第88話 ヘッセリンク伯爵家の若手班  ※主人公視点外


 伯爵様の発案で五日に一度、魔獣の庭に入るようになったある日。

 メアリさんとクーデルさんの闇蛇コンビに誘われて森に入ることになりました。

 普段は伯爵様ご夫婦の従者を務めている二人ですが、家来衆で組んでいるローテーション以外にも時々二人だけで森に入って修行されてるみたいです。

 なんで僕を? と尋ねると、若手だけで遊ぼうと思ってさーとなんとも軽い、実にメアリさんらしい答えが返ってきました。

 遊び場にするにはこれ程適格性を欠く場所もないでしょうね。

 

「この場合なら中型の四つ足タイプなんじゃねえ? こことここ、あとその辺に浅い陥没があるし、陥没してる面積がこんくらいだから小型はありえねえし、かといって大型まではいかねえと思う」


 森の浅層から中層に差し掛かった場所で見つけた魔獣の痕跡。

 フィルミーさんに教えてもらった知識を突き合わせてその姿を浮き彫りにしていきます。

 クーデルさんはあまり索敵に興味がないのか、ひたすらメアリさんをうっとり見つめていますが、いつものことなので放っておきましょう。


「うーん……うん。メアリさんの言うとおりだと思います。最近この辺りに出没している四つ足の中型魔獣は……ボムカウとコンフュシープ。あとはマーダーディアーですかね」


 ボムカウ、コンフュシープ、マーダーディアー

 いずれも自分一人で立ち向かえば骨も残らないような凶悪な魔獣達。

 少し前の自分ならその名前を口にするだけで震えが止まらなかったでしょうが、伯爵様に雇われてからはちょっとやそっとのことじゃ動じなくなってしまいました。

 目の前で魔獣を真っ二つに斬り割いたり、数メートルの岩を複数撃ち出して圧死させたりするのを見れば普通でいることの虚しさを感じずにはいられません。


「そうな。フィルミーの兄ちゃんやオド兄から聞いた話しからしてもそいつらの可能性が高えか。うっしゃ、見つけたらまずはエリクスが札なしの炎弾で牽制。一瞬でも気を逸らして貰えばあとは俺達がざっくりやっちまうから」


 美しい笑顔を見せる目の前の少年もそんな普通ではない一味の一角ではありますが、自分の甘さや未熟さに気づかせてくれた恩人でもあります。

 不思議なことに彼は、というか伯爵家の皆さんは腕力的には戦力外の自分を決して笑うようなことはせず、森に入ると決まってからはむしろちゃんと一人の戦力として扱ってくれています。


『兄貴がお前を戦力と認めた。それで十分じゃね? できるからやらせる。シンプルだろ?』


『我らはお館様という旗の下、皆平等だ。戦う力に劣るからと見下すような者はいない』


『そんなことを気にする暇があるなら一つでも出来ることを増やしなさい。そうすればそんな瑣末なことを考えることもなくなるでしょう』


 お師匠様以外の優しさに涙が出そうでしたね。

 

「わかりました。札は温存しておきましょう」


「そうしな。兄貴も護呪符はいざというときの切り札だって考えてるはずだ。頼り過ぎは良くねえし、爺さんが言うには魔力量は増えなくても定期的に使っていけば練り上げの技術自体は上げられるらしいからな」


 そう、護呪符を使わなくても強くなれる可能性があるのです。

 もちろん化け物揃いの伯爵家の皆さんの域に達することは不可能ですが、最低限の自衛できる程度の魔法を使えるようになる可能性はあると教えられました。


「そうですね。奥様からも火魔法の練り上げ方について御教授いただいたのですが、結局は熟練度を上げようというところに落ち着きました」


 特に火魔法に長けた奥様からの授業を経たあと、微々たるものですが実際に出力が上がったのには驚きました。

 

「魔力の魔の字もねえ俺からしたら、そんな会話ができるのは羨ましい限りだがね」


 メアリさんが肩を竦めて見せますが、彼やクーデルさんには人並外れた身体能力が備わっています。

 その美貌と合わせて闇蛇の未来と呼ばれていたことを考えれば魔力がないことなんてなんのハンデにもなっていないでしょう。


「メアリさんに魔力まで持たれたら自分達の立つ瀬がなくなるので。不得意な分野があればカバーし合えばいいんですよ」


 そう言った僕の言葉にクーデルさんが深く頷きました。

 彼女はメアリさんさえ絡まなければフィルミーさんと並ぶ常識人です。

 

「そうね。メアリが将来的にヘッセリンク家を支える柱になった時にはエリクスが頭脳面でメアリを支えてあげてほしいわ。私は妻として家庭面を支えるから」


 メアリさんが絡んでいるので今の彼女に常識など欠片もないという判断でいいでしょう。

 ここで下手に否定に走ると大抵碌なことにならないのでもちろん全肯定です。

 

「ああ、はい。そうですね。うん、クーデルさんは、それでいいと思います」


 うっとりとした笑顔を深めて頷いてくれました。

 どうやら切り抜けることができたようだとホッとしていると、メアリさんに首に腕を回されて引き寄せられます。

 至近距離で見るメアリさんも美しいですが、眉間に刻まれた深い皺は不機嫌の極みを表していますね。


「エリクス、諦めるんじゃねえよ。そこはもっと抵抗してくれよ。不得意分野はカバーし合うんだろ」


「不得意分野が被ってしまったらそれはもう自己責任で処理するしかないでしょう。メアリさんの健闘を祈ります」


 残念ですがこうなったキマリきったクーデルさんの処理を得意とする家来衆は伯爵家に存在していません。

 つまりカバー不能なのです。

 

「男同士でそんなに顔を寄せて何をしてるの? メアリ、まさか貴方、伯爵様だけじゃなくエリクスまで? いいえ、まさか、そんな、いけないわ! その道は修羅の道だと何回言えば」


 顔を寄せてこそこそとやりとりする自分達を見て、クーデルさんの持つもう一つの悪癖が顔を出しますが、そこはメアリさんも慣れたもの。

 音だけで結構な力を込めたとわかるゲンコツを振り下ろし、クーデルさんの現実世界復帰を実現させました。


「戻ってきたか?」


「……ええ、ただいま。それにしてもエリクスは初めて会った時とだいぶ印象が変わったわね。堂々としてるというか、自信を感じる」


 数秒前まで壊れかけていたとは思えない態度ですが、これがクーデルさんなので気にしてはいけません。


「そうですか? 自分ではわかりませんが、そうですね。護呪符の研究も好調ですし、文官の仕事も興味を持って取り組めています。森での討伐は未だに慣れませんが、これまでに比べたら余裕がでてきたのかもしれません」


「ハメス爺の扱きを笑顔で乗り切ってるあたり、意外と我が家向きだったんだろうな。一回文官教育なんてのがどんなもんか見学に行ったが、ありゃあ無理だ。何やってるかさっぱりわかんねえもん」


 お師匠様は一日も早く自分を一人前にしないといけないというタスクを負っていらっしゃいますから講義が難解になるのも仕方ないのでしょう。

 自分の理解が追いつくであろうギリギリのところを攻めて来られるので一瞬たりとも気が抜けない授業です。

 

「メアリは伯爵様の従者をしつつ執事の立ち振る舞いを身に付けて、戦闘技術を磨きながら斥候の基礎を学んでる。エリクスは文官をしながら護呪符の研究を進めて、その空き時間で斥候技術と魔法を伸ばそうとしてる。多能工が悪いこととは言わないし、それができる能力があるのはわかるのだけど、やっぱり人が足りないわね」


 今はいい時のクーデルさんですね。

 自分のような新参者でもわかるくらい、人手不足は伯爵家の喫緊の課題。

 だから一人二役以上を熟せるよう将来に向けて準備を始めているわけです。


「クーデルさんだって奥様付の従者をしながらメイド修行とオドルスキさんからの戦闘技術の実践指導とんでもないシゴキを両立してるじゃないですか」


 一度オドルスキさんとの稽古を見学に行きましたが、いかにクーデルさんが軽量とは言っても、木槍で打たれた人間が床と平行に飛んでいくのを見て嫌な汗をかいたのを覚えています。


「もちろん人が増えるのは大歓迎だけどよ、我が家の特性上それが簡単な事じゃねえ。お前だってそれがわかってるからメイドの真似事始めたんだろ?」


「個人的には伯爵様への恩義を返すために当たり前のことをしているだけだからそこに意図はないのだけど」


 アデルさんやビーダーさんを含む元闇蛇の皆さんは伯爵様に絶対の忠誠を誓っています。

 そのなかでも特にその忠誠が深いのがこのクーデルさんかもしれません。


「最近はビーダーのおっちゃんに料理も習ってるらしいじゃん」


「あら、おじさんに料理を習ってるのはメアリの胃袋を掴むためだから伯爵家のためじゃないわよ? メアリの好きな牛の臓物の煮込み。美味しく作れるようになったわ」


 瞳孔が開いた悪いクーデルさんメアリさん好き好きモードに切り替わったようです。


「……それは、食べたい」


 普段ならクーデルさんがこのモードになると逃げの一手となるメアリさんですが、臓物の煮込みが本当に好物なのか、短い葛藤の後、歯を食いしばって白旗を上げました


「そう言うと思って仕込んで出てきたから帰ったら食べましょう。エリクスもどうかしら? ビーダーおじさん直伝の臓物の煮込み」


「ぜひご相伴させてください。将来的にヘッセリンク伯爵家にどんな人材が必要なのか。美味しいものを食べながらならいいアイデアが浮かぶかもしれませんよ」


「よっし! じゃあサクッとノルマの討伐終わらせて帰ろうぜ! 命大事に!」

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