第380話 傅役トーレ ※主人公視点外

 バリューカ中央に巣食い、自らの権力欲を満たすためだけに日々暗闘を繰り返す愚か者共の手により生み出された組織の一つに、私が所属していた『蒼蜘蛛』がある。

 俗に言う暗殺者の集団で、幼い頃に攫われてきた者もいれば、社会に馴染めぬ無法者が自己顕示欲を満たすために自らその門を叩くことも珍しくない。

 私は後者だ。

 若い頃から腕っぷししか頼るものがなく、暴力でしか自らを表現できなかったゴロツキだった私は、兄貴分の伝手もあり国で公然の秘密だった暗殺者組織の中から、『蒼蜘蛛』への接触を叶えることができた。

 今思えば、兄貴分も無軌道に暴れ回る私の扱いに苦慮した末に、国で最も危険な組織の一つに押しつけたのかもしれない。

 そこから十年程度は、厳しい訓練に耐えながら阿保貴族の駒となって似たような組織の暗殺者と歴史の裏舞台で殺し合う日々を送った。

 殺した数も、命を狙われた回数も覚えてはいない。

 バリューカの前身となった複数の国を統合し、平和の実現に導いた戦神様が人も理念も腐り切った今のこの国の姿を見たらどんな顔をするだろうか。

 まあ、そんな腐った国に雇われて汚い仕事で日々の糧を得ていた私にそんなことを心配する権利などなかったのだが。

 そんな荒み切った私に転機が訪れたのは、三十も半ばの頃だった。

 『蒼蜘蛛』の上役から振られた仕事は、ピデルロ伯爵領で発生した魔獣の大量発生を抑える為の助っ人。

 なぜ私のような薄汚い人間がそんな国の一大事に駆り出されるのか疑問だったが、どうやら『蒼蜘蛛』の最大の後援者であった貴族が没落したため、組織としては、『悪魔』と呼ばれるピデルロ伯爵家に恩を売ろうという魂胆だったらしい。


 そこは、なかなかの地獄だった。

 人とは明らかに違う、意思の疎通が叶わない殺意の塊が次々と押し寄せてくる。

 私と同時に派遣された、対人戦には優れていた仲間達が次々と命を落としていくなか、騒動が収まった時点で『蒼蜘蛛』所属で生き残ったのは、私だけ。

 それも満身創痍でなんとか命だけは繋いだ形だったが、悪魔と呼ばれたピデルロの人間がいなければ間違いなく死んでいただろう。


『なかなかやるじゃないか暗殺者。我が家は慢性的に人手不足でな。どうだ。日の当たる場所に戻るつもりはないか』


 そんな風に声をかけてきたのは先代の伯爵様だった。

 まさか貴族からの引き抜きを受けるとは。

 組織が私を手放すはずがないからと断ったものの、なぜかあっさりと手放された。

 まあ、もともと厄介払いの意味もあってこの地に送られたのは薄々気づいていたが、それにしてもここまであっさり引き抜きが認められたのは、ピデルロ伯爵家から組織に対して脅迫まがいの申し入れがあったかららしい。


『トーレを貰い受ける。文句があるなら言え。組織ごと存在できなくしてやる』


 人手不足解消が急務なのは理解できたが、それで『蒼蜘蛛』に喧嘩をふっかけるなど正気かと理解に苦しんだものだ。

 今なら組織の判断が正しかったことを理解できる。

 国ができた遠い昔、建国の英雄戦神様の下で活躍し、歴代当主が悪魔の名をほしいままにしてきたピデルロ伯爵家は、バリューカの公式非公式をひっくるめたどんな勢力よりも厄介なのだから。

 本気で消されることを恐れた組織が私を人身御供に捧げたことを責められはしない。

 腕力を評価されて引き抜かれたからには、死ぬ時は魔獣の餌なんだろうなと、そんなことを覚悟していた私に課された役目は、生まれたばかりの次期伯爵の世話だった。

 話が違う。

 そう訴えたが、時の伯爵様は笑うばかり。


『人手不足だと言ったろう? いやあ、お前のような腕っこきが息子の傅役を務めてくれるのはありがたい』


 冗談じゃない! 

 それまでの私は人を殺すのが仕事であって育てたことなどないというのに。

 屋敷のメイドにこっぴどく叱られながらの日々。

 毎日これは俺の仕事じゃないと苛立ちながら、しかし古巣でやってきたことを考えれば他に行き場もない。

 人の血で汚れた手で国の未来を担う子どもに触れることも憚られたのだが、苦労しながら世話を焼くうちに、なぜかこの子供が私に懐いてしまった。

 それも、親である伯爵様以上にだ。

 お世辞にも優しい顔はしていない。

 生きてきた大半の時間で眉間に皺を寄せ、人を傷つけてきた私。

 そんな私を最初に愛してくださったのが、幼いアラド様だった。

 成長されたアラド様から爺と呼ばれる度に、ああ、私に残された生涯はこの方を支えることに費やそう、いや、そうさせていただくのだと思わずにはいられなかった。

 もしアラド様が伯爵の座を継がれた際、中央の俗物どもを駆逐すると決められたのであれば、躊躇うことなく命令に従おうと、そう誓った。

 アラド様の進む道に立ち塞がる愚か者がいるのであればそれを排除するのが私の役目だ。

 

 それなのに、なぜ。

 なぜ、私は立ち上がれずにいるのだ!!

 楽園からやってきたその男はいくら私の拳を受けようと笑みを絶やさず、もっと力を見せてみろとばかりに煽り立て、人とは思えない膂力で打撃を打ち込んできた。

 転がされるたびにアラド様への御恩を胸に、意地だけで立ち上がり続けたがそれもすぐに限界を迎える。

 私が立ち上がることができないと知ると、楽園からやってきた男は、乱れた髪を撫で付けながらニヤリと一段深く笑った。


「もう少し頑張ってもらえると良かったのですが、まあこんなものでしょう。久しぶりに楽しめました。ありがとう、悪魔の家の執事殿。これ以上貴方に何かするつもりはありません。あとは、そこでこの地の行く末を見ていてください」

 

 行く末だと……?

 

「何を、するつもりだ! 待て、まだ、終わってない!」


「這いつくばって立ち上がれもしないくせに強がるものではありませんよ? 何をするのかと言われると、さあ? としか。それは主人の決めることですからな。ちなみに、国での主人の二つ名は狂人です。しかし安心してください。とても優しい方なので、運が良ければ屋敷の一部くらいは残るかもしれませんよ?」


 そんな二つ名を聞かされて、何をどう安心しろというのか。

 そう声をあげようとした瞬間、気まぐれのように打ち込まれた拳により、私の意識はぷっつりと途切れた。

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