第238話、無邪気の一撃、間一髪大惨事
「まゆ、大丈夫……?」
伺うような怜亜の声。
それに、まゆはっと我に返る。
気づけばそこは、まゆと怜亜が元々いた場所で。
気づけば、怜亜ちゃんの顔がとてもとても近かった。
どうしてこんな状況になってるのか分からず、混乱のままに口を開いて。
「だ、だいじょぶだって! こ、こんなのツバつけとけば直ると!」
あわてふためき離れるまゆ。
すると、何故か残念そうな顔をする怜亜がそこにいて。
「もう、逃げることないのに」
もしかして、怜亜にはそっちのケもあるのかと。
さっきまでのシリアスな雰囲気や、不可思議な気配はどこへやら。
初めて味わう悪寒がまゆの全身を包んでいて。
「に、逃げるとっ!?」
「絶対逃がさない」
「ひやぁっ」
まるで何かのスイッチでも入ってしまったかのように目がマジで。
まゆは悲鳴を上げて脱兎のごとく逃げ出す。
まぁ、捕食動物に目を付けられた兎の運命なんて分かりきってるようなものだったが。
その時のまゆはまだ知らなかった。
そうやって誤魔化すことで忘れようとしている深い傷の原因が。
怜亜の瞳の中で見た不可思議な出来事と、大きく関係しているという事を……。
とはいえ、別に本気で逃げようと思ったわけでもなく。
まるで見せつけられたかのように展開したワンシーン。
それがもしこの屋敷の中で実際に起こっていることであるならばどうにかしなければと思ったからだ。
まゆの記憶と相違なければダンスホールからはそれほど遠くない。
ただ、いきなりそんなことを説明されても怜亜だって意味不明だろうからとりあえず現場だけ見てみようと思ったわけだが。
怜亜のカーヴ能力によって新たに作られた、螺旋の軌跡を描くトンネルにおののき見とれていたら、まゆはあっさり捕まってしまった。
ほれぼれするほどの動きでがっしと肩を掴まれる。
「ほら、化膿したり痕のこったりしたら大変でしょっ」
まるでお母さんみたいな物言い。
と言うか、さっきまでのおふざけな気配は怜亜にはなかった。
その手にはついさっきのお化けツカサに似た猛獣をミンチにし、人の家の壁に風穴あけたギターがある。
ついでに、怜亜の色を現す薄青のアジールが立ちのぼっていて。
「え、ちょっ! なんばしょっと!? 勘弁、どうか命だけはぁ~っ」
「ちょっと、いつまでもふざけてないでじっとして」
命乞いをするまゆに聞く耳のない怜亜。
こんなことなら最初に言われた時に大人しく頷いておけばよかったと、後悔しきりになった瞬間。
バチィっ!
「えっ!?」
「なっ……」
いつの間にそこにいたのか。
突如として生まれる第三者の気配とアジールの爆ぜる音。
……いや、それは紫電が地面を這う聞き慣れた音だった。
半円を描く紫電は、違うことなく怜亜のギターを捉える。
「くっ……誰っ!?」
感電を防ぐために一度ギターをどこへともなく仕舞込んだ怜亜は。
もう次の瞬間には完全に戦闘態勢に入っていた。
先ほどとはけた違いの身の毛のよだつアジール。
きらきらと光って怜亜の美しさを際立たせる。
「このわるものめっ! 恵ちゃんをはなせっ!」
負けじと全身に紫電を纏わせて現れたのは小柄な金髪の少女だった。
毛先だけ黒いのがあの子憎可愛いあんちくしょうに似てる……ではなく、どう見ても完全に正咲本人だと、思わずまゆは声を上げた。
「なんで正咲がっ!? って、正咲まで僕のこと恵ちゃんと間違えてるしっ!」
そう言いつつも、今の姿でまともに顔あわせるのって初めてである事に気づくまゆ。
若狭にいた時はこの姿で顔を合わせたことはなく。
うず先生のもとでメンバーを組んでたのはカナリの方であって……。
「こそこそ隠れて不意打ちしてくるようなのに悪者呼ばわりされる筋合いないんだけど」
「なんだとーっ!」
なんてことを考えているうちに、まゆの言葉なんかお互いに全く聞こえていない様子で対峙してる二人の姿が目に入った。
既に二人の世界に入ってる感じなのは、なんというか相性がいいからなのだろう。
所謂ひとつの犬猿ってやつだろうか。
お互いきっと初対面のはずなのに、何故かまゆにはそう思えて。
「どこの誰だか知らないけどあなたこそ何か企んでるんじゃないの?」
「そ、そんなのへんたいさんのキミに言われたくないやいっ!」
「……言うじゃない。何の根拠があるのか知らないけど」
「いま恵ちゃんにえっちなことしようとしてたじゃん!」
「あらやだ見てたの? 羨ましかったのかしら、おちびさん?」
「むぅ~っ!」
どうやら言い合いには怜亜に分があるらしい。
と言うか、その中身がまゆの想定してたものと随分逸れた方向に突き進んでいるのは何故なのか。
しかもお互い否定もせず。
ノる怜亜もなんだが、何をして正咲にはそんな風に見えたのかって感じで。
「まゆの介抱しなくちゃいけないの。お子様はどこかに行ってなさい」
勝ち誇ったかのような笑みで手の甲を見せ、振ってみせる怜亜。
「むぅ、おばさんよりましだも~ん」
だがそこで、ここぞとばかりに正咲は舌を出す。
「おばっ、言うに事欠いてこのっ……あたしは永遠の19よっ!」
「かったー! ジョイまだぴかぴかのじょしこうせーだもんっ」
「ぐぬぬぬっ」
おばさん呼ばわりされたことが予想以上にこたえたのか、今度は怜亜の方が言葉に詰まる。
まゆにとってにはどっちもどっちに見える、などとは口にしない方がいいのかもしれないが。
一度死んで年齢の概念なんてすっ飛んでいたからあまり気にならなかったが。
そうなると二人ともまゆより年上になるわけで。
やっぱりとてもそうは思えないけれど。
大人げない二人は、もはや毛を逆立てて火花散らせ、一色触発な状態だった。
止められるかどうかは別として、なんとかしなければ。
まゆは少し考え、両手のひらから白の輪を取り出す。
それにより立ち昇る、まゆのしろくろのアジール。
近くで新たなカーヴ能力が発動しようとしてるのが分かれば流石に二人は気にとめてくれるんじゃないか。
……と思ったのは甘かったらしい。
まゆの小さな力なんて猫も杓子もかからないのか、背後に風神と雷神……じゃなくてくろにゃんことみゃんぴょうのオーラが見えるくらいにメンチを切り合っている。
「……」
その様子にまゆはだんたんとむかっとなって。
自分から派生した誤解で二人がいがみ合ってることも忘れて。
まゆはそれでも二人に当てないように注意しながら、二人の頭上に向かって一対の白の輪を打ち鳴らした。
「えっと、【秘枢拍来】」
そして、遠慮がちに力ある言葉を紡ぐ。
何が出るか分からない=どうせ大したものなんか出てきやしないってタカをくくっていたまゆは、やはりカーヴ能力者素人だったのだろう。
その時も、さっきみたいに大きな音でも出れば御の字くらいに思っていて。
でも、そう思ってたのは発動して数秒くらいだった。
「……えっ?」
輪の向こうから聞こえてくるのは風が引き裂かれ砕かれる悲鳴。
背中の羽と羽の間に落ちるぞくりとする感覚は、輪の向こうからやってくるものがとてつもなく大きくて、かなりスピードで近づいてくるのが分かったからだろう。
「わわわっ」
まゆは恐怖にかられて思わず手を離す。
ぽんと二人の頭上に飛んでいく白い輪。
二人がそれに気づいたのはまさにその瞬間で。
「……!?」
悲鳴がかき消される。
一体何がぶつかればこんな音がするんだろうと悩まずにはいられない衝突音。
大気ぶち抜いて繰り出されるマシンガンそのものにしか思えない射撃音。
一発でも受ければ人の体なんて木っ端みじんだろう蛍色した光弾が、天井のシャンデリアを撃ち抜いてなお飽き足りず、天井に風穴を開けてきらめく雨を降らす。
当たっても怪我ひとつしないくらいに粉粉になったきらめきが茫然自失するまゆたちを彩るように舞い降ってきて。
辺りに満ちるのは、恐ろしいまでの静寂。
(な……なんだよ今のっ!?)
いや、何かはなんとなく想像はつく。
何せ、白い輪から出てくるものは、まゆ自身が知っているか見たことがあるものだからだ。
関わったことがあるものだからだ。
あれは、行きのエンジンしか積んでないタイプの戦闘機だった。
考えれば考えるうち、自分がとんでもないことをやらかしたことを自覚させられる。
大袈裟じゃなく、輪を手から放したことが二人の命を救ったのかもしれない。
通常、輪は出てくるもの、入ってくるものに対応してその大きさを変える。
つまり……あのまま持っていたら天井ぶち抜くだけじゃ済まされなかったわけで。
「……お願い、わたしのために争わないで?」
「……」
「……ひぅっ」
咄嗟に出た言葉は、怜亜を震え上がらせ、正咲を涙目にさせるには十分すぎて。
どさっ。
その瞬間、穴の開いた天井から落ちてきたのはナイスバディな金髪美女。
「な」
唖然。
だらだらといやな汗が全身に落ちる。
美女……あるいは美少女はぴくりとも動かない。
ぎぎぎと軋む顔を上げれば、現行犯の極悪人をさげすみ非難する視線が二つある気がして。
たぶん気のせいだと思いたいが……。
「……きゅう」
そんなまゆにできたのは。
卑怯にも目の前で起こった出来事から逃げ出すことだけだった。
不覚にも、気絶するというベタな形で。
―――教訓。
よく知らない能力を人前で使うのは二度とやめましょう。
(第239話につづく)
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