第237話、砂糖菓子みたいな、瞳の中の住人
「ご、ごめんなさいっ」
ややあって。
まゆが勇気を振り絞って天使違いであることを告げると。
勘違いしたことか、それとも泣いたことか。
熟れたりんごのような顔をして謝りだす少女の姿がそこにあった。
「いややっ、謝ることじゃないって。はるさんに似てるってよく言われるし」
むしろ誠心誠意謝罪しなければならないのはこちらの方なのだろう。
はるさんが犠牲になってもっとも傷ついたのは、彼女だっただろうから。
その点、実の娘と来たらずいぶんと冷めているんだからとたまらないと内心ひとりごちるまゆ。
恐らく、その犠牲により見い出す価値を先に考えているからなのだろう。
自分自身がそうだったせいか、悲しみよりも先に誇りが出る。
こうやって不器用に、必死に悲しみを誤魔化そうとする。
だから父……こうちゃんはあんな風にへそを曲げてしまったのだろうが。
「……それじゃああなたがリアなの?」
まゆの言葉から何かしら察したのだろう。
涙を拭い、はにかんだままの状態で彼女はそう聞いてくる。
「リア? えっと、ああ、聞いたことある。恵ちゃんのことだよね? ううん、天使違いだよ。僕は恵ちゃんの姉で……って、そう言えば自己紹介がまだだったよね。僕は鳥海白眉。まゆって言います。さっきは助けてくれてありがとう」
挨拶とお礼はつかみの基本、かどうかはともかく。
まくしたてるようにしてそう言うと、彼女はちょっとびっくりしたように目をしばたかせた。
「っ、それじゃあ」
出かけた言葉は続かない。
彼女はただ戸惑っていた。
その言失は、雄弁にまゆの立ち位置を暴き出す。
『パーフェクト・クライム』との邂逅で命を落とした鳥海家の長女。
いないはずの存在。
そしてそれは、目の前の彼女も同じはずで。
「故あって化けて出てきちゃいました……なんちゃって」
「……」
ここ一番のブラックなジョークは通用しなかったらしい。
複雑な顔。
泣きそうで、怒っているようで、やるせない。
「あなたは怜亜ちゃんだよね? 天使仲間のこうみんからあなたのことは聞いてるよ。あなたなら、僕の力にきっとなってくれるって」
だからまゆは、敢えてそんな言葉を口にする。
すると、怜亜は顔を上げて、
「力になる? 嘘よ、そんなの」
否定に頭を振った。
怜亜が友人だってことは、こうみん……幸永本人から聞いていたわけだが。
それがこうみんの勘違いだったと思ってしまうくらいの虚無を孕んでいて。
「そうかなあ。今さっき助けてもらったばかりじゃん」
「……そう言うことじゃないの。だってあなたは天使なんでしょう? 天使が人を頼ろうとするなんて、ありえないわ」
静かな彼女の言葉が、確信めいてうつろに響く。
まゆはそれで初めて、目の前の一人の少女が深く深く傷ついていることを理解した。
それを、必死に隠そうとしていることも。
「うん、その通りだよ。まともな天使だったらね。他人の犠牲をかたくなに拒み、自信の犠牲を無遠慮にばらまく。そう言う生き物なんだと思うよ、この世界では。でも僕は違う。変わってるんだ。僕はこうちゃん……お父様の血の方が強いみたいで、自分勝手なんだよ。一人じゃなにもできない弱虫で、死ぬのも痛いのも大嫌い。だから、目的達成のためなら平気で人を利用する。ほら、天使っぽくないでしょ?」
まゆはおどけて、笑う。
悪魔のようにぬふふのふと。
「そうやって息をするかのように嘘をつくのね、あなたも」
すると今度は呆れたような嘆息。
今の会話のどこにうそつきのレッテルを貼られる確かなものがあったのか眉には疑問であったが。
なまじ間違ってないから非常に耳に痛かったりはする。
でもそれでも。
そんなまゆに興味を持ってくれたのかもしれない。
少しだけ、沈んでいた雰囲気が上がりだしたのが分かって。
「……どうしてあなたはここに来たの?」
じっと見据えてくる怜亜。
そこには蘇ってまで、と言った暗喩が含まれている。
その瞳には誤魔化しのきかない強い光が宿っているのが分かって。
「とらわれの姫を……次代の救世主となるべき一人の少女を助けに来たんだ。この魔王の城から」
だからまゆは、ごくごく真面目な顔してそんな言葉を返した。
「……」
怜亜はそんなまゆの真意を問うように、我の強そうなつり目がちの瞳を向けてくる。
そしてただただ無言のプレッシャー。
「う、うそじゃなかとよっ? ちょっと小粋な比喩表現とか使っちゃってるけど」
すぐにボロが出て、思わずしどろもどろになるまゆ。
「助け出して、その後は? めでたしめでたしじゃないでしょ?」
「……」
城に……こうちゃんが創り出した檻の中にいたままの方が幸せだった。
そんな展開が確実に待っている。
それは、誰よりもまゆ自身が身にしみて理解していることでもあって。
「めでたしめでたしだよ。それが本当に本人、恵ちゃんが望むことならね。
ぁ、それは一度会って話してみないことにはなんとも言えないんだけど……少なくとも僕は後悔してないよ。自分が望んだこの結末に、今では満足してる。でも妹はその選択すらできない状態だから。何をも自分で決められる自由を与えてあげたいんだ。何もしてあげられなかった不甲斐ない姉の自己満足なのかもしれないけどね」
そう、これはただの自己満足。
陶酔って言った方がいいのかもしれない。
容易くそんな言葉が出てしまう自分は最低なのかもしれない、なんて思って。
それと同時に今すぐ全てを見て見ぬ振りをして逃げ出したくなる。
「だけど僕には……そのやらなければならないことをひとりでやりとげる力がない。それを今の戦いで痛いくらい実感した。だから、怜亜ちゃんがよければ手伝って欲しいかなって。まぁ、いくらなんでもいきなり来て虫が良すぎる気もするけど」
そんな自分を誤魔化すように。
なりふり構ってなどいられないから。
まゆはきっぱりとそう告げる。
「……」
それに対する怜亜の答えは、悩み込むような沈黙だった。
ずいぶん勝手なことを言っているのはまゆも自覚していたから。
それについて怒られなかっただけましなのかもしれないが……。
やがて顔を上げた怜亜が、真剣な面持ちのままに口を開く。
「……気になることが一つあるの」
「う、うん」
内心何を言われるのかびくびくしつつも。
言われたまゆは頷き促してみせる。
「『パーフェクト・クライム』にとってリア……次代の救世主がこの屋敷に守られたまま、『時の舟』を使わずにいることは僥倖なはずでしょう? なのにそれを解放すると言うことが、あたしたちにとってどんな意味を持つのか、あなたは理解しているの?」
「……うっ」
それは結構禁則事項じゃなかろうかと。
ついさっきたったばかりの死亡フラグ増大の予感がすると。
思わず言葉を失うまゆ。
……そう、それは完なるものに対しての裏切り行為だ。
そしてそれは、死に直結する。
「そ、そそんなの関係なかとっ、今さら死がなんぼのもんじゃーいっ、愛妹のためなら命短し恋せよ乙女っー!」
だからこそ敢えて叫ぶ。
ちょっと声が震えてしまったのは武者震いってことにしといてくれとばかりに。
そんな暴走気味のまゆを、怜亜は呆気に取られた様子で見ていた。
だが、すぐその表情についぞなかった笑みが広がり始める。
「さっきと言ってること矛盾してるじゃない。しかも言葉遣いへんだし」
「へん? へんとかいいよったとね!? 僕の初恋のひとに……って、ま、マジでぇっ! 何言っちゃってんの自分っ!?」
口が滑って場を和ませるのはいいけど身を削りすぎであろうと。
動揺の二乗。
まゆの哀れなほどの狼狽えっぷりにぽかんとしていた怜亜だったけれど。
それからすぐに怜亜の表情に浮かんだのは、からかうような笑みだった。
「ふぅん。あなた、口癖がうつっちゃうくらい好きな人いるんだ?」
「ううーっ」
ここで正直に少し前までその人の影武者やってましたなんて言っても、どうにも胡散臭さすぎであった。
と言うより、繰り出された口撃は避けようのない事実だからいただけない。
現に気を抜くと、その癖が出てしまってるのは確かなのだから。
「話は逸れちゃったけど……」
そんな訳でそれ以上二の句が告げなくなってたまゆに、いじわるそうな……でもどこか柔らかな顔のまま怜亜が話題を戻す。
さっきよりもほんのちょっとだけ気の抜けた感じで。
心安らかにはまだまだほど遠そうだったが。
それでも一歩進めたことにまゆは安堵していて。
「つまりあなたも、『パーフェクト・クライム』に抗う……そう言うことでいいのよね?」
頷いたまゆはふと気づく。
『も』、と言うことは。
「ママにこれを託された時から、あたしがここでなさなくちゃいけないことは決まっているの。この、『時の舟』の鍵をリアに渡さなくちゃダメなの。……あなたがあたしと同じ考えでよかった」
安堵の笑み。
つまり怜亜は、『パーフェクト・クライム』を、パームを裏切るってことなんだろう。
本来なら怜亜はここを守る……まゆとは敵になるはずだった。
だけどはるさん、母の決死の願いがそんな怜亜の思いを変えたのだ。
―――同じでよかった。
その言葉がただただ痛くてたまらなくて。
それからすぐに両手のひらで大事に抱えるようにして怜亜が見せてくれたのは……
虹色の光を蒔く一枚の羽飾りだった。
はるさんの証。
『時の舟』のエンジンキー。
目に入った瞬間、こめかみの奥に熱くいたいものがこみ上げてくる。
それは本来、まゆが背負わなければならなかった業。
「……ごめんね。本当は僕の役目だったのに」
気づけば自然と、そんな謝罪の言葉が出ていた。
虹色の光が、にじんで霞み、大きな判別のきかない円になる。
それが、自分の流した涙によるものだと気づいて。
「こ、こんなの最低じゃんっ。怜亜ちゃんに全部押しつけてさっ」
それは、はるさんに対してのものだったのか自分に対してのものだったのかは分からない。
まゆは流れ落ちるものを無理矢理にでも止めようとする。
「やっぱりまゆは……ママの本当の娘なんだね。
「ふわわっ」
だけど。
そんなまゆよりも早く。
初めてまゆの名前を呼んだ怜亜の指が目尻にあって。
驚いて涙も引っ込んだまゆに怜亜は微笑む。
「頬の傷、治療しなくちゃ。きれいな顔が台無しだよ?」
そしてそのまま両頬を挟まれて。
怜亜の瞳の中に写り込むまゆの姿。
「……っ」
それを認識した瞬間、瞳の中のまゆだけが笑う。
―――呪い。
それは特に不快なものでもないのに、浮かんできた言葉はそんな言葉で。
それが手に持つのは小さなホロスコープだった。
そのレトロな映写機は、まゆの意志に反してこことは別の場所を映し出す。
それは、屋敷の玄関近く。
どこまでもどこまでも続く赤絨毯の廊下。
そこに一人の男が立っていた。
かつて『喜望』の一員だった時に顔を合わせたことのある人物。
AKASHA班(チーム)のひとり、王神公康その人が。
王神は、その手のひらから青い糸を紡ぎ出す。
伸びる先にはたぶんこうちゃんのファミリアか何かなんだろう。
獰猛さを誇示するみたいに牙をむく巨大な白ラブとチョコラブの姿があった。
青い糸は、警戒する二頭にくっついて。
一体何が起こるのか。
そう思った瞬間、王神が突然引きつけを起こしたみたいに苦しみだした。
何かに身体の支配を奪われたみたいに全身を硬直させ、倒れる。
その表情に浮かぶのは苦悶。
助けなくちゃ、反射的にまゆにはその責任がある気がして行動に移そうとする。
だけど、その手は届かない。
呼びかける声も届かない。
まゆが視点だけの存在だと気づかされたのはその時で。
苦しむ王神の足下に巨大な口が現れる。
王神は、為す術もないままにそれに飲み込まれていって……。
(第238話につづく)
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