第103話、闇夜に生まれた夏の終わりの蜃気楼
―――賢の自宅、夜。
母袋賢はその日。
結局見失ったジョイを見つけることはできなかった。
自宅に帰ってもその姿はなく、しばらく待ってはいたのだが。
昨日は既に床についていた時間になっても、彼女がやってくることはなかったからだ。
「ま、よかたい。ふとん片づけとこ」
同じ『喜望』に属するものどうしとは言え、目的はそもそも違う。
少なくともジョイ自身には、必ずしも共に行動をすべき理由はないはずだった。
呟くように客間へと向かいながら思うのは、ちゃんと寝泊りする場所を確保出来たのだろうかという、おせっかいな心配と。
お昼の放送……トランによる能力の影響はなかったのかという切実な心配だった。
まあ、便りのないのは無事な証拠とも言うし、言い方は悪いが彼女は寝ることを必要としないファミリアで、能力解除の力も持っている。
賢が要らない心配をしないでも、やっていけるだろう気はしないでもなかった。
「でもな~。なんかお節介焼きたくなるばいね、あの子」
その感覚を一言で表すのなら懐かしさ、だろうか。
そんなはずはないのに、昔からこうやって余計な世話を焼いていたような……そんな感覚。
「なんばいいよっと。そげんこつ、あるわけなかたい」
会ったばかりのファミリアの娘に、どうしてそんな事を思ってしまうのかと。
賢は自嘲の笑みを浮かべながら、んしょっと息を吐いて、片足で客間の押入れを開くと敷布団を押し込んだ。
「……おや?」
と、そのまま布団を押し込もうとして。
何かが引っかかり進まなくなったので、賢は一旦足を止めて薄暗い押入れを覗き込む。
するとそこには、木枠で縁取られたカーボン……少し大きめの額が伏せられて置いてあるのが分かった。
「なんちー? んーっと、ほっと。何々。あ、これはガラクターズの写真とね。なんでこんなとこに?」
―――ガラクターズ。
ボーカルの我屋響、ドラムの沢田晶、ピアノの愛敬麻子、ギターの鳥海春恵の四人で構成された、伝説の女性バンドである。
表向きはガラクターズと言えばその四人のことを指すが。
ガラクターズという作品を生むためのメンバーという意味では当然他にもいる。
どうやらそれは、全盛の頃の集合写真のようで。
そのメンバーの中には、賢の両親もいた。
「なつかしいな……」
賢は、感慨深げにそう呟き。
立ち上がって改めて写真を眺める。
思えば、今賢が『トリプクリップ』のメンバーに入れたのもこの写真がきっかけだった。
それまだ氷のように……同郷でありながらコミュニケーションの道を閉ざしていたマチカたちが、急に人が変わったかのように自分を受け容れてくれたのだ。
確か、この写真にまつわる自分自身のことを話したのがきっかけだったはずなのだが……。
(何を話したとね?)
賢がそんな風に、『トリプクリップ』の始まりを思い浮かべようとしたその瞬間だった。
ドクンッ!
「……な!? なん……で、今更っ」
急に襲い掛かってきたのはいつか感じた激しい動悸。
音が耳朶の奥まで響いてきそうなそれは、トランの能力を耳にした時に感じたものだった。
「ぐっ。そ……れっ」
同時に覆いかぶさってくるのは、力の抜ける強烈な眠気だ。
賢はそれに抵抗らしい抵抗もままならず、額を抱え込んだままくの字に崩れ折れる。
そして……。
トランの能力が個々人のよって時間差があるらしいことと。
流れて誘う音だけではなく、それが発動するために必要なスイッチが別にあると賢が気づいたのは。
意識を失う、その瞬間であった……。
※ ※ ※
「まいった、でやんす」
どこかも分からなくなるような暗闇の中。
法久の、そんな疲れたような呟きが木霊する。
いや、正確に言えばどこなのかは法久も把握している。
カフェレストラン『黒姫』にくっつく形で建てられた黒姫家の押入れの中だ。
冷たい木張りに転がされているのではなく、分厚い布団の中に押し込まれている状態の今が、果てしていいのか悪いのか。
「あんな事、言わなきゃよかったでやんす」
法久は、瀬華に迂闊な一言を言ってここに押し込められてしまっていた。
それは、時が経つたびに子供じみてくる瀬華に対する大人気ない一言による。
お前は幻だと、この店も母親も、幼い頃の夢も全てなかったものだと。
その一言が、そんな内容だったらまだ良かったのかもしれない。
法久は結局、その残酷なまでの真実を口にすることはままならず。
代わりに口にしたのはお店のことだった。
本来の仕事を半ば忘れかけ、あまり繁盛しているとは言えないカフェレストランを手伝うと意気込む瀬華に、お店が芳しくない理由……ショッピングモールにある、全国チェーンのコーヒーショップにお客を取られているのだろうとつい口を滑らせてしまったことに始まる。
別に法久としては、愛華の店を貶めたつもりは毛頭なかったのだが。
瀬華はそうは取らなかったらしい。
その結果が、これだ。
瀬華は、食材の買い出しに帰って法久を押入れに放り込んでからその入り口を何かで塞いでしまったらしく。
それから夜になっても、ここから出してくれる気配はまるでなかった。
「どうしたものでやんすかね~」
法久は、静寂包む暗闇の中ひとりごちる。
その暗闇は、かつての法久の心の内にあった虚ろのように。
波立つことなく何も起こらず、ただただ法久を圧迫した。
何をするにもそつなくこなしてしまった、一見完璧な過去の自分。
その一方で現実に興味を持てないが故に、いつも心にぽっかり穴が空いていた。
自らにカーヴの力があることを知り、その世界でならこのどうしようもない空虚を埋めてくれるかもしれない。
そう思って法久が出会ったのが、知己だった。
それはまさしく、雷にでも撃たれたかのような、ゾクゾクする感触。
今では知己も知る由もないし知る意味もないが。
初めて出会った大学時代……法久は、知己と敵対する派閥にいた。
だが、密かにその寝首掻こうと近づいていくうちに、法久は気づいたのだ。
―――自らの内にある誰にも見せていない心の虚ろを埋めてくれるのは、知己であると。
だから法久は、気づけば今までの全てを捨て、今の自分になった。
それは、派閥の敵味方が関係なくなる時よりも、大分前の話である。
それからというもの、知己と組むようになってからは。
事実法久の心の虚ろはなりを潜めるようになったのだが……。
しかしそれは、まだ完全に消えたわけではなかった。
心の奥ではいつも塞がらない空虚を埋めなくては、という飢餓感がある。
―――『何があっても見届け続けるんだ。何があっても、だ!』
ふと思い出すのは、知己のそんな言葉。
それは、法久にとって正直とても重要な意味を持っていた。
悪い言い方を敢えてするのならば、これから起こる結末がどう転ぼうとも、法久はいつまでも最高のショウを、心の穴を塞ぐゾクゾクを見続けることができる、と言うことだからだ。
その最高のショウが、この先『悪魔片思』によって具現化されるのだとしたら。
言われた通り見続けることにしよう。
起こること、人々の心の葛藤、それら全てを。
「交差する虚言と悪夢の始まり、でやんすね……」
そして。
法久はそんな事を呟いた後。
すぅっと、霞消える夏の終わりの蜃気楼のように。
その闇の中から姿を消したのだった……。
(第104話につづく)
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