第741話 Kiss
目の前で殺気立っている皆さんのうち、ヘッセリンクの名前を知っている層がどのくらいいるかは定かではない。
なんたって百年前だ。
毒蜘蛛の侵攻なんていう不都合な事実は、歴史から抹消されていてもおかしくはないわけで。
ならば、ここでどう立ち振る舞うのがヘッセリンクとして正しいのか。
悩むまでもなく、僕なりの答えは既に出ている。
「ゴリ丸、ミドリ」
アニマルズを召喚すると同時にそれぞれに魔力を流し込むと、二体が敵を威嚇するように凶悪な咆哮を上げた。
「心ゆくまで遊んで構わないが、僕の見えないところまで行ってはいけないぞ?」
そんな注意事項を受けて、わかりました! というように右手を上げるゴリ丸。
四足歩行であるミドリも、そんな兄に負けじと右の前脚を器用に上げてくれた。
「よーし、よしよし。いい子だ。さあ、襲え!」
合図とともに一斉に駆け出す召喚獣ブラザーズ。
ドラゾンは一旦戻し、マジュラスは僕の護衛がてらに待機してもらっている。
ミケはいざという時のために温存だ。
これで、よほどの隠し球がない限り勝ちは揺るがない。
そう考えていると、エイミーちゃんが僕の服の裾を引っ張ってきた。
「レックス様。私には励ましのお言葉をいただけないのですか?」
愛妻の上目遣い、百点。
戦場にいることなど忘れて思わずだらしなく頬を緩ませるところだったが、すんでのところで持ち堪えることに成功する。
「おやおや。こんなに多くの敵を目の前にしているというのに、召喚獣のみんなにヤキモチを妬いているのかな?」
「ふふっ。ええ、ヤキモチです。だって、レックス様のお言葉をいただけたら、ゴリ丸ちゃん達よりも見事な働きをご覧いただける自信がありますもの」
つまり愛妻はこう言いたいわけだ。
『エールをくれ。そうすれば、召喚獣越えの活躍を見せてやる』と。
「素晴らしい心意気だ、エイミー。では、視界に映ることごとくをその拳と炎で打ち据えろ。レプミアの敵は僕達ヘッセリンクの敵だ。手加減など、一切無用だよ?」
エイミーちゃんの厳つ過ぎる決意に感動した僕が言葉の終わりと同時にキツく抱きしめると、マイプリティワイフも優しく抱きしめ返してくれた。
至近距離から見る愛妻の丸顔、百二十点。
「承りました。愛するレックス様のため、愛するヘッセリンク伯爵家のため。蛮族の皆様にほんの少しだけ、痛い思いをしていただこうと思います」
「ああ。少し様子を見て、何も仕掛けがなさそうなら僕も動く。それまでは好きにしていい。行っておいで、僕の可愛いエイミー」
そう言いながら柔らかな頬にキスをして送り出す。
「はい、行ってまいります」
エイミーちゃんは人がたくさんいる場所でのキスが恥ずかしかったのか、頬を赤く染めながらも、軽い足取りで蛮族方に向かって駆けていった。
ふふっ、照れ屋さんなんだから。
「我は、一体何を見せられておるのじゃろうな」
僕が仕事に向かう妻を見送っていると、マジュラスが呆れたように天を仰いでいる。
何を見せられてるのかって、そりゃあ。
「強いて言えば、レプミア最高峰の夫婦仲だろうな」
「我はまだしも、敵方はたまらんじゃろうな。煽られるだけ煽られて頭に血がのぼっておるところに、接吻など見せつけられたら」
そう?
故郷に帰って奥さんや恋人とイチャイチャしたい! とか思わないかな?
【ゼロではないかと】
だよね。
まあ、今の僕がただただいちゃついただけじゃないかと言われれば、否定はしない。
「とは言え、接吻を見せつけられていた方がまだマシだとすぐに思い知る。僕の妻が女神なのは何者にも動かしようのない確固たる事実ではあるが、それと同時に、敵性の生き物と見れば一切の容赦がなくなる鬼神だ」
バリューカにお邪魔した時も、アラド君が素直に通してくれない=敵だと認識した瞬間テーブル蹴り飛ばしたりしてたからな。
「元々その気はあったのじゃろうが、祖父殿の修行法を経てからというもの、より一層激しさが増しているように見える」
「そうだな。ほら、見てみろマジュラス。無味乾燥な鎧兜の群れの中、紅が映えること映えること」
宣言どおり、エイミーちゃんは拳と炎を駆使してゴリ丸達を上回る戦果を上げていた。
魔獣よりも女神の方が攻略難易度が低く見えるのか、蛮族達が召喚獣を避けて愛妻に殺到しているのも撃墜数の面で有利に働いているようだ。
凛々しい妻も悪くないね。
「目尻と頬が同時に下がっておるのをメアリ殿あたりに見られたら、締まりがないと叱られるぞ? 主よ」
あれ、また表情筋がお仕事放棄してました?
でも、妻が強くて可愛くて凛々しいんだから仕方ないよね。
「出来る限り気をつけよう。さあて。家来衆達は今頃どのあたりにいるだろうな。ここからはじっくりと地上を行くつもりだが……間に合うかな?」
「何に、とは聞かないでおこうかの」
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