第146話 勝てない相手

「久しぶりですな、ヘッセリンク伯」


 僕は、かつてないピンチを迎えていた。

 ここは、ヘッセリンクの屋敷からほど近い場所にある貴族の屋敷。

 目の前に座るのは、決して大柄ではないし、武人とも言えない細身と言って差し支えない体格の壮年男性だ。

 僕の名を呼んだ声は渋さと深みを伴った美声であり、こんな場でなければ思わず聞き惚れていたことだろう。

 だが、今の僕にそんな余裕はなく、先方の挨拶に対して身を固くしつつ、深々と頭を下げた。


「ご無沙汰しております。なかなかご挨拶すること叶わず申し訳ございません。カニルーニャ伯お義父さん


 エイミーちゃんのお父さんに呼び出されました。

 おかしい。

 この前もらった手紙には、子供が生まれたら会おうって書いてあったはず。

 その時にヘッセリンク派について教えるよう付記されてたのに、なぜかカニルーニャからの食料や領兵とともに伯爵ご本人まで国都にやってきていた。

 完全に油断していた僕は、あれよあれよという間に使者に運ばれて今に至るわけです。

 

「いや、そもそもカニルーニャとオーレナングは国都を挟んで逆の位置にあるし、なによりエイミーとの婚姻以降だいぶ忙しくされていたようですからな」


「お恥ずかしい限りです」


 忙しくされてた、が皮肉にしか聞こえないのはこちらに後ろ暗いことがあるからだろう。

 でもまだわからない。

 カニルーニャ伯は優しい方だから。


「責める意図はない。ないが、義父としては、もう少し落ち着いていただけると安心できるということだけ、ご理解いただけるとありがたい」


 優しいお義父さん大好き!

 まあまあやんちゃした自覚があるだけに、口頭注意だけで済まそうとしてくれるなんて懐が広い。

 よっ、お大尽!


「言い訳になってしまいますが、私が積極的に何かを仕掛けているというわけではないのでなんとも」


「ほう? 十貴院からの脱退未遂、クリスウッドからの単騎駆け、さらには脅威度Sの討伐。少なくともこの辺りはヘッセリンク伯が積極的に動かれたと耳に入っているが?」


 はい、調子に乗りました。

 苦笑気味だったカニルーニャ伯の目に剣呑な光が灯るのがわかる。

 優しくてもこの人は大貴族の一角だ。

 我が家なんか足元にも及ばない情報網を持ってるんだろうし、そこら辺を把握されててもおかしくない。


「……よくご存知で」


 宰相に叱られた時以来の冷や汗が背中を伝う。

 お義父さんは、ほんの一瞬、脅威度Aを上回る迫力を発した後、ゆっくりと首を振るとため息をついた。


「繰り返しになるが、貴殿を責める意図はないのだ。娘を娶るためにアルテミトス侯に喧嘩を売りにいくような方だ。多少暴れ回られることなど織り込み済みなのだよ。ただ、流石に王城から陛下名義で義理の息子に落ち着くよう諭せと文が届くに至っては、少しくらい釘を刺さなければならん」


「カニルーニャ伯宛に文が?」


 まじかよ。

 とんだ不良義息だな、僕ってやつは。

 というか恥ずかしすぎるから、義理の父に手紙を送ったことについては抗議したいと思います。


「筋が違うことは重々承知だと断ったうえで、義理の父として説教しておくよう書かれていたな。宰相に相当絞られたらしいではないか」


 それも知られてるのか。

 何かするたびにカニルーニャ伯にも伝わると思った方がいいな。

 責める意図はないと言われてもやり過ぎれば雷を落とされる日は近い。


「重ね重ねご迷惑をおかけして申し訳ございません」


「まあ、その件についてはカナリア公と王太子に巻き込まれただけらしいが……」


 よし、そろそろ話を変えよう。

 この話しは僕の胃に悪すぎる。

 

「それはそうと。先日は我が家の守備に人を割いていただきありがとうございます。お陰で、氾濫の収束に集中することができました」


「本当ならば我々もオーレナングに向かいたかったのだが、娘からはっきり足手まといだと戦力外を言い渡されたからな」


 僕が送る手紙の中にエイミーちゃんのものも同封したけど、そんなにダイレクトに書いてたのか。

 愛する娘から足手まとい扱いは辛すぎる。

 娘が産まれてそんなこと言われるの想像したら涙出るよ。

 

「大きな被害もなく乗り切ることができたのは、カニルーニャ伯をはじめとした皆様のお力添えがあってこそ。我が家だけではこうも理想的にことが運んだかどうか」


「カニルーニャに加えて、アルテミトス侯爵家にクリスウッド公爵家、サウスフィールド子爵家。それと、『護国卿を慕う若手貴族の集い』、だったかな?」


「ああ……」


 やべ。

 とんでもなく藪蛇だった。

 

「指導者がラスブラン侯爵家の直系らしいな」


 容疑者を追い込む尋問官のように、唇を吊り上げ、ゆっくりと噛み締めるように話しかけてくるカニルーニャ伯。

 この段になっては逃げ場はない。

 聞かれたことに答えるだけだ。


「そうですね。アヤセ・ラスブランは私の従弟にあたります」


「護国卿を慕う若手貴族の集い。その実態はヘッセリンク派、か」


「アルテミトス侯爵の悪い冗談です。ええ、そうですとも」


 今日一番の深い深いため息。

 そりゃそうだ。

 エイミーちゃんの顔を見る前に僕を呼び出してるからね。

 お疲れ様でございます。


「義息の家を守るために、家名を横に置いて集まってくれたというではないか。カニルーニャ伯として、レックス・ヘッセリンクの義父として、ささやかながらアヤセ・ラスブラン殿を招いた酒席を開いたのだが」


 あー、だめだ。

 これは全部バレてるわ。

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