っつう直接的な二つ名がつけられたやべえ奴だ。

 兄貴も『炎狂い』にそっくりだからその兄貴に似てるマルディがひい爺さんに似ててもおかしくはねえが、お袋さんが言ったのは見た目だけのことじゃねえだろう。


「先日見知らぬ老貴族の方にも言われました。笑顔が『炎狂い』にそっくりで足の震えが止まらないと。私自身はまだ何もしていないのですが」


 見ず知らずの貴族ビビらせてるなんて、立派にヘッセリンクしてるじゃねえの。

 

「まあ、マル坊もしっかり兄貴の息子だってこった。ヘッセリンクでいるうちはそんなことばっかだってお前の親父も愚痴ってるぜ?」


「それで言うと、ヘッセリンクでいることをやめることなどできませんからね。で? 話を戻しますがなぜ私は森に強制連行されてきたのでしょうか」


 マル坊は今王立学院の学生で、長期休暇を利用して帰省してきている。

 いや、正確にはお嬢に帰省を強制された、だな。

 

「お父様がね? マルディとちゃんと交流しておけって。ただでさえ国都に住んでて会えないし、学院に行ってからは長期休暇で一日会えるか会えないかじゃない。だから」


「だから、ではなく。それならば姉上が国都に来ればいいではないですか、そうすれば私がこちらにくる時間も交流に充てられましたよ?」


「……さ! 四の五の言わずに行くわよ! メアリ、護衛をよろしくね!」


 正論をまっすぐに投げ込んでくる弟に対して、それを打ち返すこともなく誤魔化してこっちに丸投げすることを選択したお嬢。

 姉の威厳はどこ行ったんだと問い詰めるのは酷だからやめとくか。


「あいよ。今日はユミカもいねえからな。あいつの方も、せっかく兄貴やオド兄が折れたんだ。上手く進めばいいが」


 恙なく収まるとこに収まってくれればいいんだがね。


「家来衆の幸せがお父様の幸せだもの。大丈夫よ。クーデルも付いてるし。さ、行きましょう。久しぶりの姉弟での魔獣狩り。楽しみだなあ」


 朗らかに笑って森を進んでいくお嬢と、諦めの境地でその後をついて行くマル坊。

 この日の狩場と決めた中層には、群れをなす魔獣やお馴染みマッドマッドベアなんかが相当数棲息しちゃいるが、脅威度Cくらいじゃあお嬢は止められない。


「ピーちゃん! 突貫! 蹴散らしなさい!」


 成竜の風格も漂い始めた次元竜が空にできた黒い割れ目から飛び出し、その分厚い翼で魔獣達を無差別に跳ね飛ばしていく。

 

「相変わらずの戦術ピーちゃん。これ、私がいる意味あるかな、メアリ兄さん」


「あ? なんだかんだでお嬢がお前を構いたいだけだからな。つまりマル坊は今ここにいるだけで役目は果たされてるわけだ」


「国都でやりたいこともたくさんあったんですがね……。っと、姉上! 後ろ!」


 ピーが薙ぎ倒した木々の奥から、通常よりも身体の大きなマーダーディアーが飛び出してきて、その鋭いツノでお嬢を狙う。

 

「え? うわっ!」


 マル坊の声で反射的に地面を転がるお嬢。

 いい反応じゃないか。

 召喚士なら身体を鍛えろっつう我が家独特の方針の成果が表れてるな。

 なんて、そんな呑気な感想を掻き消すように、獣じみた咆哮が森に響き渡る。


「雑魚魔獣の分際で姉上に絡んでんじゃねえぞゴラァ!!!」


 再びお嬢を狙うべく方向転換した鹿の頭に突き刺さる槍。

 怒号とともに鹿との距離を一足飛びで潰したマル坊が、見た目からは想像できない力強さで獲物の頭を頭蓋ごと貫いた。


「ひゅーっ♪ いいぞマル坊! やっぱヘッセリンクの一族はそうでなくっちゃな!」


 お姉ちゃん命な坊ちゃんの本領発揮、ってね。

 無造作に槍を引き抜きつつ、不機嫌な顔で横っ腹を蹴り飛ばすところなんか最高にイカしてるわ。

 基本的に穏やかで優しいマル坊が、お嬢絡みの時にだけ見せるキレッキレの凶暴な本性。  

 ヘッセリンクの血の濃さを垣間見れてワクワクが止まらねえ。


「メアリ兄さん。姉上が危なっかしいので私が前に出ます。楽しんでないでしっかり姉上の背中を守ってくださいね?」


「仰せのままに、次期伯爵様」


 ふざけて膝をついてみせると、疲れたようにため息をつくマル坊。

 

「他人事だと思って……。まあいいです。国都じゃ槍を振る機会も限られてますし、姉上にもメアリ兄さんにも、鍛錬を怠っていないところを見ていただきましょう」

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