第102話、手のひらを落日に掲げてみれば……




穂高山にある、名も無き神社……その入口。


アサトはいつか夢見た外の世界への一歩を踏み出していた。


目的地は、山のふもとにある学校。

今日の放課後までに、その中にある職員室へ赴き、就学の手続きをすればいいのだが。

アサトは待ちきれなくて、お昼の放送が始まる頃には、準備を万端に整えてしまっていた。


すぐに我が家を出て、そのたった一つの入り口にある鳥居をくぐり。

細長い、アサトの家と外界をつなぐ唯一の手段であるつり橋を渡り、申し訳程度に砂利が敷き詰められた山すそまでの獣道を歩き下っていく。

 

真夏ならば、一日で一番暑い時間帯だが。

それから時季もたち、家事以外はろくに外に出ることのなかったアサトの雪のような白い肌を、一番に上った晩夏の陽が穏やかに照りつける。

 

アサトがそれでもその熱に浮かされるように、僅かに眠気を携えながら……それでも今まさに生まれた子供のように、目に映るもの全てに新鮮な感覚を覚えながら歩みを進めていると。


今まで鬱蒼と茂る、森の中にあった砂利道が開けて。

遠目には、これからアサトが向かう町並みや、遠くに連なる雲海連れた山々が見えた。

 


吹きすさぶのは暑くもなく寒くもない、中間の風。

アサトの、腰元くらいまであるカールした生成色の髪がその風を捕まえ、踊っている。



「やっぱり、この道わたし、むかし歩いたかも……」


アサトは目の前に広がる目新しい景色を見て、そんな風に呟いて見せた。

それは過去の記憶か、それとも夢や力で見たものなのかは分からないが。


アサトがさらに視線を落とし、近場に目を向けると。

今自分が、山を螺旋にくりぬき、上り下りするための山道にいることが分かる。

アサトはそこで立ち止まると。

何かを探すかのように、辺りを見回し始めた。

 


「あ……そうだ、思い出した。うんと小さい頃、抜け出してここにきたことあったっけ」


それは、今のように『喜望』に監理されるよりも、さらに前の話だ。

ほんの最近まで、アサト自身も忘れ去っていたことの一つ。


その頃は、あの家に両親も住んでいて。

今ほどではないにしろ、ほとんど家から出してもらえることはなくて。

それが嫌で、思い切って両親の目を盗み、抜け出した時の記憶。


今日みたいにこの道を歩いていると。

目の前に見える、うねって下る道に誰かがいたのだ。


それは、その頃のアサトと同じくらいの女の子だった。

アサトは、すぐさま声をかけようとした。

友達になってくれないかな。そう思って。

 

だけどその女の子は、アサトを見てびっくりして駆け出していってしまった。

その時は、どうしてその女の子が逃げていってしまったのか。

アサトには分からなかったけれど。


今ならその理由も分かる。

自分が人にとって、とてもおそろしい存在であることを。



アサトは、自分がどういう存在であるのか、どうあるべきなのかを、自覚している部分は確かにあった。

自らの運命を受け入れているといっても過言ではない。

 

 

それでもただ、一つだけ。

そんなしがらみを考えなくていい、本当のアサトでいられる瞬間が、これから向かうべき場所にあるはずだった。

アサトはたった一つの約束を叶えるために、その場所へと向かう。

 

 

だから彼女は……気づかない。

 

その瞬間から、物語の幕が上がったことに。

 

物語の中心として歩き出した彼女は気づかない。

その約束も願いも、自らの手で違えてしまったことを。


それは、もしかしたら。

どうしようもできない現実に耐えられなくなった。

彼女の逃避行なのかもしれなかった……。






             ※      ※      ※





『ねえ、やめようよ。なんか、怖いよ……』

  

大きな大きなアカシアの木の下で。

小さく頼りないスコップを持って、赤茶色の地面を掘ろうとするケンに。

不安そうに一人の少女が言う。

 

それは、今より幼い頃のジョイに、賢には見えた。

賢は漠然と、これは夢なんだなと納得する。

何故ならば賢は彼女の小さな頃など、知らないのだから。



『何言ってるばい。ここまできて今更やめるわけにはいかんとよ』

『……そうだね。私たちは知っちゃったんだから』


そんなジョイをなだめるようにケンがそう言うと。

幼いジョイやケンと同じくらいの年頃の、青い髪を薔薇の髪留めで後ろにまとめたの女の子が、持っていた紫色のなすのようなのぬいぐるみを不安そうにしているジョイに持たせ、ケンと並ぶようにして両手のひらで土をかきわけ、すくい始めた。

 

目の前にいる幼いケンではなく夢を夢として見ていた賢は、その女の子に見覚えがなかった。

けれど、少なくともそこにいるケンとは仲が良いのだろうことはわかる。

 


『町の人たちが来る前に、早くみつけないと』

『うん、分かってるばい。ジョイ、誰か来ないか見張っててくれる?』

『う、うん……』


そう言って、手が汚れるのも構わず地面を掘り続けようとする女の子に。

ケンは持っていたシャベルを渡すと、ケン自身は自らの手で土をかきわけ始める。

 

その土は、ひどく柔らかかった。

子供の手でも掘れるくらいのそれは、その下に何かが埋められたばかりであろうことを、如実に想像させる。

 

その下には、何が埋まっているのだろう? 

少なくとも、ここにいる三人は知っているようだが、賢には分からなかった。

ただ、そんな子供たちの表情は。

極度の不安や恐怖みたいなものに、染まっている。

それはまるで、緊張のあまり吐き気を催すような……そんな雰囲気だった。

 

 

『……あっ』 


そして。

そんな雰囲気のまま、どれくらい掘っていただろうか。

青い髪の少女が、小さく声をあげる。

 

息を殺すかのようなその声に、おそるおそる視線を向ければ。

そこには土とは違う、白色の何か。


 

―――賢は、それをもっとよく、見ようとして……。






ブチン! と映像が切り替わるかのように、世界が一変した。

 

そこは見慣れた若桜高校の教室。

鳴り響いているのは、授業の終わりを告げるチャイムの音。



「夢……か」


そこで賢は、ようやく今の状況を把握した。

 

昼休みの放送の音を聞いた後。

怪しいほどに何も起こることはなく、拍子抜けしたまま午後の授業が始まり……

いつしか眠ってしまったのだと。



(しかし……何だか、なんとも言えない夢だったとね) 


まだ、その時の緊張がしこりとして残っている気がする。

しかも、やけにはっきりと思い浮かべられるそれは、何か意味があるような気がしてならなかった。

自分も含めて、小さい頃の夢のようだったが、当然今見たような出来事は過去にないはずで。


その意味を考えているうちに、放課後のホームルームが始まり。 

それが終わる頃には、そう言えばジョイは無事だろうかと、賢は思い立ち。

再びチャイムの音がして、一日の終わりが告げられると。

その礼が終わるや否や、賢はクラスメイトへの挨拶もそこそこに、教室をとびだそうとして……。


ドカッ。


「ってーな!」

「……」


まるで通せんぼでもされているかのように、ドアの向こうに立っている2人の少年にぶつかってしまった。


「悪い、ちょっと急いでて……っ」


賢はすぐに愛想良く謝り、そのまま立ち去ろうとして。

絶句するように言葉を失う。


そこにいたのはとなりのクラスに在籍している神楽橋コウと、釈芳樹だった。

コウは人を小ばかにしたような目つきで、芳樹はひたすら無表情に、賢を見つめている。

その様子は、何か危険な目にあっていたりとか、そういった雰囲気は微塵もなかったが。


やはり昨日ジョイと話したように。

まるで班(チーム)として組む前の、他人という酷薄さすら感じさせるような雰囲気を賢に与えてくる。

いや、ただの他人ならばまだよかったのかもしれない。




「そんなに急いで、どこに行くおつもり? あなた、今日は掃除当番のはずじゃなくって?」


まるで、教室全体に聞こえるかのような、冷たいとも取れるその声に、賢が顔を上げると……そこにはクラスメイトの桜枝マチカの姿があった。

 

とたんに辺りはざわつきだし、その場を避けるように、クラスメイトたちが離れていくのが視線の先で分かる。

きっと周りのクラスメイトたちは、賢がマチカにまた逆らっているとか、そう思っているに違いない。

 


マチカは昨日賢がジョイに説明した通り、若桜町で一番の大地主の一人娘だ。

この学校の土地ですら今は彼女の家が管理しており、言うなれば……先生も生徒も逆らうことが許されないような、そんな雰囲気がある。


賢はその絶対君主の、あるいは女王のような振る舞いをするマチカが苦手で。

賢としては触らぬ神に祟りなしということで、なるべき避けるようにしていたのだが。


それを何故か向こうが許してくれないのだ。

事あるごとに賢につっかかってきて、時にはコウや芳樹とやりあう、なんてのもザラだった。  

 


「そーんよか。ごめんばい。すぐやるから」


賢は、余計ないざこざは御免だとばかりに。

そっけなくそう言って、その場を去ろうとする。



「あら、今日は随分と素直ですのね?」


背中越しに、そんな呆れたような声がかかったが。

賢は何も言わず、掃除用具入れの方へと歩みを進める。


まあ、確かに昔ならそのマチカの一言一言に、バカみたいに言い返したりとかはしていたけれど。


賢が今、それ以上何も言わなかったのは。

昔に戻ってなかったことにされてしまったかのような、今までのトリプクリップ班(チーム)としての思い出や、対等な関係まで失われてしまった気がして、悲しくなったからだった。

 


一見、身に危険などなく平和そうに見えても、実際はそうじゃないんだろう。

賢は三人のそんな態度に、とても傷ついている自分を自覚していた。

何よりもダメージを受けたのが、三人とも今までのことを全て忘れてしまっている風なのに、自分だけそれに執着するかのように覚えている点、だろうか。

 


本当はトリプクリップ班(チーム)として築いた絆とでも呼ぶべきものはなかったんじゃないのかって。

そんな恐怖すら覚える賢である。


改めて、賢はこのままにしておくのはいけないと。

一刻も早くジョイに、かけられた能力の解除をお願いしたい気持ちになった。

 


「それじゃ早く片して、ジョイのとこ行くと」


賢はそう一人呟いて。

周りを見ると、既に教室には人っ子一人いなかった。

 

それは賢が誰もいなくなるまで考え事をしていた、というわけではない。

おそらくだが、マチカの圧力がかかったのだろう。

賢に一人でやらせるように、仕向けたのだ。

 

昔の自分よりもぬるま湯を知ってしまった今、そんなことにも賢は余計に疎外感を覚えてしまっていた。


「……なんちー」


いつも言うことは、なんでなんだよ。

理由が分からないよって意味するその言葉。

賢はそのまま深く溜息をついてもくもくと独り、掃除を始める。

 


そう言えば昔、今のような状況でいた時も。

それからチームを組んでからも。


その答えはもらっていなかったことに、今更ながら気づかされながら……。




                 ※


 


そして……。


そろそろ太陽も夕陽へと服を着替えようとする時分。

賢は一人、ジョイと待ち合わせの場所に決めた、裏広場へとやってきていた。


だが、その場所にジョイの姿はない。

随分と時間が遅れてしまったから、痺れを切らせてしまったのだろうか。


賢はどうしたものかと考えつつ。

そう言えばジョイはここでマチカらしき人物と会っていたようなことを言っていたのを思い出した。


確認はさっきの通り、できようもなかったのが情けないやらなんやらだが。

そもそもマチカは、何故こんなところにいたのだろうと賢は思う。


確かに昨日、マチカは終わりのほうの授業は席にいなかった。

仮にさぼっていたとしても、誰も文句は言わないだろうが。

賢に対してのあたりは強くても、そういう所は生真面目な人物でもある。

何の理由もなしにさぼることなど、ないはずなのだ。

 


「ま、マチカの全てを知ってるわけじゃなかと」


家のこともあるし、たまにはそう言う気分にだってなるだろう。

賢はとりあえずそのことを置いておいて、もう一度近くにジョイがいないか探してみる。

 

制服も着ていることだし、我慢できずに校舎の中に入ったのかもしれない。

そう思いながら賢は、どこを探そうかとぐるりと視界を一周させてみて。


「あ、あれ……ジョイ、かな?」


校舎外の住宅団地街へと続く、塀をはさんでの通りに、見慣れた若桜高校女子の制服を着た、髪の毛先だけが黒い、金髪の女生徒が歩いているのを発見した。

 


「なんちー。外に出てると? 追いかけなきゃ」


何か彼女の興味をひくものでもあったのだろうか。

賢はそうぼやき、ぺたんこの学生鞄を背負いなおすと、学校を出た。

 

それからすぐに賢はジョイらしき人物がいたはずの通りに出るが。

どこかの路地に入ってしまったのか、既にジョイの姿はどこにもなかった。

 


「何か、うまくいかんとねー」


賢は、自らの長く伸びたうす茶色の髪をうっとおしげに払いながら、

それでも勘を頼りにジョイを探すことにする。


その通りは、若桜町の北区街へ続く道だった。

賢の自宅や穂高山、学校などの古くからある、少々寂れた感のある南区街とは違い、ここ最近になって手の加えられた、新興の地域でもある。

真新しい全国チェーンの店舗が並ぶ商店街モールや、高級住宅の点在する、住宅地区に分けられている。

 

 

賢は、そこで迷わずモールのあるほうへと歩みを進めたのだが。

しかし、結論から言うと。

そこでジョイを見つけることはとうとうできなかった。

にぎやかな場所のほうが好きだと言っていたので、こちらにいると確信していたあてが外れたらしい。



「うーん。もしかして、先に家に戻ってたりとかするのかな。うん、その可能性はあるとね」


そして結局、賢はそんな考えに落ち着き。

二週しかけたモール巡りをやめ、踵を返す。



と……。


「……あ」

「……っ」

「え?」


何かに驚いたかのような少女の声がして、賢が振り向くと。

そこには若桜高校の制服の上に、どこかのお店のらしい桜色の配色がセンスのあるエプロンに身を包んだ、可愛いというよりはきりっとしてカッコイイと思える青いポニーテールの髪の女の子がいた。



(綺麗な子だけど、こんなに目立つ子、学校にいたっけ?)


賢がその女の子を見て最初に思ったのはそんなことだった。

何が目立つのかというと、その洗練された容姿はもちろんなのだが。

両手一杯のよく持ってるよなあと思える食材か何かの袋と、その細身の肩に乗っかっている巨大な青光りするぬいぐるみだろうか。

しかも、賢が少女のほうに振り返った時。

そのぬいぐるみが反応を示したような気がしたのだ。

もしかして、ファミリアなのだろうかと、賢がじっとそれを睨みつけていると。



「……ごめん、ちょっと通してくれる? 急いでるの」


少し困ったように少女にそう言われ、その時初めて時分が道を塞いでいることに気づいて、賢は慌てて道を開けた。



「どうも」


すると、少女は両手に荷物を抱えたまま器用に頭を下げて見せ、颯爽と歩いていってしまう。

 


「……」


半ば呆然として賢がそれを見ていると。

その刹那、何かの光がチカリと賢の瞳を灼いた。


「……ん?」


それは、どうやら少女の背負っている、竹刀だか薙刀だかを入れていそうな黒のサックから放たれているようだった。


今度はなんだろうと、賢は思いそのままそれを注目していると。

偶然か、そうでないのか。

青光りするぬいぐるみがころりと転がるように、その銀縁の眼鏡みたいな瞳を向ける。

 


「……」

「……」


お互いに無言。

だが、そこには何かを言いたそうな、あるいはお互いに知り合いであるかのような、そんな感覚もあった。

 

なのに。

そう思う賢を他所に、賢を再び見ることなく、去っていく少女とぬいぐるみ。

 


そして。

その少女が、あの夢で見た幼い自分やジョイとともにいた人物だと気づかされたのは。

それからしばらく経ってからのことで……。



             (第103話につづく)

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