第739話 行ってきます

 敵も出なければ難所もない空を猛スピードで駆け抜けると、見えてきたのは数えるのも馬鹿らしくなるほどの大量の人間の姿。

 どうやら、先方が用意した勝利の策は、なんとも原始的な人海戦術だったらしい。

 対して、南に陣取るエスパール伯爵領軍も、近隣の貴族の皆さんからの応援もあって決して少なくはないが、空から見ると両者の差は一目瞭然。

 このまままともにぶつかれば、味方に大きな被害が出ることは間違いない。

 であれば、今僕にできることはただ一つ。

 先方の数を減らすことだ。

 エイミーちゃんに大きめの魔法を準備するよう伝え、僕も全力で魔力を練り上げる。

 さらに念には念を入れてマジュラスも喚び出し、瘴気もスタンバイ。

 出し惜しみはなし。

 できればこの一撃で侵攻なんて考え直し、お引き取り願いたい。

 そんな祈りを込めて解き放った濃緑は、妻の紅蓮と亡霊王の漆黒と複雑に絡み合いながら、今にもエスパール伯爵領軍に襲い掛からんとしていた蛮族方に轟音とともに降り注いだ。

 吹き飛ぶ人々と抉れる大地。

 突然のことに混乱する両陣営だったけど、自分たちが狙われたと察したのか、蛮族の皆さんが悲鳴を上げながら北へと駆け出す。

 これで当面の時間稼ぎにはなるだろうとホッと胸を撫で下ろしつつ、エスパール領軍のもとに降り立った僕達を出迎えてくれたのはダイゼ君と、なぜか鎧兜姿のエスパール伯。

 ダイゼ君は満面の笑みで僕の手を握ってくれたけど、親父さんの方は浮かない顔だ。


「エスパール伯。そんなに暗い顔をされて、一体どうされたのですか? ……まさか、既になんらかの被害が? くそっ! エイミー、すぐに準備を。このまま北に乗り込む!」


 市民の皆さんの悲鳴を受けながら空を飛んできたというのに間に合わなかったのか!

 蛮族共め、許さないぞ!!


「承知いたしました、レックス様。では、エスパール伯爵様。行ってまいります」


「待て待て! 待ちなさいヘッセリンク伯!いいから落ち着け。小競り合いのなかで怪我人は相応にいはするが、被害らしい被害は出ていない」

 

 再び夫婦で空に舞い上がろうとする僕達に、エスパール伯が武装しているとは思えない身のこなしで追い縋ってくる。

 え? 

 そうなの?

 やる気満々だったエイミーちゃんもこれにはキョトン顔だ。


「エスパール伯の表情を見るに、お辛いことがあったのかと」


 ドラゾンに跨ったままそう言うと、エスパール伯が苦虫を噛み潰したような表情で応える。


「辛いことはなかったが、顔から火が出るほど恥ずかしいことはあったとだけ言っておこう」


 恥ずかしいこと?

 なんだろう。

 ズボンのお尻でも破けててそれを家来衆に笑われたとか?

 出陣前にそれは確かに恥ずかしいかもしれない。


「ヘッセリンク伯、この度は本当にありがとうございました。もう少し救援が遅ければ、父は家来衆を引き連れて蛮族共に突っ込もうとしておりましたので」


 ああ、だから武装してるのね。

 あの人数差を見てなお攻め込もうとするなんて、もしかしてこのおじさん、玉砕覚悟だったんじゃないだろうか。

 元チョビ髭伯に視線を向けると、プイッと顔を背けながら呟く。


「どこかの狂人様のせいで恥をかいただけに終わったがな」


 どう恥をかいたかわからないけど、間に合ってよかった。

 不幸な行き違いで敵対していたとはいえ、今は良好な関係のおじ様だからね。

 

「それで、陛下はなんと?」


「カナリア公とアルテミトス侯に援軍の指示を飛ばされたようです。両家が到着するのを待って本格的に蛮族方を追い返せとのこと

。詳細はこちらに」


 出発前に王様から預かった手紙を手渡しながらそう告げると、大袈裟に肩をすくめるエスパール伯。


「カナリア公とアルテミトス侯を。腹を立てていらっしゃるようですな、陛下は」


「私が空を飛ぶことを笑顔で許していただくくらいには怒っていらっしゃいましたね。きっと、どこかの御当主が鎧兜を身につけて先頭を切って敵陣に向かおうとしたなどと知られたら、厳しいお叱りを受けるでしょうね」


「口の軽い男は嫌われますぞ?」


 嫌われるだって?

 ふむ。


「狂人などと呼ばれているのです。嫌われることを怖がってなどいられましょうか」


 元々そんなに好かれていないんだから今更嫌われたってノーダメージさ。


【こんなに後ろ向きな無敵感があったでしょうか】


「他人事だと思ってニヤニヤと」


 王様に叱られる未来を想像したのか、口元をヒクつかせるエスパール伯。

 そんなおじ様が可笑しくて、鎧を着たままの背中をバンバン叩いておく。

 

「いや、なんにせよご無事で安心しました。これで、何の憂いもなく北に向かえるというものです」


「なに?」


「妻と二人きりで逢引きと洒落込んで参ります。ああ、追ってジャンジャックを始めとした我が家の家来衆が到着することでしょう。一言、急げとだけ伝言をお願いいたします。では」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る