第485話 道化師対死神 ※主人公視点外

 奥様の部屋にやってきたのは、笑った女の顔を模した仮面を被った、見るからに怪しい人物。

 紫を基調にした執事服に真っ白なシャツを着込み、こちらも紫がかった腰まである長い髪を束ねもせず、無造作に流している。

 

「妊婦と赤ん坊とお医者さん。それに綺麗な顔をした華奢なメイドさん。いや、華奢は華奢でも目標は十歳かそこらだったっけ。やれやれ、つまりこの部屋はハズレか」


 残念、とでも言いたげに肩をすくめる仮面さん。

 細身の男かと思ったけど、意外にもその声は女性のものだった。

 女暗殺者なんて親近感が湧くわね。


「独り言にしては声が大きいんじゃない? 暗殺者なら基本動作は守ったほうがいいわ。そうでないとあっという間に命を落としてしまうから」


 その言葉尻に合わせてナイフを一つ投擲する。

 流石に当たるなんて期待していなかったけど、私の手を離れたナイフは女の仮面の眉間部分に突き刺さった。

 

「ああ、他の連中と一緒にしないでほしい。いや、もちろんその仕事もしてるんだけど、本業はこっちなんだ」


 驚いた風もなく刺さったままのナイフの背を撫でると、いきなり刃物を投擲されたことについては腹を立てた様子もなく、あっさりとその仮面を外してみせる。


「なに、その顔」


 仮面の下から現れたのは、顔全体を白塗りにし、唇だけを真っ青に塗った異形。

 右目の周りだけは唇と同じ青色で星がかたどってある。


「見たことない? 道化師ってやつさ。私は人が笑っている姿が大好きでね! だから副業のご指名がない時はこんな風に化粧をして国中を回ってるんだ」


 そんな風に笑いながら複数のナイフでお手玉を始める道化師。

 油断したつもりはない。

 だけど、どこからナイフを出したか見えなかった。

 敵への評価と警戒を二段、いえ、三段階ほど引き上げる。


「今は暗殺者の仕事中なんじゃないの?」


「今回の目的は子供をジャルティクに連れ帰ることだって聞いてたのに、こっちの面子を見たらどいつもこいつも人相の悪いいかつい男ばかり。全然配慮が足りないじゃない。だから、できるだけ怖がらせないようにこの顔で来たってわけ」


 鼻唄を歌いつつ妙なステップを踏む道化師。

 その姿を見てお嬢様がキャッキャと笑うと、にっこりと微笑んで手を振った。

 確かに街で見る道化師そのものね。


「胡散臭いわね」


「あはっ。道化師に胡散臭いは褒め言葉さ。さて、私に君たちをどうこうするつもりはないから目標のいる部屋を教えてくれるかな? なんだっけ。そう、ユミカ姫だ」


「お断りよ」


 どんな姿形だろうとユミカを狙う賊に変わりはない。

 目の前の白塗りは敵。

 それを思い出した瞬間にすっと頭が冷え、自然と身体が動く。

 殺った。

 完璧な呼吸に足の運び。

 最近では会心の突きだった。

 なのに、突き出したナイフは道化師のもつ大振りのナイフに阻まれ、金属同士が擦れ合う不快な甲高い音が部屋に響く。


「おっ、と? なんだ、やっぱり普通のメイドさんじゃなかったの?」


「ちっ! 普通のメイドが躊躇いもせずナイフなんか投げるわけないじゃない」


 殺り損ねたことに思わず舌打ちが漏れる。 

 我ながら完璧だと思ったのに軽々と防がれるなんて。

 落ち込んだから今夜はメアリにたくさん甘やかしてもらいましょう。

 

「クーデル、油断しないように」


 メアリを想って頬が緩みかけた私の頭の中を察したように、奥様から叱咤が飛ぶ。

 

「ええ。ふざけた風体ですが、相当の手練のようです。本気でいきます」


 相手はジャンジャックさんやオドルスキさん級の脅威度。

 そのくらいのつもりで当たる。


「待って待って! もう一度言うけど君たちをどうこうするつもりはないんだって! 特に妊婦さんと赤ん坊なんてこの世で一番大事にしなきゃいけないんだからさ」


 私の本気を感じ取ったのか、慌てたように両手をブンブンと振る女道化師。

 言ってることがまともなのが腹立たしい。


「敵の言葉に耳を貸すほどいい子じゃないの」


 突き、払い、追い縋ってさらに突き込む。

 遊びなんてない速さも重さも致命傷を与えるには十分な攻撃だった。

 なのに、これもまた全て跳ね返されてしまう。


「おっとっとう。若いのに上手なこと。さては、こっち側の人間だね? これはまずいなあ」


 まったくまずいと思っていないのがわかる軽い口調。

 煽るのはいいけど煽られるのは性に合わないわね。

 ちょっぴり腹立たしいわ。

 

「それは貴女が手加減しているからでしょう? ぜひそのまま舐めたままでいてほしいわ。すぐに動けなくしてあげるから」


「若いんだからそこは、舐めるなあ! って怒るとこじゃないかなあ。ああ、嫌だ嫌だ。地に足のついた実力のある若手なんて最悪だ、よ!!」


 お返しとばかりに私を襲う鋭く重い突きを、一つ一つ丁寧に捌いていく。

 

「最悪はこちらの台詞。内向きの戦いしか能のない馬鹿貴族の護衛だから大したことないかと思えば貴女みたいなのが混じってるんだもの」


 そんな皮肉混じりの賞賛を投げかけると、ニヤリと笑った道化師が間合いを外して扉まで下がり、綺麗な一礼を見せる。

 

「綺麗な子に褒められて悪い気はしないな。まあ、変わり者とはよく言われるよ。私みたいな輩っていうのは、こういう時真っ先に妊婦や赤ん坊を狙うものだからね」


「それをしない理由は?」


「必要がないからね。別にそれをしなくても勝てるから。ただ、君は強いから私もちゃんと仕事をすることにしよう」


 それまでヘラヘラと笑っていた道化師が突然笑みを消す。

 これ、まずいんじゃない?

 圧力だけならヘッセリンクの家来衆といい勝負よ。

 

「奥様。最悪の場合お逃げください」


 振り返らずにそう告げると、身重の奥様が魔力を練り上げていらっしゃるのが感じ取れた。

 いざというときには大きいのを撃つつもりでいらっしゃるらしい。

 そんな奥様に頼もしさを感じていると、今度はサクリ様が声を上げる。


「くーでう!」


 やだ、いま私の名前を呼んでくださったんじゃない?

 くーでうって、私よね?

 こんな時じゃなければ抱きしめて差し上げるのに。

 しかし、名前を呼ばれたのは私だけではなかった。


「ぴーちゃ! めっ!」


 その名を呼ばれ、お嬢様の召喚獣である次元竜のピーちゃんがのっそりと姿を現した。

 そして、お嬢様の声に反応したのか、最近一回り大きくなったと評判の子竜が、羽を広げて鳴き声を上げる。

 すると、大きな黒い円が部屋の天井に現れ、そのまま道化師に覆い被さった。

 予期せぬ事態にジタバタと暴れ出す道化師。


「うえ!? なにこれ、うわ、ちょっと! メイドさん!? いや、ほんとになにいいいぃぃ!?」


 完全に道化師を飲み込んだ闇は数回収縮すると、なにもなかったように霧散する。

 そこに、白塗りの強敵の姿はなかった。

 呆然とするしかない私と奥様、ついでにフリーマ先生。

 ようやく絞り出したのは、我ながら間抜けな言葉だった。


「……えーっと。お嬢様、助太刀に感謝いたします?」


「うい!!」

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