第298話 終章〜侯爵家の団欒〜 ※主人公視点外
レックス殿と家来衆を宿に帰した後、わたしは何十年ぶりかに、生家であるラスブラン侯爵邸の一室で、父と弟とお茶をいただいている。
用件は済んだので一刻も早く国都に戻りたいのだけど、家を任せっきりにしてきた弟にどうしてもと請われては無碍にもできず、お茶一杯だけという約束で席に着いた。
「姉上が指摘してくれたようですが、父上はヘッセリンクの炎狂いへの憧れが強すぎる。レックスが貴方の孫なのは間違いないが、今やヘッセリンク伯爵家の当主。無闇にいじくり回していい相手ではありません」
事の経緯を確認した弟、次期ラスブラン侯爵たるバーチェがため息を吐きながらそう苦言を呈すと、唇の端を歪めた憎たらしい表情で応じる父。
「うるさいね。お前はレックスに炎狂いの、プラティ・ヘッセリンクの面影を見なかったかな? だとすればそれは節穴というものだ」
父のお義父様に対する感情は妄執と言っても過言ではない水準にある。
強烈な個性をもつプラティ・ヘッセリンクの光に当てられ続けた父の憧れは、それを孫であるレックス殿にも要求するほどに強い。
「節穴で結構。ヘッセリンクに対して父上ほどの執着はない」
そんな父の妄執を鼻で笑うことができるのは、息子であり、その為人を知り尽くしたバーチェだからこそ。
ただ、そんな可愛い弟にも気になることがある。
「その割にはレックス殿に冷たい態度を取っているみたいね? もう少し優しくしてあげてもいいんじゃなくって?」
なぜかこの弟は、レックス殿に冷たい態度をとり、距離を置こうとしている節がある。
今回も帰り間際のレックス殿に『だから目立つ真似はするなと言っただろう。何を聞いていた』と叱責するような言葉を投げかけていた。
「叔父と甥とはいえ、家や派閥のことを考えれば馴れ合うべきではないでしょう」
表情をぴくりとも変えずにそう答えるバーチェ。
それにしてはあまりにも敵意が強過ぎると思うのだけど。
そんな私たちのやりとりを見ていた父がニヤリと笑う。
「かっこいいことを言っているけど、ヘッセリンクにマーシャを取られたことをまだ引きずっているんだろう? その歳でまだ姉離れできていないなんて、どうかと思うよ?」
まあ、そうなの?
確かに小さい頃は姉上姉上と私の後ろをついてまわっていたけど。
バーチェは、私から目を逸らしながら不満そうに口元を歪めている。
「父上。その仰りようでは語弊がありますね。それでは私が姉上を盗られた腹いせに冷たいみたいではないですか」
「事実、そうだろう」
そういえば、ジーカス様が健在の頃もバーチェは打ち解けていなかったように思う。
それどころか、数少ない団欒の最中もむっつりと黙り込んでいなかったかしら。
そうだとすれば途端に可愛い話しに感じられる。
「違います。まあ、史上最高の、完璧なラスブランたる姉上が家の外に出てしまったという点においては大きな損失だったと、今でも思っていますがね」
「うふふ。相変わらず、貴方は私への評価がむやみに高いのね」
そう言えば昔、私が次期ラスブラン侯爵で自分はそれを支えるんだと言っていたわね。
何を馬鹿なことをと真面目に取り合わなかったけど、今でもそう言うということは本気だったのね。
「嘘偽りなくそう思っています。姉上がラスブランに残っていてくだされば、父上なんか足元にも及ばない最高の風見鶏になっただろうと」
「それを私の前で言うのはどうかと思うがね。父と子とはいえ不敬が過ぎるよ、バーチェ」
父上なんか、という点がひっかかったらしく不満顔の父に対してさも心外だというふうに首を振る弟。
「父上のことは尊敬しています。ただ、そんなものとは比べものにならないほど姉上を尊敬しているだけです」
「まるで狂信者だ」
臆面もなく父と姉の格付けを行った後継者に対して、娘の下に位置付けられた父は眉間の皺を一層深くしながらそう吐き捨てた。
「でもクソジ、父上。バーチェの言うことは間違っていません。あまりレックス殿を構いすぎないほうがよろしいのでは?」
「自然にクソジジイと出てくるあたり、日常的に私のことをそう呼んでるのだろうね」
思わず普段の呼び方が出そうになったのを誤魔化したのに耳聡い父は聞き逃さなかったらしい。
「クソジジイと言えばラスブラン侯爵のことを語っていると、ヘッセリンクの者なら理解する程度には」
知られたからには隠すことでもないのであっさり認めると、大袈裟に肩をすくてみせる。
父の、こういう反応の一つ一つが演技がかっているところも昔から好きではなかった。
「あの可愛かったマーシャはどこに行ってしまったんだろうか」
とっくに死にました。
そう伝えようとすると、バーチェが父に向かって身を乗り出す。
「姉上は今でも美しいでしょう。その目は節穴ですか? 父上」
真剣な顔で何を言っているのかしらこの子は。
流石の父もこれには呆れた様子で、眉間の皺を揉みほぐしながら深々とため息をついた。
「お前のそういうところが心配で侯爵の座を譲らないと、そろそろ理解してくれるかな?」
そんな苦言にも弟ははぴくりとも表情を変えない。
ラスブランの一族は、冷たく、どちらかというと神経質そうに映る顔をしている。
バーチェはその特徴を色濃く受け継いでいて、黙っていたら誤解されることも少なくないのだからもっと笑えばいいと思うのだけど。
「父上の後を継げば公の場でこのような発言はしませんとも。しっかりと、歴代のラスブランが担ってきたヘッセリンクの、いえ、レプミア貴族の敵を演じて見せましょう」
レプミア貴族の敵。
ラスブランがそう呼ばれることもあるのは知っているけど、意識して嫌われ役を担っているのではなく、自然に振る舞った結果そうなっているだけなのだから自業自得だと思っている。
「頼もしい限りだ。まあ、私もカナリアのクソガキより一日でも長く当主の座に座ってやろうと思っていたが、そろそろ先を考える時期ではあるね」
「そんな理由で居座っていたのですか? とてもレックス殿には聞かせることはできませんね」
「多分、カナリアのクソガキも同じような理由さ。お互い炎狂いに憧れた者同士だからね」
自分の方が炎狂いと仲が良かったんだ、お前には負けない、なんていうなんとも子供じみた思いだけで何十年も。
「仲のよろしいことで」
「それだけははっきり否定できるよ。私と奴は犬猿の仲さ。レプミアにとっても緊張感が生まれるからそのほうがいいんだ」
「そんなものですか。まあ、私はラスブランがヘッセリンクに妙なちょっかいを出さなければ文句はありませんわ。あまりヘッセリンクを舐めないことです」
レックス殿は確かに甘い。
ただ、その甘さでも許しきれないなにかが起これば、その先にあるのはヘッセリンクの武器、暴力をもっての蹂躙だろう。
いくら私がラスブランを嫌っていても、そこまで本気でこの地を無に帰したいとは思っていない。
「はっはっは! なあ、マーシャ。私ほどヘッセリンクを警戒しているレプミア貴族がいると思うかい? これでもプラティ・ヘッセリンクと長い時間を過ごし、ジーカス・ヘッセリンクの義理の父であり、レックス・ヘッセリンクの祖父でもあるんだ。あの一族の沸点があまり高くないことを知らないわけがないだろう」
炎狂いの友であり、巨人槍の義父であり、現当主の祖父である。
唯一無二の経歴であることは認めましょう。
「ただ、今回はその現当主の甘さが目立った。だからお節介を焼いたというだけの話し。あの子が成長すればこれまでどおり、適度な距離を保つさ。まあ、祖父としては小遣いくらい渡すがね」
今でも定期的に小遣いの域を遥かに超えた金子が国都の屋敷に届いている。
「レックスも三十が見えてきて子供もいる立派な大人です。小遣いはもうよろしいのでは?」
そう言うと、父は目を丸くして首を振る。
「貴族としては敵対的なんだから、せめて祖父としては嫌われたくないじゃないか」
貴族としての甘さ云々などと言っておきながら、これはこれで本気なのだから驚かざるをえない。
ただ、そんな父に悲しい事実を伝えるのも娘の役割でしょう。
「その思いは絶対に伝わっていませんし、今回のことで確実に嫌われたと思います。残念でございました」
愕然とした父の顔。
それを見ることができただけでもラスブランに足を運んだ意味があったというものです。
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