第606話 執事対談VOL.2 ※主人公視点外
「いやあ、強い強い。流石は最悪のヘッセリンク『毒蜘蛛』様です。まさかここまでボロボロにされるとは」
包帯でぐるぐる巻きにされたジャンジャック殿がベッドの上でケラケラと笑うのを見て思わず頭が痛くなる。
修行のためカナリア公爵領に旅立った伯爵様から、戻るにはもうしばらくかかるだろうという文が届いたその日のことだった。
先代様との修行のために地下に降りていたはずのユミカさんが青い顔をして屋敷に駆け込んできたのだ。
曰く、お爺様が死んじゃう!、と。
お爺様。
ユミカさんがそう呼ぶのは、当代ヘッセリンクの最高戦力ジャンジャックさんを置いて他にない。
そのジャンジャックさんが死んじゃうとは一体。
理由はわからないがとにかく緊急事態には違いないため、ステムさんを屋敷の守りに残し、オドルスキ殿、フィルミーさん、ガブリエさんを地下に急行させる。
そこで三人が見たのは、信じられないほどの手傷を負い、地面に転がるジャンジャック殿だったらしい。
地上最強に近い生物を沈めた犯人は、三代前のヘッセリンク伯爵家当主。
『毒蜘蛛』ジダ・ヘッセリンク。
『毒蜘蛛』は、あまりの光景に息を呑む三人に向かってこう言ったそうだ。
『ちょうどいいとこに来た。この若造、邪魔だから持って帰れ。ああ、怪我治ったら反省会に付き合ってやるから顔出せって伝えといてもらうのと、そうだそうだ。可愛い嬢ちゃんには怖え思いさせてすまねえって謝っといてくれや』
その場にいた先々代様も先代様も、無言で首を横に振るだけだったとか。
「いや、何発かいいのが入って地面に転がすことができたんですよ。あの『毒蜘蛛』様に拳が届いた。これは快挙です」
包帯でよくわからないが、声の弾み方からしてニコニコ笑っているんだろう。
まったくどうかしている。
「笑い事じゃありませんよジャンジャック殿。ユミカさんが泣きながら駆け込んできた時は何事かと。子供の教育に悪過ぎるので迂闊な真似はおやめなさい」
「おや、叱るのはそこですか? てっきりレックス様の言いつけを破ったことをきつく叱られると思ったのですが」
伯爵様の言いつけ?
ああ、歴代当主方との手合わせ禁止とかいうあれですか。
「そのような言いつけ、元より貴方が守れるなどと思ってはいませんよ」
絶対いつか我慢できなくなる。
それは私だけではなく、申し渡した伯爵様ですらそう思っていたようだから驚きはない。
むしろよくもったほうだろう。
地下に崩落の恐れもないようなので、特段問題はない。
「これは手厳しい。まあ、実際そのとおりになってしまったのですから反論の余地もありませんがね」
「ガブリエさんを走らせていますのでじきに癒しを使える水魔法使いを連れて帰ってくれることでしょう。それまでお願いですから大人しくしておいてください」
自然に治ると本人は言うが、馬鹿を言ってはいけない。
いくら若々しいとはいえ私より少し歳上なのだ。
これを機に自分が年寄りなのだと自覚してもらわなければ。
「鏖殺将軍と呼ばれていた私も、ここまでコテンパンにやられてはやんちゃのしようがありませんとも」
「だといいのですが。貴方はヘッセリンク以外で最もヘッセリンクに近い男ですからね。そういう意味ではまったく信用なりません」
私がため息を吐くと、全身包帯姿のジャンジャックさんが首を傾げた。
「ハメスロットさん。もしかして、私が想像しているより怒っていますか?」
「怒ってはいませんが呆れてはいます。なぜそれだけの大怪我を負ってなお笑っていられるのかと。普通なら怯えた表情の一つもみせるところでしょうに」
ヘッセリンクに転籍してきてからというもの、これだから戦闘狂はと嘆息する日々だが、この同世代の英雄は本当にひどい。
歳を取れば命の燃やし方は当然緩やかになるものだが、目に見えて激しさを増しているのだから。
そんな姿を見ると、私まで年甲斐もなくワクワクしてしまうので本当に早く落ち着いてほしいものだ。
「おや、笑っていますか? そうですか。きっと、強い相手と戦えるのが嬉しかったんでしょうね」
「他人事のように」
「くっくっく。失礼。いや、ジーカス様の生前は試合う機会が多々ありましたが、それはあくまで模擬戦でした。しかし、『毒蜘蛛』様は違う。あの方は、初手からこちらの命を奪うための攻撃を仕掛けてきた」
だからなぜそれで笑っていられるのか。
若い頃ならいざ知らず、今は比較的平和な世の中だ。
命のやり取りなんて頻繁に起きたりはしないというのに、まるでそれを求めていたと言わんばかりの言い振りに再び頭が痛くなる。
「私はね、ハメスロットさん。おそらく今が人生で一番強いと確信しているのです」
そして告げられたのは、到底信じ難い言葉だった。
「まさか。こう言ってはなんですが、お互いもう引退してもいい歳ですよ?」
そんな歳で最盛期とは。
神や時間など、人の身では到底抗えない様々なものに抗ってもそんなこと起こり得ない、はずだ。
「自分でも不思議でなりませんが、事実です。感覚的なものなので証明できませんが、間違いありません。ただ、その私をもってしてもこの有り様。笑ってしまうでしょう?」
「だから笑えないと言っているでしょう」
最盛期だというならもっとマシな状態で帰ってこいよと思わなくもないですが、あの最悪のヘッセリンクと名高い『毒蜘蛛』相手にこれで済んだことがその証明なのかもしれない。
「そうでしたね。ただ、ああ生きているなと思ったわけです。そして、まだまだ先があるぞと希望が湧いた。これだから」
「これだからヘッセリンクはやめられない、ですか」
「おや、よくわかりましたね」
「酔った時の貴方の口癖です。もう何度聞かされたことか」
歳の近い者同士よく酒を飲むが、ほろ酔いになると必ずこれを口にする。
その表情の楽しそうなこと楽しそうなこと。
これが若者のいる席では口にしないのだから、私には同世代の連帯を感じてくれているのだと嬉しく思ったりもする。
「幸いオドルスキさんも戻っていますし、フィルミーさん、ガブリエさん、ステムさんで有事の対応は事足りるはず。貴方は大人しく寝て過ごしてください」
「そうさせてもらいますよ」
「ああ。それとユミカさんにはちゃんと謝りなさい。すごく強いと信じて疑わなかった大好きなお爺様がぼろぼろにやられるところを目の当たりにしたのですから」
私がそう言うと、反省するどころか頭を上げ、誇らしげに胸を張るジャンジャック殿。
「謝りはしますが、あの子は心配いりません。怯えながらも私達の戦いから一切目を逸らさなかった。大物ですよ我々の天使は」
そういうことじゃないのだが、伝わらないなら仕方ない。
アリスさんあたりから改めて叱ってもらうとしよう。
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