第738話 恥を雪ぐ ※主人公視点外

 蛮族達がアルスヴェル王国を突破し、私達が守るエスパール伯爵領の最北に足を踏み入れてから数日。

 今日まで本格的な侵攻は行われず、様子見程度の小競り合いに留まっている。


「伯爵様も見ていらっしゃるんだ。やってやる!」


 私や歳の近い同僚達は鼻息も荒く北を睨みつけるが、先輩方は落ち着いたものだ。

 この時も、自分を鼓舞するために声を上げる私の肩を落ち着けとばかりにポンッと叩いた。


「ドリンコ。間違っても一人で走り出したりするんじゃないぞ?」


「そんなことしませんよ! 護国卿様がいらっしゃってからというもの、皆さん私のことを子供扱いしすぎでは?」


 落ち着かせるどころか煽るような言葉を掛けてくる先輩にそう噛み付くと、悪びれた風もなく肩をすくめて言う。


「そりゃあお前。護国卿様に絡んだ挙句、その奥様に完膚なきまでに敗北したお前を一人前としては扱えんだろう」


「……ぐうの音も出ません」


 護国卿様ご本人やご家来衆だけではなく、まさか奥様まであれほどお強いとは。

 手も足も出ないとはあのことだと、思い出すたびに恥ずかしくて穴があったら入りたくなる。

 

「個人的にだが、若いうちはそれくらいでいいと思うぞ? まあ、喧嘩は相手を見て売れとは言いたいが」


「それは蛮族共に言いたい言葉です。わざわざ共喰いしてまで我が国に喧嘩を売ってくるとは」


 百年ほど前に、我が国に散々叩きのめされたらしい北の国々が、なぜこの期に及んで攻め込んできたのか。

 そんな思いから出た疑問だったが、そう難しいことじゃない、と先輩が答えてくれる。


「それだけ北の環境が厳しいということだろう。我が国は最北のここですら人が住めないほど寒くはならないからな。近くに豊かで暖かな土地が見えれば、手を伸ばしたくなるんだろう」


「迷惑な話……うわっ!?」


 突然鳴り響くけたたましい鐘の音。

 これは、緊急招集を告げる合図だ。

 何度聞いても慣れない恐ろしい音に思わず悲鳴を上げてしまった。


「敵さんが本格的に前に出てきたか? ここまで散々様子見してやがったくせに。俺達を見て勝てるとでも踏んだのかもしれないな。舐めやがって。行くぞドリンコ!!」


「はい!」


 普段は穏やかな先輩兵士が怒りに顔を歪めて走り出し、私も遅れまいと槍を担いで集合場所に定められた位置まで全力で駆ける。

 そして、北に見えた光景に息を飲まざるを得なかった。


「なんだ、あの数……。どれだけ連れてきたんだ」


 見渡す限りの人、人、人。

 身につけた鎧兜は不揃いだが、こちらに向けられた戦意と敵意は一つの目的を果たすために統一されているようだ。

 私のような駆け出しでもそう感じざるを得ないほどの圧力に、膝が震えるのがわかった。

 

「百年前にも視界全部を埋め尽くすくらいの兵士を送ってきたらしいが、これはそれ以上じゃないか?」


 先輩がそう呟いた時、私達の前に立ったのは伯爵様のご長男、ダイゼ様だった。

 普段は穏やかで、私達にも気軽に声をかけてくださるざっくばらんな方だが、この時ばかりは拳を振り上げながら絶叫される。


「恐れるな! 数の上では確かに不利だろう。だが、既に国都に報告を送った。すぐに援軍が来てくれるだろう。エスパール伯爵領軍の意地と誇りに懸けて、それまで耐えきるぞ!」


 伯爵位を継ぐことが決まっていらっしゃる若き主の言葉に自然と歓声が上がったが、その歓声がすぐにざわめきに変わる。


「次期エスパール伯爵ともあろう者が、何を情けないことを言っているのだ」


「父上!? そのお姿は一体?」


 鎧兜を身に付けて姿を現したのは、なんと伯爵様ご本人だった。

 ダイゼ様も知らされていなかったようで、武装したお父上の姿を見て目を丸くされている。

 伯爵様はそんなダイゼ様から私達に視線を向けられると、ご子息を上回る大声でこう檄を飛ばされた。


「耐える必要などない! 百年前に泣きべそをかいて逃げ出した臆病者どもに、再びエスパール伯爵領軍の恐ろしさを見せつけるのだ! 蛮族共が南を眺めるたびに、震えが止まらなくなるようにしてやれ!」


 一瞬の静寂。

 しかし、すぐに大歓声が巻き起こった。

 私はもちろん、先輩方も喉が涸れても構うものかと伯爵様の名を叫ぶ。


「父上、お下がりください」


 この場で唯一冷静なのはダイゼ様だけだったようで、眉間に皺を寄せながら伯爵様の前に立たれた。

 しかし、武装した伯爵様は一歩も引かない。


「下がるのはお前だ、ダイゼ。私は名誉あるエスパール伯爵の名を汚した恥をここで雪がねばならん。家来衆と共にこの蛮族共を押し返してこそ、オーレナングの天使に顔向け出来ようというものよ!!」


 伯爵様方が睨み合うことしばし。

 先に折れたのは、ダイゼ様だった。


「……理由はともかく」


 眉間の皺をほぐしながら深々とため息をつくと、伯爵様に向かって頭を下げる。


「決意の程は理解いたしました。これ以上は申し上げません。どうかご無事で」


「うむ。私にもしものことがあれば、後は任せた。ダイゼよ。達者で暮らせ。では、行くぞお前達! 北の護り、エスパールの力を見せつける時だ!! 前進!! 蛮族共を喰らいつ」


 残念ながら、伯爵様の力強くも悲壮な檄は、最後まで私たちに届くことなく掻き消されてしまう。

 轟音と共に空から蛮族達に降り注いだのは濃緑と、紅蓮と、漆黒の光。

 あまりの眩しさに目を閉じる直前、空を舞う美しい純白の生き物が見えた気がした。


 


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