第101話、青いたらこはその心に秘めし望みに懊悩する
それから……。
まだ夢うつつな感触を残したまま、瀬華は久しぶりの母親との再会を果たし。
半ば浮かれながら学校への道を目指していた。
「よかったわ。泊まるところどうしようかと思ってたのが手間が省けてさ」
あの後、瀬華は名残惜しい気持ちを振り切って、しばらく学校に通うことを話したのだが。
そのことを話すと、それじゃあ夕飯を作って待っているわ、と言われたのだ。
ここは、あなたの家なのだから、とも。
瀬華は、嬉しかった。
些細なことなどどうでもよくなるほどには。
「……って。法久、聞いているの?」
瀬華は何も返事をしない法久に、むっとなってこつんとその額をたたく。
すると、何かを読んでいるかのような僅かな駆動音がして、法久は口を開いた。
「もういいのでやんすか、しゃべっても。ただのあおなっす~でいろって言ったのは瀬華さんでやんすよ?」
「拗ねないでよ。法久が喋ったらお母さん驚くでしょ。家にいる時だけでいいからさ」
「……」
そう言う瀬華に法久はやはり何も言わず、むすりと黙り込んでしまう。
ただ、それは別に拗ねているわけでも怒っているわけでもなかった。
法久から見ればあまりに不可解なことが多すぎて、返答に困っていたのだ。
「さっきも聞いたでやんすけど……瀬華さんはあの音の能力を受けて、何か影響あったと思うでやんすか?」
「え? うん。願いを具現化するでしょう? まさにその通りじゃない。すごい能力よねぇ」
「……」
やはり不可解だ、と、法久は再び口をつぐむ。
浮かれて混乱しているのか、そんな瑣末なことは彼女にとっていまさっき目の前で起こった大事に比べればどうでもいいのか。
この問答自体根本から間違っているというのに、瀬華はそれに微塵も気づいていない様子だった。
そもそも、あれは敵……この町で何かをなそうとしているパームの能力のはずであって。
その敵が、なんの裏もなくこちらに利になるようなことをするだろうかと、法久は思ったのだ。
―――『悪魔片思』。
そのカーヴの名は、確かに法久のデータでも初出のものだったが。
名前だけで判断しても、甘い汁には必ずそれ相応の代償があるのではないか……そう思えてならない。
最も性質が悪いのは、そのことを考えようともしない瀬華だろう。
もしかしたら、『悪魔片思』は、そう言う能力なのかもしれないが。
「『悪魔片思』。結局なんなのでやんすかね……・」
「うーん、やっぱりテルの能力みたいなやつなんじゃないの? その術者にもコントロールできないようなさ」
瀬華に問うたわけでもなかったが、そんな法久の言葉に瀬華はもっともらしく説明してみせる。
まるで、そうでありたいと願っているかのように。
これは、予想以上に厄介な能力かもしれないなと、法久は思う。
自らに何も影響がないように見える……あるいはこれからなのかは腑に落ちないが。
ここまではっきり術者の名前、能力を見せ付けられても、正直その真は解明されていないと法久は思っていたのだ。
実は先程しばらく返事をしなかったのは、少しでもその疑問を解決するために調べ物をしていたせいもある。
それは……瀬華の母親と名乗る女性のことだった。
初めはそれこそそんなはずはないと思いつつも、瀬華の言葉が現実に具象化して、母親とカフェレストランが突然現れたのではないか、なんて思っていたくらいだが。
調べて分かったのは、彼女が間違いなく瀬華の母親であるという証明だった。
名前は黒姫愛華(くろひめ・まなか)。
ここ数年ほど前に若桜町でカフェレストランを始めたのだという。
そうなると、百歩譲って彼女がこの町に住んでいるのは、めったにない偶然で片付けられるかもしれない。
だが、愛華が幻でないと分かって余計に強く違和感を覚えたのは、彼女の瀬華に対しての態度だった。
愛華は瀬華に対し、仕事場から久しぶりに帰ってきた子供にでも言うようにお帰り、と言った。
なかなか帰ってこないから、お店を建てたとも。
それはどう見ても不可解な言動だった。
何故ならば、そもそも瀬華はもうこの世にはいない存在であるからだ。
瀬華が亡き人になったことは、当然愛華も知らないわけがない。
なのに、こうしていきなり現れたのにも関わらず、反応が恐ろしく普通だったのだ。
まあ、感極まって涙ぐんではいたが……
とてももう会えない人と対面したリアクションとは思えないのである。
見た感じ……娘を失い心を壊し、現実と幻の見分けがつかなくなっているとか、それこそ何者かに操られているという印象は全くなかった。
法久からしてみれば、亡くなった娘が蘇ってきたことが当然であると、そう感じているように見えるのだ。
だが、そのことよりも。
何度も言うが、最も厄介なのは、瀬華自身がそんな母親の不可解さを微塵も気づいていないという点だろう。
「それにしたって、よく考えて欲しいでやんすよ。あまりに物事ができすぎてるとは思わないでやんすか? 何か裏がありそうな気がして仕方がないでやんすよ」
法久が思い切ってそう言うと。
瀬華はなんでそんな事を言うんだとばかりに法久を睨みつけて。
「大丈夫よ。裏があろうとなかろうと、たとえ幻だろうと。お母さんはわたしが守ってみせるから」
「……そう、でやんすか」
だから、それが前提として間違っているんだ、とは。
流石に法久も言うことはできなかった。
幻なのは愛華じゃない。瀬華自身なのだ。
瀬華は彼女に会ってから、それを完全に忘れてしまっている。
いや、忘れようとしているのか……。
もし、もう一度その真実を突きつけたとしたら、瀬華はどうなるのだろう。
ここに来る以前に言った陳腐な脅しが、脅しでなくなる可能性だって大いにある。
これは法久にとって、誤算だった。
瀬華にコーデリアのメンバー以上の存在が、こうして都合よく現れるなど思ってもみなかったのだから。
「……っ」
そこまで考えて法久は、その『悪魔片思』という能力の恐ろしい効果に、何となく気づいてしまった。
かかった獲物に希望という疑似餌をちらつかせ、それを後に虚偽だと明確に突きつけることで、これ以上ない絶望を与えるという……そういった類のものではないのかと。
(だとしたらこの能力は)
『パーフェクト・クライム』よりも残酷な、許されざる力だと、
法久は一人、搾り出すように心でそう呟く。
「さて、学校についたわ。さすがにこのままあなたを持ってるのはどうかと思うんだけど、どうしよっか?」
しかし、そんな法久の思いは届くはずもなく。
相変わらず、浮かれ半分な様子が消えない瀬華を直視できなくて。
法久はいつの間にか正面に見える、校舎正面の柱時計……さらにその上に見える屋上に視線をやった。
「とりあえず、放課後まで別行動というのはどうでやんす? おいらはそれまで見つからないように屋上にでもいるでやんすよ」
「そう、そうしましょうか。えっと、編入の手続きは……」
「あ、その鞄に入ってる、書類をそのまま先生に渡せばOK、でやんすよ」
法久は、瀬華の気分が上昇していけばいくほど下降してゆく自らのテンションを感じつつ。
そういい捨てるや否や、あたりに誰もいないのを一瞬確認すると、ふわふわと屋上に向けて飛んでいってしまう。
そして、未だ青く澄んだ青空が視界一杯に広がっていって……。
その時ふっと法久は、ある一つの事に気づかされた。
自分は、『悪魔片思』の能力に何も影響を受けていないと思っていたが、それは違うのではないのかと。
これから起こりうる、血を吐くような危機的状況こそが。
日々日常の空虚感に心を悩ませていた自分の願いなんじゃないかって。
そう、気づいて……。
地上から、瀬華が何か言っているようだったが。
法久はもう、振り向くことすらかなわなかった。
それはきっと、これほどの吐き気を催す最低な自分を。
今は誰にも見られたくなかったからなのかもしれなくて……。
(第102話につづく)
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