第734話 ビーダー ※主人公視点外
無事にフィルミーとステムの嬢ちゃんが帰ってきた。
伯爵様ご家族も、元闇蛇で苦楽を共にした若え奴らもみんな元気だって聞いてほっとしたもんだ。
さて、次は誰が国都に向かうのかねえと他人事のように構えてたら、なんとザロ坊が真っ先に手え挙げるじゃねえか。
いや、そりゃあ料理人だって立派な家来衆だからそれが悪いってわけじゃねえんだけど、自分にそんな考えがなかったから驚いちまった。
ただ、驚きはそれだけじゃ終わらねえ。
料理長が、『ザロッタだけじゃ心配だからおっちゃんも一緒に行ってきなよ。ついでに元同僚の顔も見てきたらどうだい?』なんて軽い調子で言い出すんだから。
流石にジャンジャックさんやハメスロットさんがいい顔しねえんじゃねえかと恐る恐る二人を窺ったら、じゃあ二人は決定で、なんて言うじゃねえか。
そこからはあれよあれよと準備が進んで、あっという間に国都の屋敷に着いちまった。
今回はクーデルの嬢ちゃんも一緒だ。
嬢ちゃんがいねえ間、子供はメア坊が面倒みるらしいが、この双子のまあ可愛いこと可愛いこと。
二人の子供は俺の孫みたいなもんだと勝手に思ってるから、ついつい甘やかしてはアデルさんに叱られちまう。
国都の厨房には何度かお邪魔したことがあるから料理長も他の料理人も顔見知りだ。
みんな変わらず元気そう、と言いてえところだが、全員顔に疲れが出てるのがわかる。
まあ、歴戦の猛者達がこんな顔になっちまってる理由は一つだわなあ。
「おっさん! おかわりの肉を仕上げるからなにか繋ぐものを頼んでいいかい!?」
料理長が額に汗を浮かべながら声を上げる。
頼んでいいか? なんて水臭え。
「あいよ料理長! ザロ坊! 芋の皮、剥いてくれるかい?」
仕上がりが早くて美味くて腹持ちがするもんったら、やっぱり芋だな。
甘辛く仕上げるか、それとも塩だけでさっぱりいくか。
「ビーダーおじさん、剥き終わりました!」
流石はザロ坊。
刃物使わせたらそこらの坊主じゃ叶わねえ。
刃物の扱いが上手くなった理由を考えりゃ手放しで喜んじゃいけねえんだろうが、なんせ野菜の皮剥かせたら天下一品だ。
「ザロッタ、終わったならこっち来い! 熊肉の火の入れ方見せてやるからよ!」
「え、いいんですか!? やった!」
強面の料理長がザロ坊を呼ぶのを聞いて、それぞれ忙しく動いているはずの料理人達から一斉に声が上がった。
「うわ、ずっるい! 俺達にそんなこと言ってくれたことないじゃないですか料理長! 贔屓だ贔屓!」
「毎日一緒にいる部下にも同じような優しさがあって然るべきなんじゃないですかねえ。そう思わねえか、みんな!?」
「傷付いたから今晩の飯は料理長の奢りで決まりですわ!」
これに対して、料理長が『うるせえ黙って仕事しろ!』なんて怒鳴り返すと、それで笑い声が起きる。
このやりとりだけでもこの厨房が上手く回ってるのがわかるってもんだ。
流石はヘッセリンクだなあ、なんて感心してると、若い料理人が俺のとこに下処理した魚を持ってくる。
「ビーダーさん、これ、確認お願いします!」
ここにいる間、俺は下働きの一人だって伝えてあるんだが、歳取ってるせいか、若いのからこうやって食材の確認を頼まれるようになった。
料理長からも助かるなんて言われちゃ仕方ねえが、ここが他所様の縄張りだってことだけは忘れねえようにしている。
「かあっ! 流石国都の料理人だぜ! 完璧も完璧。大完璧だ。なあ料理長。若いの二、三人連れて帰っていいかい?」
お世辞じゃなく、流石は国都のお屋敷で生き残ってる料理人の仕事だ。
思わずそんなことを口に出したんだが、料理長がこっちを見もせず返してくる。
「ダメに決まってるでしょ! こいつら育てるのにどんだけ時間かけたと思ってんだ。それに、まだまだ俺が教えてやらなきゃなんねえこともあるんだから、オーレナングには渡さねえよ?」
つまりは可愛い部下を渡すわけねえよ、と。
そう言いたいわけだ。
素直じゃないねえ。
ただ、料理長の真意はみんなにちゃんと伝わってるみてえで、若えのまでニヤニヤしてる。
本当にいい仕事場だよここは。
「そいつは残念だ。伯爵様のお考えでオーレナングにも人が増えたから、厨房の人手が足りねえんですわ」
「まあ、なあ。俺達は若奥様が国都にいらっしゃるのを年に一、二回の祭りだと思ってるが、そちらは日常だもんなあ」
料理長がそう言うと、若いのが恐る恐る聞いてくる。
「あの、怖くなかったんですか? オーレナングったら、魔獣の棲家のすぐ側でしょう? 俺だったら料理どころじゃなくなっちまいますよ」
怖くなかったかって?
オーレナングだぜ?
ヘッセリンクだぜ?
そりゃあ、とんでもなく怖かったよなあ。
だがよう。
「俺がしっかりお務め果たさなきゃこっちのみんなが安心して過ごせねえって思って、なんとか踏ん張ってたなあ」
人質のつもりだったんだよ、最初は。
アデルさんがみんなのために自分一人でオーレナングに行くっつうから、そんなのダメだ、俺も行くってさ。
あの時は考えなしに突っ張っただけだったが、結果はこのとおりだ。
「オーレナングは、料理人としちゃ悪くねえ環境だぜ? 新鮮な魔獣の肉やらオーレナングの森にしかねえ野菜や果物を扱えるし、なんたって、あの天才マハダビキアの技を一番近くで見てられるんだ。この歳になっても、毎日驚きの連続よ」
天才の一言で片付けちまうのが惜しいけど、それしかあの人を表す言葉がねえんだから仕方ねえ。
本物の天才って奴にこの歳で出会えたのは幸運だった。
若え頃なら嫉妬でそれどころじゃなかっただろうからな。
「羨ましいようなそうでないような。半端に料理かじった奴なら、裸足で逃げ出すしかねえだろ。そこをいくと、ザロッタは全くの素人なのがよかったのか」
料理長がザロッタを見ながらそんなことを呟いた時、メイド服を着たクーデルの嬢ちゃんが厨房に駆け込んできた。
いつもどおり涼しい顔しちゃいるが、相当な速さで走ってきたんだろう。
勢い余って料理長の真ん前まで行ったところでようやく止まる。
「料理長。若奥様がさらにおかわりをと。それに触発された伯爵様、大奥様もおかわりと仰ってます」
「伯爵様方も!?」
若奥様に隠れていらっしゃるが、伯爵様もよく召し上がるんだよなあ。
そこに大奥様もとくれば大事だ。
「はい。皆さん凄く美味しいと、とても嬉しそうに召し上がっていらっしゃいまして。ぜひにと」
「ふぅ……。それを聞いちゃあ嫌な顔もできねえか。おう、聞いたな野郎ども!! 祭りのおかわりだ! 気合い入れろよ!!」
一度は諦めた明るい場所での料理人人生が、こんな風に戻ってくるなんてなあ。
伯爵様には感謝してもしきれねえが、老い先短え命。
せめて、身体が動くうちは恩返しのために必死こいて腕振るわせてもらおうか。
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