第482話 未来のお話9 ※主人公視点外
森から帰ったあと、サクリ様を筆頭にユミカ姉さん、ステム姉さん、リセ姉さん、そして私の師クーデル姉さんに連行されたマルディ様。
メアリさん達旦那衆が救出してくださったおかげで日を跨ぐことは避けられたようですが、ほんの数時間しか離れていないのにだいぶやつれたように見えました。
相当しぼられたようです。
可哀想だとは思いつつも、私の気持ちに一切気付こうともしないのが悪いのです。
そんな風に心を鬼にしようとしたのですが、しょんぼりした顔で夜食をねだられた私は、あっさりと食堂でマルディ様の好物を作るのでした。
「美味しいですか? マルディ様」
真緑過ぎて食欲が湧くはずもない食べ物を一心不乱に口に運び続けるマルディ様。
たまにおひたしの汁が口元を汚すので拭いて差し上げると、ニコニコと満面の笑みを見せてくださいます。
「ああ、やはりアドリアの作る濃緑菜のおひたしは絶品だな! いくらでも食べられる」
「ふふっ。濃緑菜を笑顔で美味しいと言い切れるのはきっと世界広しといえどもマルディ様だけですね」
まだ伯爵様がお若い頃。
今では顔の見える関係を築きつつあるバリューカから持ち帰ったという濃緑菜。
苦くてエグくて匂いもきつい、そんな一般ウケするはずのない野菜を、本当に美味しそうに平らげていきます。
「悪食なつもりはないし、他の人間の作った濃緑菜料理は受け付けない。ただ、アドリアの作ったこれだけは定期的に食べたくなるんだ。おかわりをもらえるかな?」
ちょうだい! と言うようにお皿を差し出すマルディ様。
国都では小狂人と呼ばれ、現役の貴族家当主ですら丁重に扱うらしい未来のヘッセリンク伯爵の、こんなに可愛い一面を知っているのは私だけでしょう。
「いくら野菜とはいえ夜食に食べ過ぎはよろしくありませんよ?」
意地悪のつもりでそう言うと、残念そうに眉根を寄せるマルディ様。
「む、確かに。……」
納得したふりをしつつも、縋るようにもう一度そっとお皿を差し出すあまりに可愛すぎる姿を見て、絶叫を抑え込んだ私を誰か褒めてください。
「仕方ありません。もう一皿だけですよ?」
この甘さがよろしくないのだと姉さん達に言われているのですが、この顔で見つめられると抗えないのです。
惚れた弱みというやつでしょうか。
「本当か? やはりアドリアは優しいな。なあ、やはり国都には来てもらえないか?」
顔を合わせるたびに毎回繰り返されるやり取り。
もちろん、本音では頷きたい。
でも、立場を考えればそう簡単な話ではないこともわかっています。
「またそのお話ですか? 何度もお断りしました。オーレナングの人材が充実してきたとはいえ、人手不足が解消したわけではありません。私の力など微々たるものですが、それでも頭数が減るのはよろしくないでしょう」
私に勇気がないだけだとヘッセリンク女性家来衆会議では糾弾されるのですが、仕方ないでしょう。
マルディ様が求めているのは家来衆としての私です。
いえ、それでも誇らしいことに変わりはないのですが。
「問題は人手不足か。よしわかった。人を増やせばいいならやりようはいくらでもある」
私の胸中を知らないマルディ様がおかわりの緑色を平らげ、ニヤリと笑います。
レックス・ヘッセリンクによく似た、見るものを竦ませると同時に魅了する笑み。
私は目が離せなくなる前に目を逸らし、首を振りました。
「そう単純なものでは」
「だろうな。あの父上ですら抜本的な人手不足の解消には至っていないのだから。だが、私にも叶えたい望みがあるのだ。ここは引けない」
叶えたい望み?
マルディ様に?
なにそれ、私、知らない。
「あら、初耳ですね。マルディ様にそのようなものがあるなんて。憚りながら、私は貴方様のことにだいぶ詳しいつもりでいたのですが」
冷静なフリをしながら、鼓動が早くなるのを感じました。
マルディ・ヘッセリンクの一番の理解者は、伯爵様でもサクリ様でもない。
このアドリアであるべきなのに、知らないことがあるなんて。
「ああ、誰にも言ったことがないからな。先ほど吊し上げられた時もこれだけは守り切った。諦めかけていたのだが、次期ヘッセリンク伯爵として認められたことで、実現の目が出てきたんだ」
先ほどまでの子犬のような風情はどこへやら。
夢を語るその佇まいすら、大貴族ヘッセリンクの後継に選ばれるに相応しい風格だと膝を屈したくなりました。
生まれた時からお慕い申し上げてきたのです。
鼻血が出そうになるくらい、神も許してくださるでしょう。
「そうなのですね。アドリアはいつでもマルディ様の味方でございます。もしお手伝いできることがあればなんなりとお申し付けください」
「ああ。私の望みにはアドリア。君の存在が欠かせないからな。よし、やる気が出てきた。まずは人材の確保だ。予定を繰り上げて国都に戻るとしよう」
「え」
「ん?」
「予定だと、あと三日ほどこちらにいらっしゃるはずでは?」
寂しい、行かないでと言えたらどれだけ楽なことでしょう。
しかし、チンピラの扱いはレプミア一上手いくせに、ともに育った女一人口説けない朴念仁は、私の気持ち一欠片すら気づいていないのでしょう。
「そうだな。だが、やるべきことは全て済んだ。夢への筋道が見えてしまっては、ゆっくりもしていられない。待っていてくれアドリア。もうすぐ君を迎えに行けそうだ」
「はいはい。何度誘われたところで、私は国都には行きません」
「ああ。人手不足だからここを離れられないのだろう? だったらここに人を増やす。そうすれば、私の妻になってくれるな?」
「はいはい。妻でも何でも……、は?」
妻という、ありふれた言葉のはずなのに、この時ばかりは脳がその理解を拒みます。
「え、妻? え、何を?」
戸惑う私に、マルディ様が優しい眼差しを向けてきます。
あ、好き。
「ん? もしかして忘れているのか? 約束しただろう。私がヘッセリンク伯爵になったら君を妻にすると」
それは、あまりにも遠い日の約束です。
それこそ、私達がまだ兄妹のような関係だったころの、今では大切な思い出になった約束。
「その顔は忘れたわけではなさそうだな。私も覚えているぞ。忘れたことなどない。ただ、姉上がヘッセリンク伯爵になるならと諦めていただけだ」
「マルディ様、あの」
「私の人生で初めての約束をぜひ守らせてほしい。もうすぐだ。もし許すようなら、待っていてくれないか。必ず迎えにくる」
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