第638話 ヘッセリンクからのお手紙 ※主人公視点外

 部下達の訓練を終えて風呂を使い、たまには酒でも飲もうかなどと考えていると、長い付き合いのメイドから主が呼んでいると報告を受けた。

 珍しい。

 最近では護衛以外で私に声をかけることなど殆どなかったというのに。

 この時間帯の呼び出しとは、お忍びで飯でも食いに行くつもりだろうか。

 その場合は止める義務も権利もないのでついていくだけだが、メイド達にはそれとなくわかるよう目印を残しておかねばなるまい。

 

「どうした主よ。ニヤニヤと気色悪い」


 部屋に入ってまず目に入ったのが、つまらなそうな顔をしているのが基本形のはずなのに、面白いことが起きたとばかりに笑みを浮かべているラウル・ゲルマニスだったのだからいい予感がするわけもなく。

 思わず私がそう言うと、大袈裟に肩をすくめたものの笑みは一層深くなった。


「不敬が過ぎるぞダイファン。まあ、頬が緩む程度に楽しいことがあったのは間違いないがな」


「ほう。生まれてからの大半を仏頂面と作り笑いで過ごしてきた我が主から楽しいなどという言葉を聞くとは。これから雪でも降るのかな?」


 明日は部下を連れて近くの山に訓練のため足をのばそうと思っていたのだが、予定の組み直しが必要なようだ。


「不敬に不敬を重ねたとて罪が軽くなるわけではないとだけ言っておこうか」


 私が不敬なのは昨日今日始まったことではないし、二人で話す時は雑な言葉で構わないと許したのも主自身なので勘弁してもらおう。


「見てみろ。狂人殿から手紙が届いた」


 そう言って渡された手紙に押されていたのは、積み上げられた金塊という、ゲルマニス公爵家とは別方向に趣味の悪い印。

 

「ヘッセリンク伯爵家……、レックス・ヘッセリンクから? 最近も各所で暴れ回っているらしいと言っていなかったかな? それが我が主宛に連絡を寄越すとは。お世辞にも腕力面では頼りにならないだろうに」


 主であり私の弟子でもあるラウル・ゲルマニスに腕力的な魅力は一切ない。

 にも関わらず、腕力に全ての能力を振ったようなヘッセリンクが文を?

 

「いかに狂人殿といえども俺に一緒に暴れようなどとは言ってこないさ。なんでも、人材を引き抜きたいから燻ってそうな家来衆がいたら推薦してくれ、だと」


 愉快愉快と腹を抱えて笑う主。

 しかし、主ほど貴族の世界に染まっていないただの武人である私にはまったく理解できない。

 色々言いたいことはあるが、絞り出したのはたった一言だ。


「……イカれているのか?」


 護国卿という、私達武人の頂点に立つ立場にある方に対して不敬なことは重々承知したうえで、それでもそう言わざるを得ない。

 

「正しくイカれてるんだろうさ。上位者宛にこんな手紙を送ってくるレックス殿のらしさに触れ、楽しくなっていたところだ」


「まさか手当たり次第にばら撒いているわけではないだろうな」


 主だから笑い話で受け止めているが、これが冗談の通じない、それこそヘッセリンク伯爵家をよく思っていない貴族にも同じような文を無差別で送っているとすれば、またぞろ十貴院での吊し上げがあってもおかしくはない。

 

「それも面白いところだ。読んでみろ。最後のあたりだ」


 主が示した部分に目を走らせる。

 一度ではなく、二度、三度と。

 

「……仲のいい相手にしか送っていない、という理解でいいのだろうか」


 そうとしか読めないような一文が記されていた。

 曰く、『送る相手はちゃんと選別しているから心配しないでくれ。笑って許してくれないような相手には送っていない』らしい。

 

「貴族の中の貴族と呼ばれるゲルマニス公爵を捕まえて、仲良し扱いとは。頭を割って中を覗いてみたくなる」


 きっといい音で割れてくれることだろう。

 まあ、そのためには鏖殺将軍や新進気鋭の若き死神達の守りを潜り抜けなければならないのだが。


「割って覗いたところでまともな人間には理解できないさ。それどころか、狂人殿なら眉間に皺を寄せて首を捻る凡夫どもを笑顔で眺めながら、平気で割れた頭を元に戻して見せるだろうよ」


 大いにあり得るが、それはただの化け物だろうと呟くと、それを聞き逃さなかった主が皮肉げに唇を吊り上げる。


「特定の人間の異常性を伝えようとするあまり、どうしようもなく化け物じみた表現になることなどよくあることだ。カナリアの爺さんやレックス殿などはその最たるものだな」


「カナリア公も?」


 確かに存在自体が化け物じみてはいるが、それでもヘッセリンク伯爵ほどではない。

 私の考えていることがわかったのか、そこじゃないと言いながら首を振る主。


「どう考えても千人斬りなどという二つ名が付くなんて正気の沙汰じゃない。十分な化け物だろう」


 それは確かに。

 そちらの世界では間違いなく化け物の一人だ。


「しかし、どうするつもりだ主よ。燻っている人材と言われても対応に困るだろう」


「そうだな。ただ、今のヘッセリンク伯爵家になら、我が家の縁者を一人くらい送り込んでも損はないと思わないか?」


 驚いた。

 あらゆる動きを計算の元に行い、利益にならないものは躊躇いなく切り捨てて生きてきたラウル・ゲルマニスともあろう男が、あのヘッセリンク伯爵家をそこまで高く評価しているとは。


「当代ヘッセリンク伯爵殿を気に入っているのは知っていたが、そこまでとは。……、いや待て。縁者だと?」


「くっくっく。面白いことになりそうだ。喜べダイファン。これで当面は退屈せずに済むぞ」

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