第379話 爺やVS爺や 主人公視点外
本業はメアリさん達と同業と思しき同年代の男の拳を受け止め、間髪入れずに殴り返すと、首を捻って避けたうえにさらにもう一発拳が飛んできました。
部屋から追い出すために殴りかかった時から感じていましたが、このトーレと呼ばれた執事服の彼は、かなりの使い手のようです。
殴ればすぐに殴り返してきますし、敢えて隙を作って誘ってみても、釣られもせずこちらの動きを注意深く観察してくる。
いやあ、この歳になってこれほどの強者と巡り会えるとは素晴らしい。
これだからヘッセリンクの家来衆はやめられない。
トーレさんは短剣を身につけているようですが、それを抜こうとはせず、使うのは己の身体のみ。
であれば、私も剣を納めたまま魔法も行使せず、拳での語らいに付き合うのが筋というものでしょう。
「いいですねえ。人間としっかり殴り合うなんて久しぶりです!」
歯応えのある相手についつい楽しくなってしまいそんなことを口走ると、仏頂面を貫いていたトーレさんも微かに口元を吊り上げて言います。
「奇遇だな。私も魔獣共以外の敵と戯れるのはいつ以来か、思い出せないくらいだ!」
一つ二つ三つと続け様に放たれる拳を避け、弾き、受け止める。
一発一発にはっきりとした強い殺意が込められていて、その意思が拳の重さに反映されているかのように、受け止めた瞬間ずっしりと私の骨身に響いてきます。
決して魔獣との闘争に飽きていたわけではありませんが、やはり対人、しかも最悪壊してしまっても構わない敵との戦いは別格。
それが軟弱な相手ではなく、適度な水準の強者であればなおさら楽しむなというほうが無理でしょう。
出発前に半分冗談で鏖殺の名を背負っていた時の姿を見せると軽口を叩きましたが、それが図らずも実現してしまいそうなのだから人生というのは不思議なものです。
「たった五人であの森を抜けたというのも、あながち虚言ではないのかもしれないな」
お互い距離をとったところでトーレさんが言います。
証明する手立てはありませんが、事実なのだから仕方ありません。
「事実だと保証しますよ?」
笑顔でそう伝えると、嫌そうに肩をすくめるトーレさん。
意外と表情豊かではありませんか。
「当事者の保証になんの意味がある」
「それはそうですね。まあ、五人いれば充分だということです。舐めているとか、見下しているとかそういうことではないので気を悪くしないでください。純然たる事実を語ったまでですから」
粗悪品の護呪符もどきを頼って兵を無駄死にさせることでしか森を抜けることができない国とは違うのですよ、と言外に含ませると、しっかり意図が伝わったようで苦い顔をさらに顰めてくれます。
戦闘しか能のない馬鹿ではないようですね。
「貴様といい、あの奥方といい、好戦的なものだ。楽園に住まう者の気質か?」
その質問への回答は簡単です。
「私が好戦的なのは、仰るとおり気質ですね。ただ、奥様は違う。今回、どこかの夢見がちな阿呆共が愛する夫の領地に土足で侵入し、あまつさえ兵士に怪我を負わせた」
奥様は、レックス様を深く、それはもう深く愛しておいでですが、我々家来衆にも惜しみない愛を注いでくださっています。
今回はその家来衆の一部である領軍の兵が怪我を負った。
この一点をもってしても奥様がお怒りなるには充分です。
「さらには、夢見がちな阿呆の飼い犬である世間知らずのボンボン貴族が頭も下げずに敵対を選んだのです。普段は日向ぼっこ中の猫のように穏やかな奥様が怒り狂うのは当然でしょう」
昼寝中の猫の尾を踏んだのだから、噛みつかれても文句は言えません。
「飼い犬? 世間知らずのボンボンだと? 口を慎め。アラド様への暴言はこの私が許さん!」
それまで極めて冷静だったトーレさんの顔が、怒りに染まります。
ふむ、ここがツボでしたか。
なんとも浅い。
「許さんと言われましても、事実を申し上げたまで。哀れなピデルロ伯爵様に許された正しい選択肢は、黙って我々を通すことだった。だと言うのに敵対を選んだのは自らの力を過信したからに他なりません。愚かであり、滑稽なことです」
唇を吊り上げてそう感想を述べて見れば、先ほどまでと同一人物とは思えないほど取り乱し、声を荒げました。
「貴様にアラド様のなにがわかるというのだ! あの方を中央の俗物と同列で語るな! いいか、よく聞け」
話など聞く義理はないので面倒だと伝えるためにヒラヒラと手を振っておきます。
獲物の自分語りなど聞いたところで未来は変わらない。
「結構です。そちらの事情になど一切興味はありせんからねえ。私は我が主人のためにあなた方ピデルロ伯爵家を擦り潰すと決めております。ああ、先ほど私が好戦的なのは気質と言いましたが、もちろん相応に腹も立てていますよ? なので、手加減は致しかねますので悪しからずご了承くださいな」
「減らず口を! いいだろう。貴様の首を我が主人アラド様に捧げる供物としてやるわ!」
世間知らずのボンボンと評しましたが、この男がこれだけの忠誠を捧げているのだから、ピデルロ伯爵様は若いながら一廉の人物であることが窺えます。
トーレさんのピデルロ伯爵様への忠誠を別の言葉で表すならば、狂信。
恐らく、伯爵様が幼い頃から側に仕えている爺やのような立ち位置なのでしょう。
思いがけず、同じような立場の我々が殺し合っているというのも、皮肉の利いた素敵なお話ではありませんか。
ただ、狂うという一点については、我々ヘッセリンクも譲ることができません。
どちらが主人に対して狂う程の忠誠を誓っているか、腕力で証明しすることにしましょう。
「それが世間知らずだと言っているのです。こちらの主人は貴方の首などいらんと仰るでしょうから、打ち捨てていきますよ? 魔獣の餌となることを恨むなら、楽園などとありもしないものを手に入れようとした夢想家どもを恨みなさい」
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