第234話 breaktime ※主人公視点外
過去の国境線の戦いで我が国が敗れたのは、レプミアが汚い手を使ったからではなかったのか。
当時の騎士団が脆弱だったからではなかったのか。
話が、違う。
思い返せば、我が国の老人達はレプミアを必要以上に恐れ、長年接触を避けるよう逃げ続けてきた。
なにかにつけてレプミアに関わるな、あの国には悪魔と怪物がいると囀る老人どもに辟易していたのは私や同世代の貴族達だけではない。
敬愛する国王陛下も同じように考えていらっしゃることを知るに至っては、我々の手で過去の屈辱を雪ぐのだと、そう固く誓ったのを昨日のように覚えている。
例に漏れず弱腰の父を隠居に追い込み、リュング伯爵の座に就いてからも西国と我が国の老害どもへの憎しみが消えたことはない。
むしろ、その炎は勢いを増すばかりだ。
私が思い切ってしてのけたのを見た同輩達も、リュング家に続けとばかりに次々に当主の座に就き、気付けば私達の世代は稀に見る黄金世代と目されるようになっていた。
陛下は仰った。
雌伏の時は終わったと。
そう遠くないうちに、ブルヘージュはレプミアとの闘争に打ち勝ち、その勢力を西側に伸ばすことになるだろうと。
あの日乾杯した酒の味を私は決して忘れない。
昨日、西国のさらに最果てに辿り着いた途端に無理やり飲まされた、『秘酒鏖殺』とかいう酒精を研ぎ澄ませた悪意の塊のような酒のせいで若干朧げになってしまっている気がしないでもないが、決して忘れない。
ケチのつけはじめは、友好の使節団などという嘘くさい名目でやってきた西国の貴族と出会ったことだ。
特に、あの見た目だけは紳士然とした男。
明らかに歴戦の武人だろう使節団の団長では流石に分が悪いと、私が仕掛けたのは比較的穏やかな佇まいの、副団長を名乗る男だった。
聞けば、老人達が恐れる西の果ての怪物、ヘッセリンクに娘が嫁いでいるとか。
そんな化け物に娘を嫁がせるとは薄情な親がいたものだ。
いや、もしや娘がとんでもない醜女だったか?
そう言って笑った私に男が歩みよってきたのを見て、内心ほくそ笑んだものだ。
身内を貶されたくらいで心を乱すとは西国の貴族など恐るるに足りぬ。
そんなことを考えた私の心は、次の瞬間に叩き折られることになる。
「そんなに模擬戦をご所望なら、これからやろうではないか。なあ、小僧」
目の奥に闇を湛えて囁いた紳士は、私の返事を待たずに有無を言わさず軽快に頬を張ってきた。
往復で。
しかも二度も。
想像以上の痛みとそれを上回る恐怖で膝をついた私の襟首を掴んで引き寄せると、男は背筋が凍るような声色で囁いた。
「相手が私で良かった。これが義息だったら、今頃命はなかったかもしれませんぞ? 今後は考えなしに挑発などされないことをお勧めする。上手に煽ったおつもりだろうが、レプミア基準なら下の下と言わざるを得ない」
その顔にあったのは嘲り。
この私が、はっきりと見下されたのだ。
そう頭で理解しても反論する気すら起きず、震える足を叱咤し、模擬戦の日取りが決まったら追って伝えると言い残し逃げるように奴らの宿を後にすることしかできなかった。
なんと情けないことだろう。
腑が煮え繰り返るような怒りを鎮めるためには模擬戦で完膚なきまでに西国側を叩きのめすしかない。
そのために国中の勇士を選抜し、盤石の面子を揃えて再びレプミア側の宿を訪ねると、既に旅立ったというではないか。
やられた。
奴らには、始めから模擬戦などするつもりはなかったのだ。
このまま国境を跨がせてはリュング伯爵家の、ひいてはブルヘージュ王国の恥だ。
逃してなるものかと必死に馬を飛ばし、レプミアとの因縁の場所、嘆きの丘付近でその姿を捉えることに成功した。
しかし、私はまたしてもレプミアの怪物達に恐怖を刻み込まれることになる。
西の果ての怪物ヘッセリンクに仕える男が放った魔法。
それは、老人達の昔話によく登場する流れ星。
聞いていた話と違い、降ってきた星はたった一つだったが、それは嘆きの丘の抉れた部分を的確に捉え、そこに新たな傷を刻み込んだ。
岩石が山肌に突き刺さる光景を目の当たりにした私は、恐怖のあまり意識を保つことができず、結果的にレプミアの使節団を取り逃すことになった。
その後、陛下の命で同輩達とレプミアとの国境沿いに出陣したものの、結果は惨敗。
御自ら出陣された陛下をはじめ、側近と呼ばれる同輩達もことごとくがレプミアに捕縛されてしまう。
戦場に似つかわしくない、薄笑いを浮かべた上半身裸の男達に囲まれる恐怖が伝わるだろうか。
陛下を守る騎士達も為す術なく討ち取られていき、頼みの聖騎士すらも子供扱いされたのを見てようやく、老人どもが言っていたことが正しかったのだと理解した。
国が傾くのではないかと血の気が引く額の身代金を支払い無事に領地に戻ってからも、我が国の力を知ったレプミアが攻めてくるかもしれないという恐怖に怯える日々が続いた。
しかし、西側にそんな気配は全くなく、少しずつ平穏な日々が戻ってきた頃。
それは突然やってくる。
西の果ての怪物、レックス・ヘッセリンクが、戦場でも見せた化け物達を連れて我が国を訪れ、しかも真っ直ぐに北上しているというではないか。
案の定、そう時間を掛けずに我が領地にやってきたレックス・ヘッセリンク。
奴が従える見たこともない怪物達、特に双頭の猿と骨の竜という、それこそ御伽噺にしか登場しないような生き物の姿に、領内は大混乱に陥った。
そんななか、楽しげに私の名を呼びながら街を行進しているらしい悪魔のような男。
数ある貴族領のなかでなぜ我が家なのだ!
そう叫びたくなる気持ちを抑え、髪が乱れることも気にせず一心不乱に走って男の元に辿り着くと、私に気付いた怪物の主は親しげに手を振って見せた。
「やあ、リュング伯。お邪魔しています。いやあ、素敵な佇まいの街ですね。私の領地なんて、ほとんどが鬱蒼とした森なのですよ? それに比べてこちらは風光明媚でうらやましい限りだ」
「何をしに来たのだ! こんな、こんな怪物達をこれみよがしに従えてくるとは!」
「これはひどいことを仰る。こんなに可愛い子達を捕まえて怪物とは、まったく見る目がない。お前達もそう思うだろう?」
レックス・ヘッセリンクの呼びかけに応じて咆哮を上げる怪物達。
領民達は腰を抜かし、神に祈りを捧げる者までいる。
そんな光景を可笑しそうに見つめる悪鬼は、再び視線を私に戻して言葉を紡ぐ。
「何をしに来たかと聞かれましたが、基本は散歩のつもりです。先日お邪魔した時にはゆっくりできませんでしたからね。せっかくだからブルヘージュを隈なく歩こうかと」
「散歩だと? これのどこが! どう考えても示威行為ではないか!」
「私は散歩だと言ったぞ? それをどう取られるかは、まあ貴殿にお任せしよう。それと、リュング伯には個人的にお伝えしたいことがあって寄らせていただいたのだ」
薄ら笑いとは言え笑顔だった男の表情が消える。
次いで浮かんだのは、私の頬を張った紳士を彷彿とさせる、目の奥に闇を湛えたような暗い笑みだった。
「貴様、私の妻を醜女と評してくれたらしいな?」
そう言うと左手で私の首を鷲掴みにし、目の前で右手をプラプラと揺らして見せる。
まさか。
「貴殿には理解できないかもしれないが一応伝えておこう。私の妻、エイミーはこの世で最も可愛い生き物だ」
逃げようとしてもがっちりと首を掴まれて身動きがとれない。
この細身の体のどこにそんな力があるのか。
「義父は二往復だったらしいな? 尊敬する義父を超えるために、少し上乗せさせてもらおう。心配はいらない。個人的なことはこれで水に流して差し上げよう」
この後のことについてはあまり思い出せない。
ただ、頬を張られたのが二往復ではなく、右左右左右と二往復半だったことだけははっきりと記憶に刻まれている。
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