第82話 心配ないさー

 ヒミツ バレテル スグ コクト コイ


 要約するとそのような手紙を早馬に持たせて三日後。

 リスチャードが最小限の供回りだけで国都のヘッセリンク邸に到着した。

 本当はもう少し数がいたらしいけど、本気で馬を駆けさせるリスチャードに追いつけない家来衆がどんどん脱落した結果、供回りが三人だけという公爵家嫡男にあるまじき異常事態が発生したようだ。


 挨拶もそこそこにヘラとの面会を求めたリスチャードに母はニヤニヤしていた。

 うちの娘に会うためにそんなに必死になっちゃって可愛いわーみたいなテンションなんだろうけど、実態はそんなもんじゃない。

 奴からすれば心を許せる最低限の人間にしか明かしていない秘密を友人の妹、しかも縁談相手にいつの間にか知られていたというのは心穏やかではいられなかっただろう。

 まあ、リスチャードの素の姿に嫌悪感を抱くどころか楽しそうという感想を述べるくらいだから最悪の事態は避けられるとは思うが……。


 ヘラにはリスチャードが来るまで屋敷で待機するよう伝えていたので、早速のご対面となった。

 普段の飄々とした食えない態度とは違う、どこか緊張感を纏ったリスチャードと、普段どおり表情筋が全休状態のヘラがテーブルを挟んで向かい合う。

 結構な時間二人は見つめ合ったままだったが、リスチャードの深い溜息が沈黙を破った。


「貴女にバレてたなんて、このリスチャード一生の不覚だわ」


 溜息をつきながら髪をかき上げつつ苦笑い。

 こんな姿も絵になるのだから世の中は不公平だ。

 しかし、そんなイケメンムーブにも、我が妹はピクリともトキメキを顔に出さず口を開く。

 妹よ、お前の乙女回路は動いてるかい?


「兄にも伝えましたが、誰にも漏らしたことはありません。まあ、ワタクシにそのようなことを伝える朋友などそもそも存在しないのですが」


 お兄ちゃん悲しい!

 誤解されやすいのかな?

 お兄ちゃんはヘラがいい子だってわかってる、ああ、わかっているとも!

 そんなヘラもエイミーには懐いているし、ユミカにはベタ甘だったりするので今度二人を連れてこよう。


「奇遇ね、あたしもそうよ。友人と呼べるのは貴女のお兄ちゃんとミック、ブレイブだけね。だからこそ、ここに泊まった時にはリラックスし過ぎちゃったみたいだけど」


「あのクリスウッドの麒麟児が年相応の少年のように兄と笑い合う姿は、ワタクシだけが知っている貴重なお姿です」


「……相変わらず顔に出ない子ね。そこは笑顔のひとつも見せるとこだと思うんだけど。それで?」


「何か?」


「あたしね、麒麟児だなんだって言われてるけど素はこんなんなのよ。まあ、貴女のお兄さんに気づかせてもらったんだけど。今更公私とも作り込んだ人格で過ごすなんてまっぴらなわけ」


 リスチャードは元々真面目すぎるくらい真面目な男だ。

 出会ったばかりの頃は、周りの期待に応えるために公爵家の嫡男という役を完璧に演じようとしていた努力家でもある。

 そのせいで僕なんかには想像できないストレスを抱えていたわけだが、その根っこは今も変わらないらしい。

 この話を避けて通ろうとしないのは、こいつなりの誠意なんだろう。

 ヘラはそんなリスチャードの言葉に小さく頷いた。


「理解できます。クリスウッド程の家格の当主となれば、その身にかかるストレスは想像を絶するものでしょう。どこかで息抜きをしなければ続けられるものではないでしょう」


「だからね? あたしは気を許せる相手の前ではこの感じをやめるつもりはないの」


 それが嫌なら縁談は無かったことにすると、言外に伝えたリスチャードだったが、目の前の小柄で無表情な女はヘッセリンクに連なる者だ。

 

「よろしいのではないでしょうか。ワタクシは以前よりリスチャード様のその姿を存じ上げておりますので、やめてくださいなどと申し上げるつもりはございません」


「……結婚して貴女と二人の時も雑な女言葉しか使わないってことよ? それでいいの? 白皙の貴公子との甘い生活なんて夢のまた夢なのよ?」


 一世一代のカミングアウトに対して軽すぎる反応を返されてあのリスチャードが一瞬言葉を詰まらせた。

 その直後に自分のことを白皙の貴公子と宣うメンタルは流石だが、うちの妹はさらに斜め上を行く。


「王子様との恋愛結婚を夢を見る年齢はとうに過ぎております」


「レーックス!」


 レーックス!助けて!、ね。

 折角の親友からの救援要請だが、そこまで深刻な事態じゃない。

 全く読めない妹だが、今のヘラはリスチャードを気遣い、励まそうとしているんだと思う。

 それがわかるのはやはり血を分けた兄妹だからだろうか。

 

「気持ちはわかるが、その子の言葉は全て本音だぞ。兄である僕が全面的に保証する」


 ここでようやくヘラもヘッセリンクなのだという当たり前のことに理解が及んだらしい。

 

「ほんと、流石はあんたの妹ね。いい具合に狂ってるわあ。一人で悩んでたあたしが馬鹿みたいじゃない」


「悩んでらっしゃったのですか?」


「そりゃあもちろん。これが見ず知らずのあたしの外面にだけ憧れてるそこらへんの夢見がちなお嬢さんならそうでもなかったんでしょうけどね。貴女はあたしの親友の妹で、あたしから見ても可愛い存在なの。そんな貴女を一生騙し続けて仮面夫婦を演じることを考えたら、流石のあたしも悩むってものよ」


 政略結婚だなんだと言ってはいたが、こいつはこいつなりにヘラのことを考えてくれていた。

 貴族の結婚は家と家の結びつきを強めるためのものであって個人の感情が介在する余地はないが、それでもなお、僕の妹を騙し続けることになるのではないかと一人で悩んでいたらしいリスチャード。

 そんな親友になんと声をかければいいのか、言葉の選択を迷う僕だったが、ヘラはそんな僕を嘲笑うように事もなげに言う。


「では、悩みは解決したのですね。良うございました。ワタクシの前ではどうぞ寛いでくださいませ。クリスウッドの麒麟児が表舞台で輝けるよう、舞台を降りた時くらいは、ワタクシと二人の時にはそのままのリスチャード様でいてくださればよろしいかと」


 ヘラの言葉を受けたリスチャードは真剣な顔のまま結構な時間動きを止めた後、やがてバグったように笑い出した。

 僕らと馬鹿騒ぎしているときのように腹を抱え、涙を浮かべながらの大爆笑だ。

 一頻り笑って満足したのか、リスチャードが涙を拭いながら立ち上がり、ヘラの横に移動する。


「どうやらそのようね。良かったわ。政略結婚で好きでもない男に嫁がせたうえにその相手がプライベートではこんな感じだったなんて申し訳ない限りだけど感謝するわよ、ヘラ」


 普段女性に見せる麒麟児モードの凛々しい顔ではなく、優しく柔らかな笑顔でヘラの髪を撫でる。

 

「あら、ワタクシは好きでもない殿方に嫁いだりはいたしませんよ?」


 髪を撫でられながら、きょとんとした顔(といっても表情は動かないのであくまでも僕の推測だが)で首を傾げる。

 そして投じられたのは本日最大の爆弾だった。

 

「ワタクシはリスチャード様をちゃんと心からお慕い申し上げております。ですので、そのような心配は無用でございます」

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