第476話 教育的指導(物理) ※主人公視点外

 ユミカの実の親がオーレナングにやってくる。

 その事実は、私を激しく動揺させた。

 目の前が真っ暗になり、膝の震えが止まらない。

 こんなことは生まれて初めてだ。

 最愛の娘、ユミカがいなくなってしまうかもしれないという恐怖。

 もちろんユミカは私の娘だ、手放すなんてあり得ない。

 愛妻アリスも思いは同じだ。

 私達三人には、血の繋がりを超えた絆があると、そう信じている。

 そう信じているが、もしユミカが親元に帰りたいと言ったら。

 そう言わなくても、実の親の気持ちを考えればユミカをジャルティクに戻してやった方がいいのではないか。

 その方が、あの子も幸せでいられるのではないか。

 そんな考えばかりが頭の中を巡り、情けないことに動けなくなっていた。

 こんなことは、生まれて初めてだ。

 元々孤児の私は親を知らない。

 物心ついた時には孤児院で神父様を親代わりとして生活していた。

 実の親と会いたいかと言われればそんな感情を覚えたことはない。

 むしろ、メラニアや他の同輩達との生活は裕福でないながらも楽しいものだったように記憶している。

 だったら、ユミカも実の親への思いはそこまで強くないのではないか、オーレナングが、私達のもとがいいと、そう言ってくれるのではないか。

 しかし、もしそうでなかったら。

 どうしてもそんなことばかり考えてしまうなか日々の職務をこなしているが、メアリやエリクスからは酷い顔をしていると、お館様の許可を取って休めと言われてしまう始末。

 情けなくて涙が出そうだった。


「オドルスキさん、時間をいただけますか?」


 なんとか日中の業務を終え、お館様が我々家族のために建ててくださった家に戻ろうと外に出ると、ジャンジャック様が笑顔で近づいてきた。

 酒の誘いだろうか。


「申し訳ありません。今は、余裕があっ!!?」


 そんな気分ではないと断ろうとした私の頬にジャンジャック様の拳がめり込む。

 油断しきっていた私は回避行動を取ることもできず、鏖殺将軍の凶悪な殴打をもろに浴びて地面を転がった。

 

「言い方が良くありませんでしたね。付き合ってもらいますよ、聖騎士オドルスキ」


 口の中に広がる血の味でようやく意識が切り替わる。

 意味がわからない。

 

「一体何を!? くっ、おやめくださいジャンジャック様!!」


 戸惑いつつも立ち上がって距離をとる私になおも迫り、拳打と蹴りを放ってくるジャンジャック様。

 集中し切れず、なす術もなく打ち据えられては地面を舐める私を見て、悪鬼は朗らかに笑った。


「懐かしいですね。貴方とこうやって殴り合うのはいつぶりでしょうか。昔はよくこうして時も場所も関係なく拳を交えましたねえ」


 こんな状況で思い出話を持ち出せるのがこの方の異常性を物語っているが、流石に私もやられっ放しでいるわけにはいかない。


「いい加減に、しろ!!」


 なけなしの精神力を総動員して反撃に出る。

 しかし、そんなもので届くほどこの方は安くない。

 軽々といなされ、逆に脇腹に膝を叩き込まれて吹き飛ばされた。


「そうそう、その調子ですよ。堕ちた聖騎士殿。やはり貴方にはその凶暴な表情がよく似合う。ヘッセリンク伯爵家の家来衆は、そうでなくては!」


 凶暴さでは他の追随を許さないであろう悪鬼が愉快だと言わんばかりに微笑む。

 

「今は貴方の趣味に付き合っている余裕などないのだ! 放っておいてくれ!」


 なんなのだ一体!

 私は今、ユミカのことで頭が一杯だというのに、何がしたいのだ!

 怒りに任せ、苦し紛れに不細工な攻撃を繰り返す私から距離を取り、肩をすくめるジャンジャック様。

 

「お断りします。いつまでも腑抜けたダメ親父でいてもらっては困りますのでね。この爺めが目を覚まさせてあげましょう」


 穏やかな物言いとは裏腹に、私を壊すことを目的としていることがわかる攻撃を加えてくる。

 ギリギリのところで致命傷を負うことは避けているものの、一瞬でも気を抜けば取り返しのつかない傷を負うだろう。

 そんな殺意のこもった攻撃を繰り出しながらも、ジャンジャック様の言葉は止まらない。


「甘い甘い! ブルヘージュの聖騎士は守りこそ本分ではありませんでしたか? こんなに被弾して、父親としての誇りと一緒に聖騎士としての誇りも捨てる気ですか?」


 その言葉が私の心を深く抉る。

 父親としての誇り。

 

「父親の誇りを捨ててなど」


 たとえ聖騎士としての誇りを捨てたとしても、あの子の父親としての誇りだけは。

 ジャンジャック様は、そう反論しようとする私の言葉を拳で遮りせせら笑った。


「捨てていますよ、今の貴方は。湧いて出てきたユミカさんの実の親を名乗る余所者風情の存在程度でフラフラと。ああ、情けない」


 拳を避けては拳を繰り出し、蹴りを受けては蹴りを返す。

 今の私を突き動かしているのは、怒りだ。

 

「だったらどうしろというのですか!! 私はあの子を愛している。実の娘だと思っているのだ!! あの子を幸せにできるのは私だと信じている!!」


 そんな怒りと共に繰り出した渾身の拳。

 脅威度C程度の魔獣なら一撃で屠ることができるであろうその拳も、軽々と掌で受け止められてしまう。


「信じきれていないからそんなに情けない顔を晒しているんだろう。おおかた、血の繋がりがどうこうと考えているんだろうが、阿呆め」

 

 ため息と共に放たれたのは往復ビンタだった。

 手首の振りが速すぎて目視することが叶わぬそれを受けて、首が派手に左右に振れる。

 脳が揺れ、膝をつこうとする私の髪をつかみ、倒れることすら許してくれないジャンジャック様がぐっと顔を近づけてきた。

 その顔は、執事ジャンジャックではなく、紛れもなく過去に我が故郷を蹂躙した、鏖殺将軍ジャンジャックのものだった。


「いいか若造。血の繋がりなど関係あるものか。宝を奪われたくないのなら全力で抵抗してみせろ。それができないようなら、それは宝でもなんでもない。せいぜい高く売り払ってしまえ」


 ユミカを売り払えだと!? 

 ユミカは私の娘だ。

 血の繋がりなどなくても、あの子を一番幸せにしてやれるのは私なんだ。

 絶対に誰にも渡さん。

 渡すものか。


「貴様、許さんぞ!!」


 それがレプミアに、ヘッセリンクに弓を引くことになろうともだ!!

 強い衝動に駆られて放った、型もへったくれもない子供の喧嘩のような拳がジャンジャック様の頬を捉える。

 今日初めて一本取ったと言える攻撃を受けても小揺るぎすらしないところを見ると、当てたのではなく、当たってくれたのだろう。


「ふむ、なかなかいい拳です。まだ本調子とはいかないようですが、今のオドルスキさんの精神状態を考えれば及第点でしょう」


 先程までの殺気が幻だったように、突然日常を取り戻すジャンジャック様。

 意味がわからず呆然とする私の肩を叩き、意味ありげに微笑む。


「今の貴方の感情が答えです。他に聞きたいことはありますか?」


 今の感情。

 あの子は絶対に渡さない。

 ユミカは、私の娘だ。


「……ありません。ジャンジャック様、この度は、大変申し訳なく」


 情けなくも、ジャンジャック様の手を煩わせてしまった。

 そうだ、一人で悩んでいても仕方がない。 まずはユミカと、アリスと話をしよう。

 私たちが家族であることを言葉にして、どれだけ愛しているかを伝えなければ。

 

「ええ、ええ。ヘッセリンクは若返りが進んでいます。そんななか、貴方に揺らいでもらっては私の負担が増えてしまいますからね。ぜひ早く立ち直って年寄りに楽をさせてもらいたいものです。期待していますよ?」

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