第803話 ご無沙汰してます

 老人に案内された部屋の扉をノックすると、どうぞ、という涼やかな声が聞こえてくる。

 扉を開けると、レプミア唯一の現役女性当主、ロソネラ公がソファから立ち上がり、笑顔で迎えてくれた。

 

「あらあら、ヘッセリンク伯。お久しぶりですね。招待されたとは聞いていたけど、ここにいらっしゃるということは教会と仲直りしたのかしら?」


「ご無沙汰しております、ロソネラ公。仲直りもなにも、我が家と教会は仲違いなどしておりませんが?」


 挨拶の一環として投げかけられた問いにそうとぼけてみると、ロソネラ公が上品に口元を隠しながら笑う。


「ふふっ。まあ、あなた方が不仲であろうとそうでなかろうとロソネラに不利益はないからいいのだけど」


「つまり、不利益があればその限りではない、と」


 そんな呟きには軽く肩をすくめるだけに留めたロソネラ公が、僕の背後に視線を向けた。


「久しぶりね、デミケル。私のことを覚えているかしら?」


 声をかけたのは、ロソネラ公爵領出身であり、公爵様に見出されて王立学院に入学した経緯を持つデミケル。

 まさか声掛けがあるとは思っていなかったのか、慌てたように居住まいを正して頭を下げる。


「勿論でございます。大恩あるロソネラ公のお顔を忘れるはずがございません」


 その姿を見て満足そうに頷いたロソネラ公は、デミケルの前まで移動すると、頭ひとつ分以上高い大男を見上げながら言う。


「貴方がヘッセリンク伯爵家の家来衆になったと聞いた時には、本当に驚きました」


「……本来であれば、ロソネラ公爵領に戻り、公爵様に恩返しするのが筋だと理解しておりました。直接お許しを得ることなく時間が過ぎてしまったこと、申し開きのしようもございません」


 ヘッセリンク好きが高じて我が家のスカウトに応じてくれたものの、ロソネラ公に不義理をしたのではないかとやはりどこかで引っかかっていたんだろう。

 苦しそうな顔をしながら深々と頭を下げるデミケル。

 しかし、ロソネラ公はそれを制するようにゆっくりと首を振ると、ニッコリ笑ってみせた。


「貴方がヘッセリンクの家来衆になることはワタクシが認めたことだからそんなことは気にしなくていいの。ワタクシが驚いたのは、ヘッセリンクの家来衆に名を連ねるまでに成長した若者を見出した、自分自身の目の確かさにです」


 あの時点でお前の将来性を見抜いた私凄くない? ということらしい。

 それを聞いて目を見開いたものの、何と言えばいいのかわからず言葉を探している様子のデミケルの手を、ロソネラ公がそっと握る。


「それでもなお、貴方が私に恩を返したいというのであれば、今後の我が家とのお付き合いの中で返してくれればいいのです。期待していますよ?」


 商品の値段、勉強してくれよ! と。

 油断も隙もあったもんじゃない。


「ロソネラ公。若手を揺さぶるのはおやめください」


「ふふっ。ヘッセリンクとして成長された後では揺さぶられてくれないでしょう? 揺さぶるなら出来上がらないうちに。これが鉄則です」


 勉強になります。

 が、それをうちの若手で実践してみせるのはやめてください。


「女帝様は、相変わらず恐ろしい」


「女帝と呼ばれるのは好きではないけど、ヘッセリンク伯に恐ろしいと評されるなんて嬉しいわ。ああ、ワタクシからお礼を一つ」


 礼? 

 はて、思い当たることがない。

 何か素材をバーゲン価格で売ったりしたっけ?

 首を捻る僕とデミケルを交互に見ながら、ロソネラ公が言う。


「最近、ワタクシの領の船乗り達が活気に溢れているようで、漁獲量がそれはもう跳ね上がっているの。理由を調べたら、皆口を揃えてヘッセリンク伯のお陰だと」


 デミケル祖父絡みか。

 体調を崩していた大ボスが持ち直したことで港街全体に活気が戻ったらしい。

 喜ばしいことだけど、残念ながらロソネラ公にその理由は教えて差し上げられない。


「あー、それは」


「詳しくは聞きません。ただ、どんな形にせよ儲けさせてもらっているのにお礼の一つも言わないでいては、ロソネラの名が廃りますからね」


 この人のことなので何か掴んでいる可能性はあるが、詳しく追及することはせず儲かったから礼を言う。

 さっぱりした商人の振る舞いは、流石女帝の貫禄だ。

 

「では、大したことはしていないとだけ。それでももし礼をと仰るのであれば、魔獣の素材の買取値に色を付けてくださると嬉しいです」


「それはそれ、これはこれです」


 調子に乗るなとばかりにぺしっと肩を叩いてくる女帝様。

 

「でしょうね。ロソネラ公とはいい関係を維持させていただきたいと心から思っております。今日連れてきた三人は、将来にわたってその方面で我が家の柱となる人材ですので、ぜひお見知りおきください」


 僕の紹介を受け、改めて文官達が頭を下げた。

 お得意様だけに、この三人は色々揉まれることなるだろう。

 三人の顔を順番に眺めたロソネラ公は、深く頷いて僕に向き直る。


「では、後日我が家の文官も紹介しましょう。顔の見える関係が、よりよい取引につながるはずよ。ふふっ。ヘッセリンクの文官の紹介を受けるなんて、時代は変わるものですね」

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