第86話 プロフェッショナル

「エリクス、わかるか? この踏みしめられ方。その範囲や沈み方でおおよそのサイズや種類に見当をつけるんだ」


 フィルミーが傍目には何の変哲もない地面を指差すと、その地点に寝そべって地面スレスレに視線を合わせたまま動かなくなるエリクス。

 やがて何か納得したように頷き、服についた土を叩きながらゆっくりと立ち上がる。


「なるほど。足跡だけじゃなくて魔獣の通った後の地面の陥没具合や落ち葉なんかの広がり方で判断するんですね。しかし、これは難しいな……」


 相変わらずの癖のある天パを、ガシガシと悔しそうに掻き回す姿を可笑しそうに見ていたプロ斥候が、励ますように肩に手を置く。

 男臭さがフィルミーの渋さを引き立たせるね。


「今日は初日だからね。追々覚えていけばいいさ。私だって魔獣に特化した索敵に取り組み始めて日が浅い。教えられることは限られると思うが、わからないことがあれば聞いてくれて構わないよ」


 言われてみればそうだな。

 フィルミーはアルテミトス侯爵領軍所属の斥候隊長だった。

 対人の索敵に長けてるのはもちろん、魔獣の索敵もできるんだなー、すごいなーなんて簡単に思ってたけど、転籍してからとんでもない努力をしてたんだな。

 

「ありがとうございます。自分の底辺に近い身体能力では、腕力でヘッセリンク伯爵家に貢献できません。だけど、頭を使う仕事ならお役に立てるはずなので。それに、新しいことに挑戦するというのはいつでもワクワクするものです」


 この日、エリクスは何を思ったのかフィルミーに斥候の、より詳しくは魔獣に関わる索敵の技術を教えてくれと頭を下げた。

 

「自分の役割は文官兼護呪符研究者で

、この先も伯爵家に置いていただける限りはその職を全うする所存です。ですが、やはりヘッセリンク伯爵家は護国卿を当主とする武の名門。その家来衆である限りは戦闘行為のなかで役立つ技術を身につけないでいることはできないと、そう思ったのです」


 うん、武の名門で人材が偏ってるからエリクスのような非戦闘員を雇用したのであって、戦闘に役立つ技術を身に付けなくてもちゃんと給料を渡すぞ?

 それと、索敵ならメアリとクーデルもフィルミーに師事してるから。

 森に入るにあたっては正確な情報収集ができる人員が増えるのはありがたいことだけど、雇用主としてはエリクスにはそっちじゃない分野でご活躍願いたいところだ。

 しかし、そんな若者の熱意を否定しないのが兄貴系斥候のフィルミー。

 優くも男臭い笑顔を浮かべながらエリクスに一つ頷いて見せる。


「立派な心掛けだと思うよ。ヘッセリンク伯爵家の家来衆はそれぞれの専門分野において高い能力を有している、いわばその道のプロの集まりだ。ジャンジャック殿なら土魔法、オドルスキ殿なら剣術。クーデルやメアリは気配のコントロールが達人の域にあると言っても過言ではない。ハメスロット殿の内部統制やマハダビキア殿の調理技術も国内では有数だろう」


 他にもエイミーちゃんの力と魔法を両立させた戦闘スタイル、アリスのハウスキーピング能力、イリナの服飾に関する知識も目を見張るものがある。

 まあキンキラギラギラした服を着せようとするのは勘弁してほしいけど。

 そうそう、忘れちゃいけないのがユミカだ。

 あの子の癒しの力と、ユミカという沼に引き摺り込む魅力こそ国内、いや世界有数だろう。


「仰るとおりですね。読んで字の如く、少数精鋭といった印象です。もちろん、その最たるは伯爵様ご自身の召喚術なのでしょうけど」


「それを言うなら護呪符という分野ではお前がトップランナーの一人だろう、エリクス。文官としての成長についてもあの堅物ハメスロットが太鼓判を押す水準だ」


 ハメスロットがエリクスを褒めるたびにエイミーが複雑そうな顔をするんだよな。

 一回なんかはエイミーがハメスロットに、私は褒められたことなんかないのにと伝え、お嬢様はそんなに出来のいい生徒じゃありませんでしたからとバッサリ斬り捨てられて愕然としてたからね。

 エイミーに対してだけハメスロットの主従センサーがバグることがあるんだよなあ。


「お師匠様は絶対に直接は褒めてくださいませんので嬉しいです。しかし、護呪符に関しては自分の専門分野ですし、文官としての仕事も立場を考えれば熟してしかるべきもの。路頭に迷いかけていた自分を取り立ててくださった伯爵様のため、さらに貢献するためにはと考えたとき、最低でももう一つくらいは出来ることを増やしたいと思っていたのです」


 ただでさえ護呪符なんていうマニアな分野をひた走るレアキャラなのに、さらに付加価値つけようとしてるのか。

 文官としても扱かれて、本業の研究もして、森に出て戦闘に加わって、なおかつ斥候を学ぶ?


「なんというか、真面目なのはお前の美点だが、真面目が過ぎるのは感心しないぞ? 僕は家来衆を不眠不休で働かせるようなブラックな雇い主にはなりたくないからな」


「承知しています。どんな分野でも一朝一夕で身につくものではありません。ですが、斥候という分野は繊細な洞察力と膨大な知識を必要とする点が、護呪符の研究と通じるものがあるように思います。それに、剣を振ったり微々たる量の魔力を練る努力をするよりも貢献できる可能性が高いと判断してのことです。少しずつ時間をかけて習得を目指したいと思います」


 真面目というか、一本気なんだよなこの子は。

 なんせ子供の頃に故郷を豊かにすると決めてから一貫してその夢に向かって歩き続けてるんだから頭が下がる思いだ。

 言い出したら聞かないタイプなのは明らかなので、周りに気をつけて見ておいてくれるよう伝えておこう。


「エリクスについては私やハメスロット殿が無理はさせないように見張っておきますのでご心配は無用です。むしろ伯爵様はメアリの頑張り過ぎを叱ってやってください。彼は一つどころか二つも三つも出来ることを増やそうとしているように見えます」


「メアリか。もっと肩の力を抜いて、ついでに手も抜くくらいでちょうどいいんだがな。伯爵家のために、という意識が強すぎるのか、休めと言っても言うことを聞かん。困ったものだ」


 うちの若手は聞かん坊ばかりだな

 その理由が我が家への忠誠心から来てるとなれば雇用主として文句も言えないが……


「メアリさんの場合、忠誠心のありかは伯爵家というよりも伯爵様個人ですけどね……」


「だから余計に強く言えないのだがな。あいつに言うことを聞かせることができるのは、ジャンジャックとアリスくらいさ。あとはクーデルを張りつかせて強制的に動けないようにするか、だな」


「メアリさんのストレスが凄そうですのでやめてあげてください!」


 僕の案にエリクスが悲壮な声をあげる。

 うちに来た当初は美少女クーデルに想いを寄せられる美少女(男)メアリを羨ましく思っていたらしいが、頭のいい彼はすぐに『これは違う』と気づいたようだ。

 

「うん、僕もそこまで鬼じゃない。積極的に可愛い弟分に嫌われるような真似はしないさ」

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