第639話 ヘッセリンクマニア
ゲルマニス公から手紙が届いた。
人が足りないからもしよかったら家来衆を分けてくださいという大変失礼なお願いをしてしまったので、もしかしたらお叱りの手紙かもしれないと震える手で封筒を破る。
手紙は二枚あり、一枚目は流麗な文字でこう綴られていた。
『全く驚いた。まさか貴族の中の貴族たる我がゲルマニス公爵家に人を寄越せと文を送るとは。私だから笑って済ませるが、まさかアルテミトス侯などに文を送ってはいまいな? 楽しむことをやめろとは言わないが、その辺りの見極めについてはしっかり行った方がいい。なぜといって貴殿はレプミアの誇る狂人達の頭。決して隙を見せてはならぬ』
怒ってはいないけど、『やんちゃはほどほどにしておけよボーイ?』とやんわり嗜めるかのような文面だった。
そして二枚目。
『ああ、文官が欲しいらしいので近々一人そちらへ送る。我が家では力を発揮できずにいる若い者だから遠慮は無用。煮るなり焼くなり好きにしてくれ。名はオライー。オライー・ゲルマニス。私の弟だ。 親愛なる狂人殿へ愛を込めて。ラウル・ゲルマニス』
あ、なんだかんだ言いながら人出してくれるんだ。
弟さんを派遣してくれるなんて流石はゲルマニス公、太っ腹だぜ!
【現実逃避、よくない】
いやいや!
だってゲルマニス公の弟って!
由緒正しき華麗なる一族の一員じゃないか!!
え、あの人オドルスキより少し上くらいだよね?
その弟さんだから三十半ばくらいか?
働き盛りだねやったあ!
【一人では抱えきれない情報なのでいけにえ……仲間達と共有しましょうか】
いけにえって四文字はっきり口にしてるけどね!
しかし情報共有は大事なことなのでコマンド君の意見を採用することとします。
呼び出したのはハメスロット、エリクス、デミケルの文官三人衆。
取り乱したことなどなかったことにして、余裕綽々の態度で手紙を読むよう促した。
「ただの悪ふざけだったんだが、まさか返事が来るとは。まったく困った方だなゲルマニス公は」
僕が軽く肩をすくめてみせると、ハメスロットがため息をつきながら苦い顔で首を横に振る。
「だからおやめなさいと申し上げたでしょう。不敬を承知で申し上げれば、悪ふざけという点においてはヘッセリンク伯爵家に勝るとも劣らないのがゲルマニス公爵家です」
「馬鹿な。我が家は何をするにも本気だぞ?」
「ほんの数秒前に悪ふざけだったと仰ったように記憶しておりますが」
すいませんでした。
うわべの余裕じゃ内心の動揺を隠し切れないらしい。
本当に偉い人相手に悪ふざけなんてするもんじゃないね。
「それはそれとして。ゲルマニス公爵閣下御自らの推薦とは恐れ入る。しかもそれが家来衆ではなく親類縁者ときた」
親類縁者どころか弟さんだってさ。
可愛い弟をオーレナングなんて魔境に送り込むなんて悪い兄貴だよゲルマニス公は。
ハメスロットも近い感想を抱いたようで今度は首を縦に振る。
「あの文の内容を見たラウル・ゲルマニス様が推薦してくるだけでも身がすくむというのに弟様とは。心踊るとはとても言い切れません」
エリクスやデミケルも思ってもみなかった大物が後輩になるかもしれない未来に思いを馳せているのか無言だ。
主に僕のせいで重くなった空気を軽くするため、努めて明るいトーンで文官トリオに笑いかける。
「なあに。後ろ向きになる必要などない。それこそあのゲルマニス公が送り込もうとする人物だ。能力に疑う余地はないだろうからな」
「そこは問題ではございません。危惧しているのは人的な面でございます」
ですよねー。
ゲルマニス公爵家ともあろうトップオブトップの貴族が弟さんをヘッセリンクに?
そんな島流し的なムーブに何か理由があるとすれば、人間性の部分な可能性は否定できない。
幸い、煮るなり焼くなり好きにしろとお墨付きはもらっている。
なら、もしなにかしらの問題を起こすようならお帰りいただくし、あまりにも度を越したアクションを見せたりしたなら……、言葉どおりに煮たり焼いたりすることにしよう。
【ヘッセリンクの悪ふざけがきっかけで煮たり焼いたりされるのは流石に不憫すぎます】
冗談だよ冗談。
「あまりに酷いようであれば送り返すだけだ。まあ、矯正の余地があれば色々やりようはある。そうだろう?」
マハダビキアとビーダーのご飯を食べさせて温泉につかったあと、ユミカにご挨拶してもらえば大抵の生き物はイチコロよ。
そんな算段を立ててニコリと笑いながら宥めてみたものの、ハメスロットはなぜか苦い顔のままだ。
「確かに。いかにゲルマニス公爵家の縁者でも一昼夜森に放置すれば心折れるでしょう。しかし、あのゲルマニス公爵家相手にあまり行き過ぎた手段は……」
おかしいな。
誰もそんな荒い手段に訴えようなんて思ってないんだけど。
「ハメスロットよ。僕と仕事をして何年になる? そんなことするわけないだろう?」
「と、伯爵様は仰っていますが、仕官のためにオーレナングを訪れた初日に森に連れ出されたデミケルさんはどうお考えかな?」
おっと。
経験者に聞くのは反則だぜ文官筆頭。
ほら、話を振られたデミケルも困って、困って……ないな。
満面の笑みだ。
「ええ、まさに人生の転機とはあの瞬間を指すのでしょう。私はあれで覚悟が決まりました。そう、ヘッセリンク伯爵家に命を捧げる覚悟が」
なんだろう。
澄んだ瞳と落ち着いた口調なのに、胸がざわざわしますねえ。
「ハメスロット。デミケルについてはもう少し我が家を俯瞰して眺めるよう指導しておいてくれ」
デミケルの指導を丸投げすると、上司のおじ様が薄ら笑ってみせる。
「難しいことをおっしゃる。デミケルさんは物心ついた時にはもうヘッセリンクという言葉を知っていたという筋金入りです。それを矯正するなど、とてもとても」
そうだった。
この子のおじいちゃん筋金入りのヘッセリンクマニアで、グランパの英雄譚をお伽話代わりにしてたんだった。
「家来衆に対して忠誠心を抑えろと指示する貴族もまた珍しいのだろうが、何事も行き過ぎはよくないからな?」
もうちょっとフラットな目で見てくれていいんだよ?
ヘッセリンクだからなんでも正しいなんてあるはずないんだから。
そんな風にやんわりと諭す僕。
諭された強面若手文官の瞳はなぜか、さらに透明度を増していた。
「伯爵様。ゲルマニス公爵家からどのような人材がやってこようと問題はございません。若輩者が生意気を言うようではございますが、どうかこのデミケルにお任せを。しっかりと、ヘッセリンク伯爵家とは何かをお伝えいたしますので」
「ハメスロット、目を逸らすな。いいか、絶対に手綱を緩めるなよ? エリクスもだ。僕が欲しいのは優秀な文官であって、狂信者ではないと改めて伝えておくぞ?」
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