第344話 過去のお話3 ※主人公視点外
ジーカス・ヘッセリンク。
のちに『巨人槍』と呼ばれ、ヘッセリンク伯爵として、護国卿として余の治世に力を貸してくれた有能な貴族の一人だ。
それと同時に、余にとっては唯一無二の友人と呼べる男だった。
初めて顔を合わせたのはお互いまだ十代にもなっていない子供の頃。
三つ四つ下の、どちらかというと可愛らしい顔をした男子だった。
『王子もヘッセリンクはお嫌いか?』
他の貴族の子供達が私に会うと恭しく頭を下げ、丸暗記してきたであろう挨拶を披露するなか、ジーカスが放ったのはそんな言葉だった。
『貴族は国の宝だ。そこに好きも嫌いもない』
私も子供だったが、そんな通り一遍の答えを返して奴に嫌な顔をされたのははっきりと覚えている。
たかだか五歳か六歳の可愛い顔をした男子の不満を隠そうとしない態度に思わず笑ってしまった。
『笑いごとではないぞ。私は王子にヘッセリンクを好きになってもらいたいんだ』
丸暗記の挨拶が悪いわけではない。
余のために時間を割き、努力した結果を披露してくれているのだから感謝すべきことだ。
しかし、丸暗記の挨拶とジーカスの本音しか語っていないとわかる言葉のどちらが記憶に残るかと言えば確実に後者。
その後も父であるプラティ・ヘッセリンクが様々な事件を起こして王城に招集されるたびについて来ていたジーカスと言葉を交わす機会は多く、余と奴は親交を深めていった。
「おお! 我が友ジーカス、元気にしていたか?」
成人した頃には、余と同世代の貴族の子息の関係ははっきりと主従に限定されていたが、そんななかでも唯一、ジーカスを友と認めていたのは、幼い頃からの言葉の積み重ねが理由だったのかもしれない。
プラティ・ヘッセリンクが某貴族と揉めたらしい件で王城に招集されるにあたり、それについてきていたジーカスの姿を見てつい大きな声が出てしまった。
「王太子が一貴族を友などと呼ぶのはおやめください。ただでさえヘッセリンクは他家から睨まれているというのに。殿下に声をかけられるたびに視線が痛くて敵わない」
時折言葉に丁寧さを欠くところを見るに、おそらく奴のなかでも主従と幼い頃からの友人という二つの関係があるのだろう。
それは余にとって非常に心地よいものだった。
「『無言槍』がそんなことを気にするとは意外だ。魔獣はもちろんどんな大貴族を相手でもぴくりとも表情を変えないくせに」
「ヘッセリンクは舐められたら終わりだ。いちいち動揺を顔に出すことなどあってはならないと父に仕込まれた結果です」
「『炎狂い』殿の指導とは、厳しそうだ」
『炎狂い』、プラティ・ヘッセリンク。
その無軌道な行動から狂っているのは炎に限らないことが明らかなその男は、当時『史上最もヘッセリンクらしいヘッセリンク』という輝かしい称号を得ていた。
そんな扱いづらさで国内最高峰を誇る男を父に持つジーカスの苦労を思うと、深いため息が出る。
「基本は腕力に訴えてくる非常識人なので。いつかあのニヤニヤした顔を槍で張り飛ばす。それが私の人生の目標でした」
幼い頃から奴が掲げていた目標。
『父の横っ面を張り飛ばしてやりたいのです』
今回も変わっていないかと思ったが、言葉尻の違和感が引っ掛かった。
目標でした、と言ったのだ。
「まるで、その目標は過去のものになったといった言い振りだな。まさかもう達成したか?」
それならそれでめでたいことだと思った。
ジーカスの悲願が叶えられたと同時に、あのプラティ・ヘッセリンクを超える男が余の治世を支えてくれるということだからな。
しかし、ジーカスはそんな余の言葉を首を振りながら否定する。
「いいえまさか。別に人生の目標ができたまでのこと」
「ほう! 幼い頃から顔を合わせるたびに『炎狂い』を倒すと繰り返していたお前に別の目標が? それは私が聞いてもいいものか?」
聞いたのは完全にただの興味でしかなかった。
ジーカスの興味が何に移ったのか。
まさか森に脅威度Sでも現れて、その討伐に入れ込んででもいるのか? などと考えていると、回答はこうだった。
「ああ。好きな人ができた。新しい目標は、その人と幸せな家庭を築くことだ」
「……誰か! ジーカスに冷たい水を!」
「殿下。私は素面ですので人を呼ぶのはおやめください」
「『炎狂い』との日々の闘争で疲れが頂点に達したのだろう。大丈夫だ、心配するな。友として私が味方してやる」
この時の余は人生で一番優しい顔をしていたはずだ。
それなのにジーカスは眉間に皺を寄せて不満を隠そうとしない。
「だから聞け。父との闘争で疲労困憊なのは否定しないが、最近見合いをしたのだ」
王城でも大騒ぎになった次期ヘッセリンク伯爵の見合い問題。
当時の文官達はさぞその対応に苦慮したことだろう。
「聞いているぞ。それこそ文官達が大騒ぎだったからな。まさか、『狂人』と『風見鶏』の共演とは」
「殿下の言うとおり、通常の貴族の結婚など家と家の結び付きでしかない。ただ、私は見合いの場でマーシャ・ラスブランに一目で惚れてしまったのだ。彼女は素晴らしいんだ。まずは」
…
……
………
「さらにだな」
余は友と呼ぶ男の奥底に眠るものをこの日初めて知ったわけだが、まあとにかく長い。
この日に限らずマーシャ殿のこととなると口が止まらなくなるのは奴が逝くまで変わらなかったが。
「ジーカス、ジーカス!! わかった。お前がどれだけマーシャ殿を愛していて愛しく思っているかよく理解できた」
そう宥める余に、ジーカスの鋭い視線が突き刺さった。
「私のマーシャ殿への愛を理解? まさか! そんなことは不可能だ。なぜなら私もまだその全容を把握できていないのだから」
適当なことを言うものではないと反省せざるを得なかったが、とにかく面倒なことこのうえない。
「ならばはっきり言おう。いくら最も親しい友でも長時間惚気を聞くのは耐えられん。なんだかむず痒いし、身体から甘い何かを吐き出しそうだ」
どの国の貴族が王族に好いた女性の惚気を延々と語るというのだ。
そう言うと、ジーカスがその大きな身体を縮めてこちらを窺ってきた。
「こんなことを話せる友は私には殿下しかいないのだが。不敬を承知で申し上げますが、殿下は私にとって兄のような存在でもありますし」
どうやら、この時わざわざ『炎狂い』について王城にやって来たのは、このことを余に聞いてもらいたかったかららしい。
ずるい。
ヘッセリンクのこういうところがずるいのだ。
それはジーカスの父にも、そして息子にも言えることだがとにかくずるい。
「しょんぼりするな。まったく、どれだけ話したかったのだ。まあ? もう少しだけなら聞いてやらんこともないが」
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