第305話 聖騎士と学者 ※主人公視点外


 先日屋敷の裏手に現れた穴倉について、伯爵様は自らと家来衆が実際に立ち入ることを即決されました。

 指示は、メラニアさんとステムさんを屋敷の守備に残し、戦闘員全員で穴に潜るというもの。


『時間をかけても仕方ない。全員で一気に調べてしまうぞ』


 こういう未知の遺跡が見つかった場合は、少しずつ時間をかけて危険がないか調査するのが一般的なのですが、流石は狂人レックス・ヘッセリンク様です。

 ちなみに、戦闘員には奥様も含まれています。

 伯爵様夫妻が先頭を切って未知の穴倉に踏み込むという貴族にはあるまじき暴挙ですが、家来衆が誰一人止めないのはきっと諦めているからなのでしょう。


 幸い、入り口付近は全員で並んで歩いても苦にならないほどの広さがある一本道でしたが、少し進むと、あからさまに誘うような分岐に差し掛かりました。

 分岐は四つ。

 こういう時は、一つずつ潰していくのが常道です。

 ここまで危険がなかったとはいえ、未知の場所で戦力を分散させるのは愚策。

 しかし、一般的とか常道とか、そんなものとは無縁の伯爵様が選択したのは二人組を四つ作っての同時侵攻でした。

 流石にこれは、と思いジャンジャックさんとオドルスキさんに視線を向けましたが、同時に首を振られます。


 その意味は、『言っても無駄だぞ』でしょうか。

 頷きを返して流れに身を任せることにした結果、組み分けは伯爵様と奥様、メアリさんとクーデルさん、ジャンジャックさんとフィルミーさん、そしてオドルスキさんと自分という風に決まりました。

 

「まさかこんなものが眠っているとはな。これだからヘッセリンク伯爵家の家来衆はやめられないというものだ」


 オドルスキさんが微笑みを浮かべながら地下空間の通路を進んでいきます。

 ランタンの灯りが頼りなく空間を照らすなか、まるで全て見えているかのように足取りです。


「メアリさんとお師匠様は頭を抱えていましたけどね。気持ちはわかりますが、自分は好奇心のほうが勝ちました」


「成長したものだなエリクス。少し前のお前ならいくら好奇心が湧いても二の足を踏んでいたはずだぞ?」


「そうかも知れませんね。ただ、オーレナングでは……、いえ、レックス・ヘッセリンクの旗の下では変化せざるを得ないですから」


 その変化はもちろん前向きなものです。

 護呪符の研究に行き詰まって視野狭窄に陥り、オーレナングの森に不法侵入したのが既に懐かしく思えます。

 あの頃の自分に、もうすぐお前は体力作りのために身体を鍛え始めるぞ、腹筋がうっすら割れるのを見て鏡の前でニヤニヤしてるぞと言っても信じないでしょう。


「違いない。私もオーレナングでだいぶ変わった。堕ちた聖騎士と呼ばれ、四六時中眉間に皺を寄せていた男が、今や義娘の成長に目尻を下げ、頬を緩ませているのだからな」


「それは素晴らしい変化です。たしかにユミカちゃんの成長には目を見張るものがあります。高い好奇心とヘッセリンク家の家来衆だという自負がそうさせるのではないかと」


 言ったことはありませんが、オドルスキさん、アリスさん、ユミカちゃんは自分の理想の家族を体現しています。

 もちろん自分の故郷の家族が悪いわけじゃなく、両親を尊敬していますが、ここまで愛に溢れてはいません。

 オドルスキさんのお宅に食事に誘っていただいた時には、自分もその一員になったような気がして、幸せな気分に浸れます。


「なんにせよ、健康で元気に成長してくれたらそれでいいさ。あの子を奪おうとする者がいるのであれば、私は鬼にでもなろう」


「ははっ。これはユミカちゃんの恋人になる男性は大変ですね。少なくともオドルスキさんと伯爵様の承認を得なければならないとなると、こんな難事は他にないですよ」


 鬼二匹を相手に立ち回ることを強いられるであろう男性に、心から同情しますね。

 考えただけでも震えが出ます。

 

「まだまだ先の話だ」


「そうですね。可愛い天使がお嫁に行くまではヘッセリンクがユミカちゃんを独占させてもらいましょう」


「ああ、そうだな。……しかし、ここまで魔獣が出るわけでもなく、おかしな仕掛けがあるわけでもなし、か。これをどう見る?」


 そう、あの分岐以外、不気味なほどに一本道が続いているのです。

 壁にも床にも天井にも怪しい形跡はなし。

 もちろん本職の斥候ではないので見落としがあるかも知れませんが、フィルミーさんに教えていただいた知識を総動員した結果、今のところ危険は見当たりません。


「何もないならそれはそれで。安全が確保されているということですから緊急の場合の避難場所として使うことくらいは検討できるのではないでしょうか。ひんやりしているので食料の保存にも向いてるかもしれませんね」


「なるほどな。本当にただの穴蔵だったとしても使い道はあるということか」


 奥様がたくさん召し上がるので、食材の保管場所はヘッセリンク家の解決課題の一つです。

 マハダビキアさんもきっと喜ぶでしょう。

 

 そのあとどのくらい歩いたでしょうか。

 薄ぼんやりした空間で時間の感覚が狂うなか、行き止まりにぶつかりました。

 より正確には、木製のドアが付いているので先に進むことは可能なのですが。


「罠でしょうか」


「普通に考えたらそうだろうな。どうする?

引き返すか?」


 流石のオドルスキさんも慎重な態度です。

 多分、伯爵様なら聞く前にドアを蹴破るくらいはするはずなのでこの冷静さはとても助かります。


「……いえ。進みましょう。ここまでの様子を考えれば、敢えてここで罠を仕掛ける必要はないでしょうし。辿り着かれたくないならここまでになにかしらあるはずですから」


「ふむ。では行くか」


 自分の意見にあっさり頷くオドルスキさん。

 

「いいんですか? オドルスキさんが戻られるならそれに従いますが」


「ここまできて手ぶらで帰るのも癪だ。それに、好奇心が騒いでいるのはお前だけではない。もちろん私だってわくわくしているさ」


 なるほど、オドルスキさんも騎士や父親である前に一男子であると、つまりそういうことのようです。

 お仲間ですね。

 

 意を決してドアノブを回すと、鍵はかかっておらず、ガチャリと音を立ててドアが開きました。

 中はだだっ広い空間が広がっていてここまでと変わった様子はありません。

 ただ一つ。

 空間の中央に人が立っていることを除いて。


「人? こんなところに?」


 自分の呟きに、人……男性は穏やかな微笑みを浮かべながら近づいてきた。

 オドルスキさんが剣の柄にも手をかけていないので敵意は感じられないようです。


「客とは珍しいことだ。こんな辺鄙なところにようこそ、若者たちよ。見たところ、ヘッセリンクの血を引いてはいなさそうだが……」


「無断で立ち入ったことを謝罪いたします」


 頭を下げると、気にするなとばかりに鷹揚に手を振る男性。

 顔は似ていませんが、短い黒髪と浅黒い肌、さらには長身と引き締まった身体が伯爵様を彷彿とさせます。


「なあに、構わないさ。それで? 若者達よ。わざわざこんな暗い地下の穴倉に何の用かな?」


 質問を受けてオドルスキさんが頷きます。

 自分に任せてくれるようなので事情を説明すると、男性は面白そうに目を見開きました。


「ほう。それはそれは。当代のヘッセリンクも馬鹿なことに全力を傾けているのだね。喜ばしいことだ。ヘッセリンクというのはね? とにかく面白そうだと思ったことを全力で追いかけた結果、地位を得た一族さ」


「なるほど。わかる気がします」


 伯爵様も、快楽主義とまではいいませんが、楽しいこと面白いことに舵を切りがちですからね。


「しかし若者たちよ。君らもだいぶ変わっているね。ここは地面に埋もれた閉ざされた場所だろう?普通、こんなところに人がいたら剣を抜いて誰何すいかするものじゃないかな?」


「確かにそうですね。あー。自分はエリクス。当代ヘッセリンク伯爵、レックス・ヘッセリンクに仕える学者です」


「同じく。レックス・ヘッセリンクが家来衆、オドルスキ」


「誰何する前にしっかり名乗れる。いい心掛けだ。では、私も名乗ろうか。私はペレドナ。ペレドナ・ヘッセリンク」


「……ヘッセリンク?」


「待ってください。ペレドナ・ヘッセリンク? いや、そんなはずは」


 オドルスキさんはヘッセリンクの名乗りに引っかかったようですが、重要なのはそちらではありません。


「おやおや。若いのに私の名前を知っているのかな? それはなんとも優秀だ。学者の君には花丸をあげよう」


 男性、ペレドナ・ヘッセリンクは手を叩いた後空中に指で花丸を描きます。

 

「にしても、驚き過ぎじゃないかな? 『あり得ないがあり得る』のがヘッセリンクだろう? まあ、今となっては私が本当にペレドナ・ヘッセリンクだと証明する術もないのだけど」


「エリクス。この御仁を知っているのか?」


「ええ、あ、いえ。知っているのは名前だけです。ペレドナ•ヘッセリンク。その名前は、初代ヘッセリンク伯爵様のものです」

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