第238話 Lesson3〜ヘッセリンクとは〜 ※主人公視点外
叩き割れ。
そう指示を出したのは、狂人と名高いヘッセリンクのなかでも史上最もそれらしいと噂されるレックス・ヘッセリンク。
我が主人、ラウル・ゲルマニスはこの真性の狂人をいたく気に入っているようで、普段は王命が下ってもなにかと理由をつけて領地から出ようともしない癖に、この若者からの誘いに限ってはウキウキと出掛けていくのだから笑ってしまう。
しかし、叩き割れか。
普通なら叩き斬れ、だろう。
鏖殺将軍ジャンジャックが手にした抜き身の剣が、切れ味に重きを置いた細身の逸品であればなおのこと。
「化け物め」
俺自身、化け物だと呼ばれることに慣れているが、目の前の爺さんは位が違いすぎる。
なぜあの薄すぎる剣でマーダーディアーの頭蓋を文字通り叩き割ることができるのか。
こう、こうか?
刃を入れる角度が、こう?
いや、これは最高の見取り稽古だ。
これでこそわざわざオーレナングに来た甲斐がある。
「ダイファンのおっちゃん、楽しみ過ぎ。仕事中だぜ?」
ジャンジャックの剣の振り方を真似て素振りをしていると、ヘッセリンク伯の従者であるメアリが肩をすくめながら言う。
いかんな、確かに今は仕事中だった。
「む。すまん。しかし、やはり頭がおかしいなヘッセリンク伯爵は。応えるあの爺さんはもっとイカれてるが」
マーダーディアーの突進を避けもせず、その巨大なツノを真正面から跳ね上げた。
それは腕力だけでは成し遂げられない。
ここしかないという拍子を読み、その瞬間を逃さないことで実現した神業と言っていい光景。
その神業で動きを止めた殺人鹿の脳天へ繰り出された容赦のない一撃は、正しく叩き割った証拠として、森中に破砕音を響かせた。
「叩き割れって言われてマジでやるのは爺さんとオド兄さんだけだよ。俺やクーデルにゃ無理だな。おっちゃんも割るより斬る方が得意だろ?」
ヘッセリンクと言えば狂気。
これがレプミアでの常識だが、俺の感想は少し違う。
ヘッセリンクの特徴は、濃い死の匂いだ。
鏖殺なんていう物騒な二つ名をもつ、家来衆筆頭格のジャンジャックは言わずもがな。
ブルヘージュ出身の堕ちた聖騎士オドルスキも、若い頃は彼の国の最高戦力として暴れ回っていたと聞く。
そして、特筆すべきは今俺の目の前で薄ら笑いを浮かべている人形じみた少年メアリと、その隣で表情を消している少女クーデルだ。
元闇蛇。
たった三文字が表すとおり見た目どおりの人間な訳もなく、実際にその技術は俺のような武に偏り過ぎた変態をもってしても目を見張るものがある。
初めて顔を合わせた際、メアリは俺と百回戦えば百回負けると言い切った。
実際、あの時のメアリからは一切危険な匂いはせず、警戒に値しない子供でしかなかったが、今は違う。
身体のぶ厚さが増しただけでなく、精神的にも安定したように見える。
理由は知らないが、なにかしらで自信がついたか、吹っ切れたかといったところだろうか。
ああ、この歳なら恋をしたということも考えられるな。
なんにせよ、この年代はキッカケさえあればたった一日で大きく変貌するから面白い。
今のメアリならば、俺と百回戦えば二,三回はいい勝負になるかもしれない。
零が一になり、二になり、三になる。
これを成長と呼ばず何と呼ぶのか。
昨日から共に魔獣討伐して回っているが、メアリの動きを目の当たりにし、年甲斐もなくワクワクしたものだ。
このまま正しく成長したならば、いつか最高の敵として俺の前に立ち塞がる可能性もあるだろう。
クーデルについては語れるほど情報を持っていないが、昨日今日と見た感じでは『気の利く』種類か。
メアリの動きに合わせて隙間を埋めつつ、自己判断で前にも出ていく。
声を出さず目配せだけでメアリの影のように動き回る姿からは、長年連れ添った相棒の風格が感じられる。
この二人を同時に相手取るなら、百回やって五回はいい勝負になるかもしれない。
「よくやった、ジャンジャック。まあ、この程度なら余裕か。お前なら素手でもやれるんじゃないか?」
「ええ、ええ。脅威度C程度であれば目を瞑っていても問題ございませんとも。ご希望でしたら、次は素手で叩き割ってご覧に入れましょう。その方が余計な傷がつきませんのでマハダビキアさんは喜ぶかもしれませんね」
おかしな会話だ。
ヘッセリンク基準では、マーダーディアーなど食材でしかない。
それは貴族を集めて森に放つという、イカれた催しに参加した際に把握している。
そのうえで、自分の家来衆に『素手でも脅威度Cくらい倒せるだろう』と笑いかけ、言われた方もなんの衒いもなく可能だと返す。
それは東国の人間も怯えるというものだ。
自分達が何に喧嘩を売ったのかようやく理解が追いついてきたのではないだろうか。
敵国の人間だとしても、お気の毒にと感じずにはいられない。
レックス・ヘッセリンク。
ヘッセリンク伯爵家の本丸であるこの男からは、なぜかヘッセリンク伯爵家の家来衆達から感じる強烈な死の匂いがしない。
無臭だ。
上級召喚士として脅威度Aの魔獣を複数従え、先の氾濫では脅威度Sの竜種を葬った英雄。
東国との新たな小競り合いでは召喚獣を引き連れて隣国中を歩き回り、恐怖をばら撒いた狂人。
この二つだけを挙げても群を抜いたイカれっぷりだが、不思議と死を連想させないのがまたこの男の不気味さを際立たせている。
「おっちゃん。そう警戒するなよ。あの二人はちっとアレだけど仕事はきっちりこなすぜ?」
いかんな。
ヘッセリンク伯への疑念が顔に出ていたらしくメアリに笑われてしまった。
まあ、あの男が味方であることはレプミア最大の幸運だろう。
取扱注意の札が貼られた危険物ではあるが、野心の気配は今のところ皆無。
必要があれば我が主人から『なんらか』の指示が出るだろうが、良好な関係を見ればその心配もない。
願わくば、今のまま、気のいい狂人として振る舞っていただきたいものだ。
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