第381話 斥候と賊 ※主人公視点外

 伯爵様達が西国に向かって数日経ったある日の夜。

 警邏中に見つけたのは、地下空間の方から周りを窺いながら屋敷に近づいてくる人影だった。

 お手本のように気配を消し、足音を立てないように歩みを進める姿はメアリやクーデルを彷彿とさせる。

 まあ、私に見つかっている時点で彼らと肩を並べる水準にはないのだけど。


「どこに行こうというのかな? 捕虜は捕虜らしく大人しくしていてほしいのだが」


 現在オーレナングが厳戒態勢にあることを考えれば、こんな夜更けに気配を消している人影は賊でしかあり得ない。

 どうやって抜け出したか知らないが、見つけたからには声を掛けないわけにはいかないだろう。


「……」


 私の誰何に、言葉を発しないまま身構える人影。

 少しの間見合ったが、口を開く気配はない。


「だんまり、か。確か戝のなかで一人だけ一切口を開こうとしない男がいると聞いていたが、君がそうみたいだな。何が目的だ? 君のその行動が捕虜になっている仲間を危険に晒す行為だ。今回は目を瞑ってやる。早く地下に戻れ」


 イタズラに捕虜と交戦する趣味は少なくとも私にはないので、一度目は見逃してやると伝えると、先方はやる気のようで魔力を練り始めた。


「風魔法、ウインドアロー!」


「土魔法、土壁!」


 風魔法使いか。

 牽制のためらしい風の矢を土の壁で掻き消して見せても、その表情に変化は見られない。


「やる気ということかな? 繰り返すが、その行為は地下の同胞すらも危険に晒すことになることを理解していないのか?」


 そんな私の言葉を受けて憎々しげな表情を浮かべる賊。

 ふむ、若いな。

 歳の頃は伯爵様と同じくらいか?


「中央の人間なんて同胞に数えてない。あいつらの数が減るなら万々歳だよ」


 先々代様方からもたらされる情報で複数の派閥の人間が合わさってやってきているらしいことは聞いていたが、数が減るなら嬉しいとなると、よっぽど根が深い問題を抱えているのだろう。


「ようやく喋ったと思ったら冷たいものだ。しかし、本音のようだな。なるほど、賊も一枚岩じゃないらしい」


「賊と呼ぶのをやめろ。奴らと一緒にされるのは気分が悪い」


 これは勝手なことを言う。


「逆の立場で考えてみればいい。挨拶もなく他人の土地に踏み込んできて善良な民に怪我を負わせたのだから、賊でしかないだろう。君たちの関係性は知らないが、呼称は賊一択さ」


 私の指摘に顔を顰める賊。

 首にかけられたペンダントを握りしめながら、苦々しげに言葉を絞り出した。


「……中央の老害共が楽園なんて夢見た結果がこの体たらくだ。だけど、僕も子供の遣いで作戦に参加してるわけじゃない。主人のためにも、結果を出さないといけないんだ」


 やる気を漲らせ、こちらに一歩踏み出してくる若者。

 しかし、そんな彼を私は両手を突き出して制した。

 

「おっと! まだ話の途中だ。落ち着きなさい。その結果を出すというのは、なにをもって成されるものなのかな?」


「主力はバリューカに向かったんだろう? 守りが手薄になった今、僕がここを陥す」

 

「ふっ、君一人でかい?」


 よっぽどの自信家なのか、なにか策があるのか。

 どちらにしても、ヘッセリンクに対してのなんとも新鮮な物言いに少し笑ってしまった。

 知らないとは恐ろしいことだ。

 私のその笑みを余裕だと感じたのか、賊の若者が憎しみを込めた目で睨みつけてきた。


「無理は承知している。だけど中央の阿保共と手を組んだところで足を引っ張られるだけだからね。なら、無謀でも一人の方がいい」


 憎しみは私だけでなく同胞にも向けられていたらしい。

 

「本当に関係が良くないんだな。よし、わかった。せっかく口を開いてくれたんだ。もし私が君を抑えることができたら色々教えてくれるかな?」


「意外と自信家なんだな。ぱっと見、地下にいるやばい爺さんや森で遭った綺麗な顔の子供のような凄みは感じないが」


 比較すると普通だな、とでも言いたげな態度をとる若者。

 それはそうだ。

 現在のヘッセリンクでは最も人間的かつ常識的だと自負しているのだから。


「その辺りと一緒にされるのは心外だ。私はあのご老人や他の家来衆と違ってまだ人を辞めるつもりはないよ」


 そう言って肩をすくめた瞬間、殺気の込められた拳が飛んできた。

 狙いは私の顎先だろうか。

 ここを撃ち抜けば相手の足が止まるという点を寸分違わず狙ってきていた。

 魔法使いでも、奥様やリスチャード様に近いのかもしれないな。

 速さも申し分ない。

 申し分ないが、それはどこまで行っても人を辞めることができていない水準での話だ。

 私がこのオーレナングに来て以降、模擬戦の相手は常にジャンジャック殿とオドルスキ殿という、人間を辞めて久しい方々だった。

 では、人間を辞めていない彼の拳に、同じく人間を辞めていない私はどう対処するべきか。

 選択肢は、避けるか、受け止めるか。

 いいや、答えは『避けずに食らってみる』だ。

 ジャンジャック殿曰く、私が人より優れている点は身体の丈夫さらしい。

 なるほど、確かにアルテミトス領軍にいる時から同僚より怪我の治りが早いし、疲れが溜まることも少なかったように思う。

 ジャンジャック殿にボコボコにされた次の日は流石に痛みが残るが、それでも立ち上がれないほどではない。

 その姿は伯爵様をして『化け物』と呼ばれる程度には評価されているため、若い賊の拳を受けることくらい造作もない。

 歯を食いしばり、体重の乗った拳打の衝撃に耐える。

 振り抜こうとした拳が私の顎で止まったことに一瞬目を見開く賊。

 これはいけない。

 敵を前にしていちいち驚いていては命がいくらあっても足りないぞ?

 などと忠告する義理もないので、動きを止めた彼の顎に、左の掌底を叩き込んだ。

 

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