第四十一章、『AKASHA~すべては君のために~』
第327話、消え始めた過去、茜色に滲んで……
須坂勇(すざか・ゆう)の人生の終わりと始まりには。
黒い太陽と赤い月がそこにあった。
命がけで泥まみれになりながら走り続けたかつての自分。
その日々に澪尽くすと全身全霊で思いながらも、その実自らの命の危険など感じた事のない、暖かくて暑い幸せな日々。
永遠に続く事などないと分かっていたのに。
理不尽な終わり方をした今となっては。
その懐かしさが、戻れなくなってしまった自身がひどくやるせなくて。
黒い太陽が落ちてきたあの日。
勇は……青春という名の全てを失ったのだろう。
時計の針が左に回らないように、一度落ちたものは浮かび上がってくる事などあるはずもなくて。
その代わりに、全てを失った勇を照らし出すのは、歪なほどに赤い月の光だった。
それは正しく、終末を表す色のようで。
勇は、このまま何事もなく停滞して終わるのだと思っていた。
なのに、こうしていやしくも立ち上がり生き続けられたのは、沢山の人に支えられ助けられていたからに他ならない。
ただ、かつてのように生きる目的があったのかと問われれば、明確な答えを出せずにいた。
カーヴ能力者において一番になりたい。目立ちたい。
支えてくれた人達の役に立ちたい。
勇の、一度目の人生を奪った『パーフェクト・クライム』への復讐。
どれもこれも有り得て……だけどしっくりこない。
でも、今までこうしてなんとか生きていたのだから、その答えを勇は分かっていたはずだった。
魂の片割れである弟……哲(てつ)を失って。
半身失い魂消えかけていた勇を、助けてくれた娘がいる。
大矢塁(おおや・るい)。
兄弟で憎からず思っていた幼馴染の女の子。
今思えば、差し出されたその手は、なんと苛烈で重かった事だろう。
変わり果て、取り返しのつかなくなってしまった彼女をなかったことにして。
『弟』と呼ぶ勇の、なんと罪深いことか。
分かっている。
もう無理しなくてもいいんだ。
勇は、彼女までもを失うのが怖くて、そんな言葉すら口にできない。
なあなあのまま、答え合わせをできずに逃げ続けていて……。
「……こんな時に考え事だなんて、流石だね兄さん!」
「っぐ!」
赤い雨の中、目前を青白く輝く一閃。
ぎしりと間一髪で受けて立った勇の得物……円月刀がそれを迎え討つ。
だが、異世を覆う赤い霧雨により動きが鈍くなっていた事もあり、完璧には抑えられない。
自らの髪が散るのと同時に、自らの血によってさらに視界が赤く染まる。
そのまま押し負ければ自らの刃が頭を潰すことだろう。
大きく息を吐き、受け流すようにして哲の繰り出した刃を無造作に押し返す。
そして僅かに離れるお互いの間合い。
終わる事なく続いていた剣戟の中の、刹那の小休止。
勇は、改めて目の前の哲を見据えた。
燕脂色の整えられていた髪は見る影もなく半ば剥げ落ち。
幼くも凛々しかった相貌は赤い雨にしとど濡れ、ゾンビのように頬は落ち窪み、紅の瞳は落ちかかっている。
一見すると死者が蘇り彷徨っているようにも見えるが、見える肉が人のものではありえないくらいに赤かった。
肉感のある赤頭巾を被った人形。
そんな体を成すファミリアに襲われた事は確かで。
目の前の人物は哲ではない、ということになるわけだが。
(……どうにも解せないね)
腰を深く落とし、自らのやはり赤色に染まる得物を構え、勇は一つ息を吐いて突っ込む。
がつんと二人の刃が鍔迫り合い、心事折らんと軋む音を響かせる。
「この状況でも揺るがぬ戦意、驚嘆に値するよ。何をやろうと無駄だってのに、さ!」
その声はやけにはっきりと、『哲』の声であると勇に訴えてくる。
そして、不意に力を抜かれ僅かに前屈みになった所を、狙おうとする面。
「……はぁっ!」
またしても髪のひと房を持っていかれるが、勇は勢いのままに更に前のめりになり、刃を躱しつつすれ違いざま左の腱に一太刀。
妙な感覚ではあるが、手ごたえはあった。
事実、行動不能どころか、左足ごと吹き飛ばしたわけだが。
勇が踵を返し、再び相対し間合いを計る頃には、哲の足は元に戻っていた。
激高しつつあえて突っ込んだので分かっていた事だが。
ここは今、哲側の空間……異世らしい。
生半可な攻撃ではすぐさま回復、且つじわじわと入り込んだ者の体力を奪い、身を削り溶かす赤い雨が降ってくる始末。
「……やはり、解せないね」
それでも、その空間が必ずしも哲に都合のいいものには思えなかったから。
気づけば勇はそう口にしていた。
「……? まだ、信じられないかい? 僕が本物だってこと。あの娘が兄さんを騙し続けた偽物だってこと」
哲は同じように腰だめに剣を構え、こちらの隙を伺いつつそんな挑発めいた言葉を投げ掛けてくる。
「そこなんだよ。解せないのは。今まで熱くなってたから気付けなかったが……どうやらこの雨が逆にボクを冷静にしてくれたらしい」
「へえ? それで冷静になった兄さんは何に気づいたと言うんだい?」
臆面通り受け取ってくれたのかは分からないが、話を聞いてくれる気にはなったらしい。
すっと肩を落とす仕草に、やはりな、と思いつつも勇は続きを口にする。
「本物とか偽物とか、馬鹿らしいって思ったのさ」
「何故? この期に及んで事実を曖昧にする気かい。あの娘の嘘をなかった事にできるとでも?」
「いいや。論点はそこじゃない。だって……キミは哲本人なのだろう?」
「な、何を言って……っ」
今まで散々自分は哲だと主張してきたのに、それを認めたら何故か狼狽している。
そんな哲に、勇は戦闘モードを解きつつも畳み掛けた。
「解せないのはこの雨さ。ボクだけにダメージがあるならともかく、キミまでダメージを受けている。これ見よがしに見せてくるその赤すぎる肌が、いかにも偽物だと主張している。ここまであからさまだと、逆に疑ってしまうね。……例えば、その赤い肌のさらにその下には、何が隠されているのだろう、と!」
「……っ!?」
刹那テンポを変え、大きく踏み込む勇。
今まで敢えて狙わなかった、露出した赤い部分。
ちょうど、右おでこの辺りを、軽く削りとって。
……そこから現れたのは。
勇と同じ色の、だけど髪質の柔らかそうな赤茶色の髪のひと房だった。
「やはりね。キミの仮面は一つじゃなかったようだ」
「いつから……気づいて?」
謎を解いた事に、それ見たことかと笑みこぼすと。
それに毒気を抜かれたわけではないだろうが。
顔に残っていた赤の皮膜を取り去り、戦意をも失くし、意思ある確かな瞳でこちらを見つめてくる。
「偽物だ、本物だなんて意味のないものだと気づいたのはついさっきさ。キミと刃を交えてからだと言ってもいい。黒い太陽に呑まれし死者が、何かしら蘇る術を持っていると知ったのは、この任務についてすぐのこと、だけどね」
チームメイトである王神公康の連れ合いを名乗る少女を見た時も。
今回の任務を受ける時に一堂に介した時も。
勇は死してなお蘇りし者の存在を確認していた。
それは、気づいたと言うより、記憶力のいい勇が、『パーフェクト・クライム』における犠牲者の事をしっかりと覚えていたに過ぎない。
まさしく、こんなこともあろうかと、というやつである。
「……なんて言うか、凄い、としか言いようがないなぁ、兄さんは」
「フハハ。もっと褒めろ」
一層激しくなってきた赤い雨の中。
肩を竦めてようやく素の状態になる哲に。
わざとらしくどや顔をしてみせる勇がそこにいて。
「その調子じゃ僕らの目的にも気づいちゃったりしてる?」
お互いに触れる度に酸でもかけられたかのように煙を上げていた赤い雨。
初めは見た目通り体が溶けていく感覚があったが、どうやらそれは蝋のようなものだったらしい。
冷静になった時には最早手遅れ。
段々と固まっていき、お互いの行動を制限し始める。
「初めはボク達を引き込み取り入り、仲間にでもする気かと思ったんだが……これも本物も偽物もない理論で言うとやっぱり違う気がしてな。ボクの足りない頭じゃ、足止めか時間稼ぎくらいしか思いつかないね」
「出た! 兄さんのイミのない謙遜発言。兄さんがそれしか思いつかないんじゃあ、そうなんでしょ、きっと」
謙遜でも何でもなく素で発言しているのに、かつてよく見た勇だけが分かる投げやり状態になる哲。
お互い腰ほどまで赤い粘土質のナニカに包まれた状態でなければ、かつての関係を懐かしむ事もできたのだろうが。
「ふむ? 一体それは何のために?」
「……知ったらもう戻れないよ。僕ら(ゾンビ)の仲間入りだ。きっと何もかも面倒くさくなって、やさぐれたい気分になるね」
曖昧さも、寄り道も全くない、ある意味本題への問いかけ。
対する哲は、この僕がそうであると言わんばかりに肩を竦めてみせる。
「キミを見ていると何の問題もないようにも見えるが……ここで今更引き返すわけにはいかんだろ」
「ま、そうだろうね。それじゃあぶっちゃけてしまうと、『パーフェクト・クライム』……黒い太陽の二度目の降臨に対し、その日時の指定と、できる限りの規模の縮小、かな」
「ほう! その心は?」
ここまでに重要ワード……驚くべき事がいくつもあったが、肝心の答えは聞いてないとばかりにずいっと顔を寄せる。
「相変わらずうざいね、兄さんは」
「な、なにぃっ。……って、話を逸らすなっ」
兄弟の、お互いだけが知っている真実のやり取り。
勇が熱く前のめりになり、弟の哲がそれを透かし毒を吐く。
その様を塁が見れば、何事かと驚いた事だろう。
しかし、それは敵わない。
終には激しい局地的な雨は、二人の声は二人にしか聞こえず、会話に夢中になる二人すら隠して。
二人を一辺倒に覆い。
『脊髄の間』と呼ばれるその場所を、粘土質の赤で支配していったのだから……。
(第328話につづく)
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