第361話 猫の目 ※主人公視点外

 ゴリ丸兄の背に乗り、奥方様と賊を追うことしばし。

 賊共の背中を視界にとらえた。

 それがし達の姿を確認して賊は走る速度を上げたが、彼奴等がいかに健脚でも人間と我ら魔獣のそれとでは根本的に作りが違う。

 主人の魔力をたんまりと注がれた我らが長兄、ゴリ丸兄の脚であればなおさらだ。

 人はおろか、速さに自信を持つ魔獣が相手でも、今の長兄を上回るのは難しいだろう。

 主人の魔力というのはそれほどの純度を誇っている。


 賊を追い、高速で流れていく景色。

 そんな状況下でも奥方様は悲鳴も上げず、これでもかと魔力を練りながらゴリ丸兄の背の毛を掴み、まっすぐに前を見据えていらっしゃる。

 その表情はまさに鬼人。

 それがしが初めて主人に呼ばれた時も、奥方様が共にいらっしゃった。

 ミケと名付けられたそれがしを可愛い可愛いと撫でくりまわされたのだが、不思議と嫌な気はせず、むしろもっと撫でてくれと腹を見せてしまった。

 誇り高きクリムゾンカッツェとしては少しはしたなかったかもしれないと、大いに反省したものだ。

 そんな心優しい奥方様が鬼の形相を浮かべていらっしゃる。

 

「ゴリ丸ちゃん、ミケちゃん。どうか力を貸してちょうだい。愛するレックス様の大切な領地を土足で荒らした賊共に、鉄槌を下します」


 御意。

 ああ、今ほど人の言葉を使えぬことを悔いたことはない。

 奥方様を励まし、勇気づける言葉を紡げたなら。

 我らが末弟マジュラスからは、折に触れて人間に通じる身振りを教わっているが、正しく伝わる保証はない。

 だが、やらずに後悔するよりやって後悔したほうがいいこともある。

 了解を示す手振りは、こうだ!


「ニャッ!」


「まあ! わかったと言ってくれているのね? 可愛いわミケちゃん! いい子いい子」


 腕をぐっと曲げ、人でいう二の腕のあたりをポンポンと叩いて見せると、奥方様が険しい顔を緩めて片手で顎の下を撫でてくださった。

 どうやら伝わったらしい。

 ありがとう末弟よ。


「さあ、行きましょう。レックス様の敵を殲滅し、オーレナングに平穏を」


 そう言うと、奥方様はゴリ丸兄の背中から逃げる賊に向かって大きく跳躍し、最後尾を駆ける賊の後頭部に蹴りを入れる。

 前方を走る味方を巻き込み、土埃を巻き上げながら吹き飛ぶ賊。

 飛び蹴りを決めて自らも派手に地面を転がった奥方様だったが、すぐに立ち上がり油断なく賊共と相対しておられた。

 

「この女、化け物か!」


 む、我らが麗しの奥方様を捕まえて化け物とは許されざる暴言。

 普段は我ら兄弟の中で最も穏やかかつ理知的なゴリ丸兄も、あまりの言葉に怒りの咆哮を上げる。

 すくみ上がる賊共。

 馬鹿め、長兄の前で主人と奥方様を罵るなど、殺してくれと言っているようなものだ。

 次兄なら、とっくに襲いかかっているところだぞ?


「まあ! 化け物だなんて。ふふっ、私の愛する夫もそう呼ばれることが多いんですよ? つまり似た者夫婦ということかしら」


 幸い、奥方様は憤るどころか満面の笑みを浮かべていらっしゃる。

 化け物を褒め言葉として受け取る余地があるとは、人間とは奥深いものだ。


「一応尋ねますが、大人しく私に捕まる気はありますか? もし抵抗せず投降するのであれば、これ以上手荒な真似はしません。ただ、貴方達も立場があるでしょうからこの提案を拒否するのは自由です。その場合は、腕力をもって投降を求めることになります」


 大人しく投降せよ。

 さもなくば殴る。

 要約するとそういうことだ。

 痺れるほどの強者の振る舞いにそれがしはもちろん、長兄も昂っているのがわかった。

 普段は女神のようにお優しい奥方様なので、抵抗しなければ約束は果たされただろう。

 しかし、賊共はギラついた目で剣を抜きおった。

 愚か者共め。

 負けを覚悟したやけっぱちの行動など、それがし達に通用するわけがないというのに。

 

「仕方ありませんね。二度は警告しません。私はレックス・ヘッセリンクの妻エイミー・ヘッセリンク。夫に代わり、貴方達に仕置きを行います」


 奥方様の名乗りを合図にそれがしと長兄が同時に地面を蹴る。

 主人からいただいた魔力は十二分。

 召喚獣という制約を考えればどこまでもいつまでも主人と離れていることはできない。

 速やかに終わらせて帰還せねば。

 

 意外であったのは、賊共がしっかりとした腕をもっていたこと。

 少なくとも、浅層あたりの魔獣くらいであれば難なく倒せる水準の技術を一人一人が備えていることには素直に驚いた。

 まあ、どこまで行ってもその程度ではそれがしやゴリ丸兄に毛筋一本ほどの傷も負わせることはできないのだが。

 奥方様も最近とみに腕を上げられておる。

 賊に囲まれないよう視線と足を絶え間なく動かし、微かな隙を見つけては得意な打撃を放つと、再び動き回る。

 これは、屋敷裏の地下で主人の祖父殿が見せた足捌きの再現だ。

 見て学び、実戦に落とし込むとはやはり奥方様も一握りの天賦の才の持ち主よ。

 とは言うものの、完璧にものにしたわけではないその動きを続ければ綻びが出るのも事実。

 それがしと長兄の役割は、その綻びを埋めるための賊への牽制だ。

 それがしら兄弟が動けばそれほど時間をかけずに賊共を殲滅することも可能だろう。

 だが、それではいけないという長兄からの指示がある。

 主人の正妻として、この場は奥方様に全面的にお任せするべきだと。

 流石は長兄だ、考えが深い。

 尊敬を込めて、後で毛繕いをして差し上げよう。

 

 時間がかかりはしたが、結果的には一人も逃すことなく賊を地面に転がすことに成功した奥方様。

 その顔は依然として厳しく引き締まっているが、どこか満足感を漂わせているようにも見受けられた。


「クソッタレな森の向こうには楽園があるんじゃなかったのかよ……」


 楽園?

 主人の本拠は、それがし達にとっては確かに楽園ではあるが。

 奥方様は軽く首を傾げると、にっこりと微笑みを浮かべられた。

 その優しきまなざし、まさに森の女神。


「その楽園に無断で踏み込み、そこに住む善良な人々に怪我を負わせ、領主の屋敷に火を放ったのは貴方達です。聞きたいことも、それを聞く時間もたっぷりあります。じきに愛する夫もやってくるでしょう」


 奥方様の仰るとおり、主人の魔力がこちらに向かってきているのがわかる。

 合流の時は近い。

 

「夫はとても、それはもうとても優しくて素敵な方です。ですが、敵と見れば著しく容赦を欠く厳しい面も持ち合わせていらっしゃいます。命が惜しければ、今度こそ無駄な抵抗はしないことです」

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