第十四章、『落日~手のひらを太陽に~』
第104話、霞桜の女王、夢の舞台下から始まる
明かりが落ちる。
約束を果たそうと、待ち続けたあの夕日のように。
霞み、滲むように消えた、いくつもの橙。
残るのは、ただ一辺の暗闇。
それは、一人の少女に暗い影を落とす。
悲しみと諦観。
憎しみと羨望。
恐怖と絶望。
ありとあらゆる負の感情が少女を包み込み喰らい、消し去ってしまおうとする。
本当にそのままなくなってしまえば楽なのに。
少女……桜枝(さくらえ)マチカは闇の中、そうひとりごちて苦笑する。
余計なことを考えてしまったと自省する。
「マチカさん、お手を」
「……でないと突破される」
何故なら、それは笑ってしまうくらい筒抜けだから。
敢えて作っているかのような軽い声。
何とか吐き出したらしい、落ち着いた声。
マチカが物心ついた頃から、知っている音域。
心を見透かした上で、さりげなく誤魔化し支えてくれる。
仕方ないわね、なんてバレバレのため息を吐いて。
マチカはずっと傍にいてくれる二人の手をそっと掴む。
「……始まるよ」
すると。
右手方向……一人ぶん挟んだ向こうから、魂の芯まで響いてくるような、そんな声が聞こえてきて。
訳も分からず三人一緒になって、その音に震えを覚えたその瞬間。
世界は、七色の光に包まれる。
それは、今まで暗闇に紛れていたマチカたち四人を一瞬で彩って。
生きることを、実感させられしライブが、今日も始まった……。
―――それは、始まりの日。
『ネセサリー』と呼ばれるバンドが、とある会場を席巻する中。
同じ道を志しているはずのマチカたち四人は、いつかその舞台に立てる日を夢見て。
今日も今日とて、会場スタッフ……警備員の仕事をこなしていた。
ライブの始まりにふさわしい、アップテンポな前奏。
それとともに、七色に染められつつ舞台に現れる、『ネセサリー』のメンバーをできる限り近くで見ようと、可能なだけ近くで聴こうと、マチカたちの元にファンが殺到する。
マチカにとっても、彼らはここ最近イチオシのバンド、目指すべき目標で。
そんな彼らのパフォーマンスを、給料貰ってまで体験できるのは、至上の喜びであり、いい経験になるのは間違いないのだが。
この、勢いと言うか情念と言うか全身にかかる衝撃は、いつまでたっても慣れることはなかった。
これが仕事でなく、普段のマチカならば。
無礼者と叫び、押し返しているところだが。
まるでそれを防ぐみたいに両手をがっちりホールドされているので、甘んじて受けることしかできないでいる。
「全く……いつまで経っても慣れないわ」
それは、自分の体裁を保つキャラでしかないのに。
それを誰よりも知っているはずなのに。
両手を繋ぐ二人は、面白がってお嬢様の取り巻きAとBを気取る。
おかげですっかり『高慢で自己中なお嬢様』キャラが定着してしまっていた。
元々のマチカ自身がどうだったかなんて、思い出せないくらいには。
……そんな事まで考えていたマチカの呟きは。
周りの喧騒と、これからの期待感の波により届くことはない。
代わりに場を支配したのは、警戒で艶めかしいギターの音。
深みがあって、じんとくるベース音。
そして、ただただ圧倒され、心打つ歌声だった。
『ネセサリー』のボーカリスト、音茂知己(おとしげともみ)の歌声。
中性的な、薄白い肌の整った顔立ちの青年。
左頬の泣きぼくろが特徴の、神秘的、ミステリアスと言う言葉が似合う、舞台の主役に相応しい典型的な偶像を体現したような人物。
マチカにしてみれば、あまりにできすぎていて。
作り物のようね、なんて本人が聞けば気分を害しそうなことを思っていたりしたが。
マチカたちよりキャリアで言えば五年ほど先輩の彼ら。
マチカたち四人……『トリプクリップ』と彼らの差は、その見た目以上に深くて遠い。
何故なら、この誰もが生きることにどこか諦観を覚え始めている今この時代において、どんなバンドよりもライブをこなし続けているからだ。
逆にマチカたちは、ライブを行ったことは一度とてなかった。
それは、リーダーとしてマチカの想像する、『トリプクリップ』像において、まずは何よりメンバーが足りないと思っていたのもある。
マチカとしては、後二人は欲しい、なんて思っていたわけだが。
その実、ライブができない本当の理由は。
恐怖に駆られ、逃げ出したくなるのは。
他に大きな理由……生の諦観を決定付ける出来事があったからだ。
それこそが、黒の太陽の襲来。
またの名を、『パーフェクト・クライム』。
世界の破滅への一矢とも言えるそれ。
マチカたちが二の足を踏む中。
その恐怖を跳ね除け、お構いなしにライブを作り続ける彼らに。
マチカは多大な尊敬の念を抱いていた。
いつか自分も、と。
希望に夢を灯しながら。
マチカは、目の前で行われている生の実感に、未だ音楽に関わって幸せと感動を覚えることができるこの瞬間に感謝しつつも。
どうしてこうなってしまったのかを。
考えて意味があるかどうかも分からないそれを。
なぞりつつも曲が始まって、更に押し寄せる力の強くなってきているこの現状から、目を逸らすことにしていて……。
「……どうもありがとう」
マチカがそんな事を考えつつも、なんだかんだ言って警備の仕事をそつなくこなしていると。
夢から現実に帰ってくることを示すみたいに、ボーカルの知己がお決まりの一礼をした。
アンコールの後の、バンドのメンバーみんなで、手を繋いでの一礼。
そのまま連なって手を振りながらはけていく面々。
それまで舞台以外は暗闇だったその場に、橙の明かりが灯り、弛緩した喧騒とともにスピーカーから『ネセサリー』お馴染みのナンバーが流れ始める。
ようやく無事に、今日と言う一日が終わった。
そんな感覚に、マチカは大きく息を吐き、それでも裏方はここからが本番だと気合いを入れ直す。
「お疲れ様です、マチカさん。タオルどうぞ」
「……水です。お疲れ様」
「ええ、ありがとう」
まさしく、取り巻きAとBを主張するかのような、それが当然だと言わんばかりの、二人の気遣い。
マチカはそれに、いつだって内心苦笑しつつも。
何でもないことのようにタオルと水を受け取る。
受け取りながら……なんとはなしに二人を見返す。
取り巻きAこと、神楽橋(かぐらばし)コウ。
付き従うべきお嬢様であるマチカには、いつも下手で甘やかしだが、それ以外の人物には基本、攻撃的で口が悪く、辺り構わず睨みをきかせているようなタイプだ。
見た目からして喧嘩っ早く軽そうに見えるのは、幼い頃から染めている、茶の混じった金髪のせいだろうか。
マチカ自身が、その名は体を現しすぎな、自前の桜色がかった髪色が気に入らなかった時があって、どうせなら綺麗な金髪がいいだなんてこぼしたから……だとは思いたくないマチカであったが。
直情的と言うか素直と言うか、そんなコウならやりかねないと言うのが、長年の付き合いによるマチカの見解である。
そして、取り巻きBこと釈芳樹(しゃく・よしき)。
何につけても行動的なコウに相反するかのように、口数の少ない、何事にも動じない落ち着き払ったタイプで。
コウが積極的に矢面に立つ役割であるなら、ヨシキは影でひっそりと寄り添い守る役割を持っている。
特徴を挙げるなら、きつめのドレッドにした、視線すら隠すその黒髪だろうか。
コウの短めな金髪と比べてもかなり目立つはずなのだが、ヨシキ本来の性質のせいか、どこまでもその存在感は希薄で。
二人……マチカを入れた三人は、それこそ物心つく頃からの付き合いであり。
特に意識せずとも離れることのない繋がりのようなものが、そこにはあった。
一言でくくってしまえば、家族と呼ぶべき間柄。
それは、たとえこの儚きご時世、生命尽きようとも崩れるものではないと。
マチカは根拠もなく確信めいたものを持っていたが。
「……ふぅいっ。終わった終わった。みんなおつかれ~」
崩れずとも、波紋を投げかける存在……マチカたち『トリプクリップ』と呼ばれるバンドの最後のメンバーである、母袋賢(もたい・けん)の、そんな暢気な声がかかる。
「おぉ。オマエも気がきくようになったじゃねェか」
「……サンクス」
どうやらケンは、いつの間に取りに行ってきてくれたのか、会場備え付けのドリンクを持ってきてくれたらしい。
それにすぐに言葉を返す、コウとヨシキ。
マチカ自身は、返事は二人の言葉で充分とばかりに、よく冷えたカップのそれを受け取った。
ケンは、同郷のよしみもあって、比較的最近加入したばかりのメンバーだ。
元々は別のバンドを組んでいたのだが、ある事件をきっかけにお互いのメンバーに欠員が出てしまい、四人一組が望ましいと言う上の意向もあって急遽組んだメンバーでもある。
まぁ、バンドとして活動するのにはまだ人数が足りないので取り敢えず、といったところではあるが……。
彼はマチカたちにとって、口にはせずとも危ういバランスを保った、扱いの難しい人物でもあった。
特に人柄がどうこう、と言うわけではない。
その柔らかそうな栗色の髪と、蒼とも紫ともつかぬ澄んだ瞳と相まって、一見すると少女と見紛うばかりの容姿を持ち。
どこか子供っぽさの抜けない性格に、どこぞの方言が混じっているその独特な語り口は。
少々ミスマッチでありながらも「天使のよう」で。
頼りなく危なっかしい面はあるが、決して付き合いにくい人物ではないのだが。
何よりマチカに扱いにくさを感じさせたのは。
再会してから……まるで、それまでの会わなかった時期など存在しなかったかのように、気安くマチカ達に接してきたからだ。
コウに言わせれば『馴れ馴れしい』その態度。
故郷も出身高校も年の頃も同じ。
会わない時期が多かったとは言え、初対面ではなかったので。
彼の子供っぽい性格を考えれば、バンド……チームを組む面子として、決して責めるべきものではないはずなのに。
『初めて』会った時の事を、全く覚えていないようなその態度が。
まるで知らないようなその態度が、ひどくマチカを困惑させるのだ。
それは、幼き頃の些細な約束。
また遊ぼうの約束。
守られず、ひとり取り残されたマチカ。
きっとその瞬間は裏切られたと、憎悪めいたものは確かにあった。
だけど、時の経った今なら。
その時の顛末を一つの謝罪とともに、笑い話で済むはずのものだったのに。
ケンはそれを覚えていなかった。
まるで、そんな出来事などなかったかのように。
既に解決したとばかりに。
古く親しい友人のように接してくる。
本当は何故を問い質し、聞きたかった。
でも、マチカばかりがその些細な約束にいつまでもこだわっているみたいで、下手なプライドが邪魔をし、聞くことができなかったのだ。
もっとも、世界を揺るがし歪ませたあの事件のことを考えれば。
記憶喪失などありがちすぎて、今更蒸し返すのもどうかと思ったせいもあるだろうが。
「あ、そうそう。さっきそこで青木島さんに会ったとね。よかったら今日のライブの打ち上げ、参加しませんかって」
「おお、いいねェ。今日くらいぱぁーっといこうぜ」
「……ふふ」
マチカがそんな事を考えているうちに。
久しぶりに羽目を外せると、楽しげな三人の姿が目に入る。
その場にいるのに、そんな三人を俯瞰して見ているような、そんな感覚。
女が三人いれば姦しいと言うように、似たような何かがあるのだろう。
そう思っていても、一人蚊帳の外にいるという感覚が薄いのがマチカには不思議だった。
それは、コウとヨシキはもちろん、過去はともかくとして、ケンにおいても親愛の情を持つようになってきたからなのかもしれない。
マチカは、三人がそうして一緒になっていろいろしているのを見るのが好きだった。
だが不思議と、異性として想うような気持ちは沸いてこない。
それこそ、ケンと初めて会った時は、もしかしたら恋心めいたものがあったが故の、約束を反故にされた事に対する喪失感はあっただろうが。
でも今は、どうも家族を見ているような……あるいは同性の友人たちを暖かく見守っているような気がしてならないのだ。
まだ枯れるには早いだろうに。
こんな、いつ死んでもおかしくないご時世だからこそ、そんな益体もない事をお得意の妄想めいた思考で遊ばせていると。
それが余りにも長すぎたのか、マチカにしてみれば、虚を突かれるタイミングでケンの声がかかる。
「そんなわけだけどマチカ、どうするとね? 打ち上げ、参加する?」
「うぇっ!? あ、ああ。打ち上げ、打ち上げね。折角誘って頂いたのだし、参加しましょう、うん」
咄嗟にそう答えると、そんなマチカの狼狽えように、不思議そうに首を傾げてみせるケン。
それが妙に様になっていて思わず視線を逸らすと、そんな心情を見透かしたのかのようにヨシキが笑みをこぼし、コウがにやにや顔を向けてくる。
「そ、それじゃ、さっさと行くわよ!」
まったく、いきにくいものだと。
それらを振り払うように歩き出すと。
それが当然の事であるかのように、三人連れ立って後ろからついてくる。
実のところ、バンドとしてのリーダーはヨシキなのだが。
傍から見てマチカが中心のチームに見られるのには。
いつでもマチカに付き従うかのような、そんな三人の行動のせいとも言えた。
もっとも、その事実に気づいてないのは。
当のマチカだけだったりするのだが……。
(第105話につづく)
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