第18話 国都
「久しいですね、レックス殿。屋敷に変わりはありませんか?」
「ご無沙汰をしております、母上。ええ、特段お伝えするようなことはないかと。相変わらず森に出て魔獣を討伐するだけの生活です」
オーレナングから国都までの道中は特にトラブルもなく辿り着いた。
メアリが言っていたとおり、ヘッセリンク伯爵家の代名詞である外套が効いたようだ。
深緑の布地に、積み重ねられた金塊が描かれたまあまあ趣味の悪い意匠で、確かにヤバいやつ感がすごい。
これ、ユミカにも着せたのか?
教育に悪いからちょっと考えないとな
ちなみに目の前にいるのはレックス・ヘッセリンク、つまり僕の実母で、マーシャ・ヘッセリンク。
年齢は四十半ばらしい。
うん、見た目もそんな感じで違和感ないです。
コマンドの話ではすっげえいい人らしい。
【元々十貴院の三に位置する侯爵家の御令嬢ですが、突然変異と言われるほどの善人です。閣下のお父上はお母様を溺愛されていました】
「命を大切になさいね。貴方まで早逝してしまったらと思うと、ついうっかり神を恨みで殺してしまいそうだわ」
「はっはっは! 母上は相変わらずですね」
そんなこと言ってたらバチが当たるよママン。
「母に戦う力があればすぐにでもオーレナングに舞い戻り、亡きお父様の代わりに武器を取れるのに。不甲斐ない母を許してくださいね?」
「許す許さないの話ではありません。私がオーレナングで我が家を守るように、母上は国都で我が家を守っていただく。代々両輪で支えていくというのが慣例だったでしょう。気に病む必要などありません」
戦う力がある男が領地で戦い、武力を持たない女が国都の屋敷で他家との折衝を行う。
それが我が家の慣例らしい。
賢くないとダメ。
したたかでないとダメ。
はあ、大変だ。
一人で戦ってる母に今度美味しい肉を贈ろう。
「でも……カニルーニャの御令嬢はその慣例を破れる存在だと、手紙に書いてありました。その方が、代々伝わるヘッセリンクに嫁いだ女の呪いを解いてくれると喜ばしい反面、自分が望んでも決してできなかったことを成すことに、若干の嫉妬があるのも事実です」
「正直なことです。そのことは、エイミー嬢本人にもぜひ伝えてください」
呪いか。
それを破るのが息子の嫁なのは、思うところがあるのかもしれない。
それを言葉にするところがこの母が善人の証拠だが、エイミーちゃんも生粋の善人だからな。
ちゃんと伝えたらわかってくれると思う。
「そんなことをしたら、いじわるな姑だと嫌われてしまうわ」
「何を仰いますやら。エイミー嬢はそのような狭量とは無縁の方です。きっと仲良くなれるでしょう。もっとも、母上達と一緒に暮らせないことについては申し訳ないと言っていました」
「それこそ何を仰いますやら。ヘッセリンクの役目は森から湧き出す魔獣を討伐すること。それ以上でもそれ以下でもありません。戦力は一人でも多い方がいいなかで、エイミー様がレックス殿とともに戦える力を持っている。こんなに素晴らしいことはないわ。まったく、せっかく同じ街にいるというのに顔合わせまで会えないなんて」
「それこそ慣例です。くだらないし時代に合わないものですが、これを破るとまたぞろ老害達が騒ぎ出しますからね」
家の中の慣例を破るのは勝手だけど、国の慣例を破るとうるさい層が一定数いるらしい。
どの家に対してもうるさいのに、それがヘッセリンクならさらにうるさくなる可能性があると。
話を聞けば聞くほど僕個人だけじゃなく家として嫌われてることがよくわかる。
なんとかならないかね。
「はあ。ヘッセリンクとして生きるのも楽ではないわ。あ、そうそう。これ、お祖父様からレックス殿にお小遣いだそうよ?」
お小遣い?
さっきコマンドが母の実家が侯爵家だっていってたけども。
「これでも二十も後半なのですが……」
「仕方ないわ。いつまで経っても孫は孫。息子は息子よ」
甘やかされてるなレックス・ヘッセリンク。
まああって困るもんでもないしいただいておくかー。
…
……
………
「で? お小遣いもらってきたわけ? すげえな貴族。自分の孫が国有数の貴族家当主だって忘れてんのかね。うぉっ、いくら入ってんだよ」
小遣いとして渡されたずっしり思い袋を覗き込みながら、メアリが呆れたように笑う。
「忘れてるんだろうな、意図的に。そうでないと、自分の孫が国全体から熱い注目を浴びている危険分子だと思い出してしまうだろう?」
「因果な商売だねどうも」
貴族が商売というなら本当にそのとおりだ。
「まあ泡銭が手に入ったんだ。今から約束の刃物でも買いに行こうと思うが、どうする?」
「勿論お供いたしますとも閣下。お召し物はどうします? 荷解きしたらまあ、キンキラキンのギラギラしたやつしか入ってねえけど」
それ!
本当にしくじったんだよなー。
国都の屋敷であの派手すぎる服しか入ってないのを見て、絶望のあまり膝から崩れ落ちた。
あれはない。
「……言うな。僕としたことが浮かれた勢いで服の準備をアリスとイリナは任せっきりにしてしまった。仕方ないからついでに動きやすい地味な服を買うぞ」
「そうしてくれ。俺もあれを着た兄貴について歩くのはしんどい」
「文句ならアリス達に言ってくれ」
「言えるかよ」
「だろうな。僕も無理だ。うちの家来衆は忠誠心が高いのに、各人それぞれ一つは絶対譲らないものがあるからな。それについては相手が僕でも絶対引かないぞ」
オドルスキのユミカ関連とかな。
アリスは服を汚すと鬼人のように怒るから怖い。
「あー、まあわからなくはない。ま、兄貴は諦めて着せ替え人形やってくれよ。俺たちの平穏のためにも」
そうするしかないわなあ。
とりあえず当座の服を買うために店に入り、良い感じの地味なやつを数種類買い込んで着替えた。
ああ、落ち着く。
その足でお目当ての工房に向かうと、思ってたよりもこじんまりとした佇まいだった。
個人商店だな。
なになに?
熊の塒、か。
「いらっしゃいませ……と。その外套、ヘッセリンク伯爵家の方とお見受けしましたが」
奥から出てきて対応してくれた少年が、メアリが身に付ける深緑の外套を見てすぐにヘッセリンク家の縁者だと見抜いた。
凄いな。
「流石国都随一の工房。外套一つで家名がわかるものなのか。失礼。私はレックス・ヘッセリンク。ヘッセリンク伯爵家の当主を務めている」
「なんと! 伯爵様ご本人様でしたか! 少々お待ちください。親方を呼んで参ります」
少年が奥にすっ飛んで消えていき、すぐに顎髭のいかつい親父を連れて戻ってきた。
はあー、イメージどおりの絵に描いたような鍛冶屋さんだな。
作業中だったのか、右手には大振りの鉈を握っている。
親父は僕を値踏みするように眺めたあと近づいてきた。
汗臭っ。
「ほお、あんたがレックス・ヘッセリンク伯爵様ですかい? 何しでかすかわからねえ狂人って噂だが……ふっ!」
ギイン!!!
びっくりした!!
いきなり振り下ろされた鉈はメアリのナイフに弾かれ、逆にその切先が喉元に突きつけられる。
というかやや刃先が肌に触れて血が滲んでる。
「何のつもりですか?」
声冷たっ!
怖いよメアリ君!
「おっとっと。まじかよ。隙だらけかと思いきやこのお嬢ちゃんが護衛か? それならそれで殺気くらい漏らしておけよ」
勝手な言い草だなおい。
ゴリ丸とドラゾン召喚してやろうか。
「閣下。殺してもよろしいですか? 嫌疑は上級貴族への暗殺未遂。レプミア国貴族法に則り裁判を略し刑の執行が可能です」
へえ、そうなんだ。
「ああ。残念だが情状酌量はないだろう。何を思ったか知らないが、あの世で後悔するんだな」
「ちょ! 待てって! 待て待て! 話を聞け! こりゃあうちなりの試験なんだよ! あんたが本物なのはわかったが、貴族を語る馬鹿野郎が多くてな? それでこういう抜き打ちの試験をだな」
「言い訳はそれだけか?」
「だーから!! 待て! くそっ、まじかよこの野郎! なんつう目してんだ、この姉ちゃん!」
まあこのくらいにしておくか。
じゃないとメアリが本当に刺しそうだし。
「と、冗談だ。メアリ、刃物を下ろせ」
たっぷり間を取った後、これまたゆっくりと刃を収めるメアリ。
メンチを切ったままドスの効いたいつもの低音で脅し上げる。
「おいこら、てめえ、護衛が俺だったことを神に感謝しろよ……閣下は冗談で済ますおつもりだが、二度目はないと思え。命拾いしたな」
「そのなりで男かよ! くそおっかねえ……何重に罠仕掛けてやがんだよ、二度とやるわけねえだろ! 伯爵様、この度は失礼いたしやした。自分はここ武具工房熊の塒の三代目、バロンと申しやす」
冷や汗びっしょりのままでへこへこと頭を下げてくる。
よっぽど怖かったんだろう。
わかるよ。
「改めて、レックス・ヘッセリンクだ。脅かしてすまなかったな。今日はこの護衛が使う刃物の新調に来たんだ。なんでも切れ味と耐久性を両立させた新商品があるとか」
「へえ、そいつはお耳が早い。つい先日発売したばかりの商品でさあ。金属に脅威度B以上の魔物の骨を混ぜ込むとあら不思議。切れ味も耐久性もこれまでとは比較にならねえ上物が出来上がるって寸法でさあ」
「すぐに買えるものかな? 在庫がないなら手付けだけ置いて後日受け取りに来るが」
「在庫が一本だけありますぜ。いかんせん高額な商品なもんでね。飛ぶようには売れませんわ」
「そうだろうな。まあいい。一本もらっていこう」
「あいよ! へへっ、伯爵様のようなお大尽とはお近づきになりてえもんですな。さっきの失礼の謝罪も込みで料金は勉強させていただいて……こんなもんでどうでしょ?」
勉強してくれたらしいが、そもそも相場がわからん。
ここは使い手に確認するか。
「メアリ?」
「……妥当」
「では、これで」
コマンドの収納から金でパンパンの袋を取り出してカウンターに置いてやる。
すまんが数えてくれ。
「即金かよ! っと失礼。いや、助かります。貴族は払いが渋い家も多いのでね。またなにかあればぜひ御用命くださいな。お待ちしております!」
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