第331話、君が教えてくれたこと、頑張れるだけで幸せと
「……っ」
勇が目を覚ました時。
近くにあったのは、随分と懐かしいぬくもりだった。
「……哲?」
思わず口に出し、なって顔を上げると、そこには確かに哲の姿があった。
赤黒い粘土質、あるいはゼリー状のものがあちらこちらにへばりついているが。
実は我の強い……きつさのようなものが、寝ていることで顕になったのか、しっかり眉間の部分に皺として現れている。
あまりにも紋切り型な、大人しくて気の利く、影から支えてくれるような、恋女房の如きイメージが定着してしまったから忘れがちではあるが。
そう言えば哲は本当の所外面ばかり良くて、心内では舌を出しているような、そんな弟であった事を勇は思い出す。
化けの皮という名の毒は、気安い関係になればなるほど剥がれやすい。
故に塁もそんな哲の裏の顔に気づいていたはずだと思っていたが、どうもそうではなかったようだ。
……恐らく、気になる相手に対し猫でも被っていたのだろう。
その猫のおかげで、塁の仕出かした事にすぐ気がつく事が出来たのだから、世の中分からないもので。
「……っ」
そこまで考えて完全に覚醒した勇は、勢い付けてばっと起き上がり、目の前を塞ぐ赤銀のものを見据えた。
それは、人をすっぽり覆う程の大きさの盾の裏側。
おもむろに取っ手に手を伸ばすと、霞のような手応えのなさで崩れゆく。
「……哲、一時休戦だ。また『彼女』がやらかしたらしい」
「自分勝手だよね、ホント。イライラする」
いつの間にか背後にいて、自らの得物に手をかけていた哲は。
こちらを見ようともせずにそんな事を言う勇に向けてなのか、そうでないのか、ぼそりと一言呟くと、そのまま飛び出していく兄についていく。
そして、駆け出す二人が見たのは。
待ちくたびれたぞ、と言わんばかりに腕を組み、仁王立ちしている柳一の姿と。
台座つきのガラス柱に捕らわれし、塁と呼ばれる少女の姿で。
ごぼりと水泡浮かぶ、粘度の高い透き通った緑の水に包まれた彼女は、意識がないようだった。
目を覆いたくなるようなボロボロの服装とあいまって、赤い地面に広がるのは激しさを物語る戦いの跡。
染まる色は赤い酸の雨か。はたまた塁のものか。
夥しい赤溜りに対して、目を閉じたままそこにいる柳一には傷一つなく。
大人しくて控えめで臆病な……本当は間違っている哲の姿はそこにはない。
持て余す怒りの感情。
それでも、捕らわれし塁を助け出す事は決定事項で。
その時勇が思ったのは、白すぎるその柔肌を隠さなくては、なんてことで。
誰にも……塁本人ですらも見せたくない。
そんな欺瞞の元、邪魔者を排除せんと、勇は自らの得物……円月刀を構えたが。
「……柳一さん、生きてたんだね。まぁ、うざい雨が止まない時点でそうだとは思っていたけど」
哲の、一定以上気を許すと素が出るその一言を耳にし、はっとなる。
そう言えばここにいる哲は、相手側であったと今更ながらに思い出したからだ。
「生憎、まだ仕事が残ってるものでね。何せ『紅』の仕事はここだけじゃぁない。いい加減休みたいよ」
「休みたいのなら休めばいい。ここは僕がどうとでもしてあげるからさ」
しかし、やりとりを見ていると、二人がかりで勇に対するという気配はない。
だが、二人の会話を脇目に塁を奪い返す、なんて隙もなかった。
故に油断せぬまま様子を伺っていると。
目の前の男……柳一が笑みをこぼしつつアジールを高めていくのが分かって。
「はは、そうもいかないだろう。どうせあれだろ、お前。大好きなお兄さまに絆された口だな? 信用ならん」
「ふん。皮肉も分からないみたいだね。ぶっ倒されたくなかったらそこをどけと言ってるんだよ」
つまりは、信用などそもそもなかったと言いたいのだろう。
そのままアジールを高め、どこからともなく取り出した青白い細剣を構える哲。
柳一のからかいに、スルーするも否定はしなかった哲。
あんなにツンケンしていたのに、敵対すらしていたはずなのに。
ボクの事、そんなにも好きだったのかと聞いてみたい気持ちに駆られる兄馬鹿の勇であったが。
今はそんな場合ではないとぐっと堪え、哲の隣に並び立ち円月刀を再度構える。
「まぁ、こうなるとは思ってたがね。……ならばサービスだ」
途端、膨れ上がる柳一の赤黒いアジール。
体勢を低くし、警戒する二人をよそに、柳一のすぐ傍の地面がぼこりと膨らみ伸びて人一人分の質量を確保する。
ここまで何度も戦ってきた、最早お馴染みの『紅』か。
あるいは哲のように死の淵から甦りし刺客か。
「そんなサービス、クソ喰らえだってんだ!」
わざわざ敵を増やすのをバカ正直に見ているものかと、一気に間合いを詰める哲。
馬鹿正直な勇が声上げる間もなく、ギラつく細剣は柳一へと吸い込まれていって……。
ガガキィンッ!
それを邪魔したのは、金属と金属が軋む音。
「ちぃっ!」
哲は自らの得物に不利を感じ取り、相手の薙ぎ払う力に合わせて再び間合いを取る。
「………ぬぉうっ!? そ、某は一体? 戦いに敗れたはずでは……むむっ。主殿、なぜ外に?」
現れ、哲の剣を弾いたのは、どこか人間臭さを感じる修験者のような出で立ちをした紅だった。
ただの『紅』でないことは、語る口が物語っていて。
「おいおい。そんな言い方したら俺が本体だってバレるだろうに」
「すっ、すみませぬっ」
言葉の割には余裕を隠さない柳一。
平伏しかねない勢いの『紅』を制すと、改めて勇たちに向き直って。
「俺の最高傑作である『紅髄』君だ。……そこにいる少女ととても良い勝負をしたんだ。その刀でね」
赤いものの滴るそれを、これ見よがしに見せつけ、作ったかのような悪辣な笑みを浮かべる柳一。
塁を傷つけたのはこいつか。
今の今まで必死に押さえつけていた怒りが、勇の全身に充満する。
久方ぶりに暴走の感覚を勇は思い出す。
もしやそれが目的か。
ならばもういい。我慢ならない。
それに乗ってやろうと、箍(たが)を外そうとして。
「気に入らないなぁ。とてつもなく不愉快な気分だ」
塁に触れて……あるいは傷つけてもいいのはまるで自分だとでも言わんばかりに。
またしても一足早く、細剣から冷えたアジールを迸らせて、そのまま倒れこむように姿勢低くして飛び出したのは哲だった。
「その勝負、しかと受け取った!」
紅髄と呼ばれた紅は、真っ向から受けて立つとばかりに吠え返し、二人の刃が交錯し、激しく火花を散らす。
「では始めようか。最後の戦いを。……君たちにとってのね」
「フッ。……その言葉、そのまま返すよ」
そして、予めそう定められていたかのように、相対する勇と柳一。
剣戟が、戦いの銅鑼となって。
始まりの撃鉄となって。
須坂兄弟の、最初で最後の戦いが、始まった……。
(第332話につづく)
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