第206話、全ての根源、12の力で圧倒す
「イキマス……」
機械的だが、どこまでも静かな始まりの合図。
仁子は頷く代わりに、再び構えをとって。
刹那の無音。
そして続くのは、お互いの魂が軋れるような、そんな音だった。
ラセツの右手に握られたなめらかに歪曲する刀と。
仁子の右手に宿ったトゥエル……牙撃が激しくぶつかり合い、火花を散らす。
それは刃と刃の摩擦によって起こるそれではなく。
仁子とラセツのアジールのぶつかり合い、と言ってもよかった。
「はっ!」
仁子は一つ息を吐き、ぐっと踏み込む。
それに圧され、下がるラセツ。
どうやら初撃のぶつかり合いは、仁子に分があるらしい。
だが、仁子は全く余裕を持っていなかった。
圧されるのにも構わず向けられる左手の銃口の存在があったからだ。
仁子の初めて見る、六花の銃。
それは一体どういう類の能力を秘めているのか。
分からないからこそ油断なぞできようはずもなく。
「【代仁聖天】ファーストっ!アドジャッジ・セブンッ!!」
先手必勝。
相手が手の内を晒すその前に全力で叩く。
まるでそれ自体が伸びているかのような青銀の残滓を残して、仁子の身体ごと牙撃の刃がラセツの喉元を襲う。
その一挙動は時を止め、ラセツの目前にまで迫る、という場面まで飛ばしたのかと思えるほどの疾さだった。
だからこそ止められるはずはないという自負は仁子にはあったのだが。
ある程度の予想はついていたとはいえ、牙撃の刃がラセツの喉元を抉る直前に。
立ちはだかるようにして黒薔薇の彩色が踊った。
初撃と同じくして、右手の剣がそれを防いだのだろう。
それはただ疾いのとは質が違っていた。
まるで、仁子の能力が分かっていて防御したようにも見えて。
仁子がそのからくりを考えようとするより早く。
刀の辺りに突如として発生する、渦巻く風。
この剣が、正しく本物の黒姫の剣をコピーしているのならば。
一見無害そうなそれが、恐るべき力を秘めているだろう事は容易に想像できて。
「ワン・赤炎(インガノック)!!」
仁子は頭の中に流れ込んでくるこの状況にふさわしい、力ある言葉を発した。
―――『選択結果』。
それこそが仁子の能力、【代仁聖天】の答えであり、真骨頂でもある。
ファーストの力である『アドジャッジ・セブン』は、七つの大罪を模した攻撃タイプの能力であり、七つのうちその状況に置いてもっともふさわしいものが選択され、まさしく託宣であるかのように、それを発動する為のフレーズが浮かんでくる。
第一の罪、嫉妬の連獄をまとった牙撃は、揺らめく炎のように揺らめき黒の細剣に絡みついた。
鉄をも溶かす赤赤としたその炎は、過ぎた抱擁で黒刀を破壊する。
「はっ!」
そこからさらに仁子は鋭い呼気とともに一歩踏み込んだ。
そして未だくすぶることをやめない赤光放つ牙撃の刃を、低い体勢から伸び上がるように繰り出す。
声もなく、心の臓部分に風穴をあけて上空にかち上げられるラセツ。
「二、三、四っ!!」
だがそれだけでは終わらない。
それまでは一本だけだったはずの赤光の刃のすぐ脇から新たな刃か生じ、その数だけラセツの身体に風穴をあける。
そしてついには、ラセツの身体に炎が燃え広がって……
水の焼ける音とともに、 ぐらり、と崩れ落ちるラセツ。
「コ……ン…………ノ……」
途切れ途切れの、ラセツの言葉。
それは、事切れる前の呟きにも思えたが。
―――今度は私の番。
その瞬間、雷光のように頭の中に飛び込んできたのはそんな言葉だった。
「……っ!」
燃え盛る炎を凌駕する、殺気めいた薄紫色のアジールの波動。
本能のままに一歩下がる。
瞬間、炎の壁の中から半ば溶けかけの赤い腕が現れた。
撃鉄の音鳴らして向けられる六花の銃口。
間合いは取った。
一切の油断をしたつもりもなかった。
あれが何であろうと、対処できる自信もあった。
「……なっ!?」
なのに、気付けば仁子は。
銃口を避けられないほど近くにいて。
感じるのは荒れ狂う大気の流れ。
それは、まるで仁子をラセツの元へ引き寄せるように流れていて。
(新たな能力!?)
行動権を奪われたことに気づいた仁子は、必死にそれを探す。
目に入ったのは、六花の銃から沸き立つ黄金色のアジール。
気づくのは、こうなる前に感じた殺気のごとく燃え盛りしアジールの色。
朧気ながらどこかで見たことのある薄紫色のそれは。
宵待ちの空の色によく似ていて。
「……見つけたっ!」
不意に見上げたラセツの頭上。
帳降りる空をバックに栄えるは、宙浮かぶ天使の輪。
その色が、黒でなければ、の話だが。
やはり、それも仁子の初めて見る能力だった。
黒刀や黄金銃とは比べものにならない力を感じる黒い輪。
一見そこにあるものを、強力な掃除機を模した力で吸引しているようにも見えるが。
単純にそれだけではないだろうと、仁子は察していた。
結果を縛る自身の力のように、通常ではあらがえない何かの力が働いているのだろう。
その縛りとは何か。
それを解明するか、あるいはそれを問題としない力でその縛りを打ち破るか。
そのどちらかしかないだろうと考えに至ったが。
ラセツはその暇を与えなかった。
ダラララララッ!!
ついには繰り出される、黄金の銃弾。
「ぐっ!?」
衝撃の瞬間、できたのは致命傷を避けるためにわずかに身体を捩ることだけだった。
予想よりその衝撃は激しく、ものすごいスピードで逆ベクトルへ吹き飛ばされる仁子。
この状況に置いても健気に咲き続けていた花壇の花たちを巻き込んで。
仁子は、その状況ですぐに自身のダメージを確認した。
しかし不思議なことに、銃弾を受けたのにも関わらず出血すらしていない自分を知った。
黒い輪の戒めも解けたのか、体も動く。
(一体これは……)
どういう類の能力なのか。
仁子がそれを考えようとして。
ドクンッ!
それは、時間差で来た。
「うっ!?」
撃ち込まれた肩のあたりから、内側へ広がるは闇の気配。
それは仁子の体中を蝕み、浸食していく。
膝が砕けくずおれる仁子。
それでも闇の進行はやまず、やがてはその精神をも闇色に染まり始めた。
(これがっ、『パーフェクト・クライム』……?)
それは、直感的な理解。
当然のごとく、初めての体験であるはずなのに、仁子には何故かそれが理解できた。
―――殺せっ!
ふと聞こえてくる、誰かの声。
それは、今にも仁子の精神を乗っ取ろうと迫ってくる。
誰を、誰が?
それに抗いながら、浮かぶ疑問。
だけどそれより何より。
あなたは誰?
聞きたいのはそのことだった。
当然それに対しての答えはなく、機械的にも思える呪詛の声が聞こえてくるだけであったが……。
その一方で、そう聞く自分自身が。
どうしてか、知っているはずなのに知らないふりをして聞いているように思えて。
その瞬間、フラッシュバックする一つの光景。
―――『素直になろうと思うんだ。好きだって言える正直な自分になりたい。たがらもうこれ以上、傷けるようなことはやめだ』
それはある日の、愛しい人の言葉。
それが自分に向けられたものだったのなら、どんなに幸せだっただろうと、そう思う。
たけどそれは仁子に向けられたものではなく。
それと同時に、自身の抱いていた想いがもう届くことはないことを理解していて。
想いを奪った人。
仁子はその人を、簡単に許せるほどできた人間じゃないって、心のどこかで分かっていた。
簡単に諦められるほど、やすい想いじゃないってことを。
だから、当然のようにその人を憎んだ。
本当は自分たちとの間から消しさってしまいたい……そう思っていた。
しかし、そんな醜くて悪い心は、今の今まで表に出なかった。
それは、もう叶わないと分かっているのにそれを表に出すことで、愛しい人に嫌われたくなかったからで。
だけど今。
憎むべきその人が、何故か『そこ』にいる。
何も残っていないはずの自分の心すら、奪おうとしている。
なんて、なんて傲慢なのだろう。
仁子はその時、そう思って。
幸い近くに愛しい人はいない。
チャンスだと思った。
醜くて悪い心を、正当防衛の名の下にさらけ出すチャンス。
そう思ったらもう止められない。
「あぁああああっ!!」
激しい怒りにも似た、長いこと燻っていたその思いを膝に力込めて立ち上がり、仁子は思い切り吐き出す。
そして、全身から虹色のアジールを沸き立たせ、浸食せんとする闇に向かって牙撃を突き刺した。
……仁子もろとも、構わずに。
―――ぎぃやぁっ!!
仁子の心中に響く、闇の悲鳴。
しかし、同じ傷を負ったはずの仁子は、自らの刃を貫かせながらも立っていた。
しかも、先ほどの銃弾と同じく、血の一つも出ていない。
それを見た仁子は、ようやく我に返る。
心が、はっきりと澄んでいた。
先程まであった醜くて悪い心が、どこかに消えていて。
仁子は同時に気づいた。
牙撃……トゥエルが、今この場にふさわしい選択をしたのだと。
それは、【第仁聖天】セカンド、『アンサド・フォース』の力だった。
七つの大罪の対をなす、四つの解世。
そのうちのひとつ、想青(アリエイス)。
『純心』の意味を持つその力で、歪み落ちようとしていた仁子の心ごと、闇を祓ったのだろう。
本当は仁子もわかっていた。
能力を発動する時に頭の中に流れ込んでくる言葉が、トゥエルのものだというくらいは。
自分だって決して、一人で戦ってはいないってことを。
仁子から弾き出された闇は、まるで生きているかのようにふらふらと彷徨い、やがて風に巻かれて霞んで消える。
なんだかとても、晴れやかな気分だった。
それは……表に出せないような嫌な自分の愚痴を、今まで文句も言わず見守るように聞いてくれていたトゥエルの存在を、改めて認識したからなのかもしれない。
一人で戦っていると意固地になっている自分は。
もうそこにはいないからなのかもしれなかった。
「ありがとう、トゥエル」
「……」
今までも、これからも。
当然のように返事はなかったけれど。
それは、仁子の望みを彼女が叶えているに過ぎない。
だから、それでよかった。
彼女がそこにあるだけで、そう感じるだけで。
今までよりずっとずっと強く、戦える気がして。
「……危険、タダチニ次撃ヲ開始シマス……」
まさか、防がれるとは、ラセツも思っていなかったらしい。
しばらく、呆気にとられていたかのように硬直していたラセツは。
ほとんどの氷が溶け、紅い粘土質の体が剥き出しになっても尚、再びその銃を、あるいは黒の輪を仁子へと向けた。
たちまち輪に向かって、渦を巻き始める大気。
「さて、どうしたものかな~」
対する仁子は闘気まで抜かれたのか、通常モードに戻っていたが。
不思議ともう、負ける気がしなかった。
「新たな武器を出してくる前にけりつけなきゃね……」
やはり厄介なのは、あの黒い輪だろう。
黒い輪の絶対的な縛り。それがなんなのかはまだわからない。
見た感じ、ラセツが何かをしているようには見えなくて。
その解明には、時間がかかりそうだった。
ならば……その強制力を越える力で対抗するしかなかった。
さっきまでは、その越えられる自身に確たるものが持てなかったが。
今はそうじゃないから。
「……トゥエル、行くわよ~。【第仁聖天】サード、『セレク・トゥエルヴ』っ!!」
静かに力ある呼びかけを紡ぎ、仁子は駆け出す。
その、大気ごと引き寄せる力に身を任せるようにして。
そんな仁子に、ラセツは銃口を向ける。
先程と同じく、吸い込む力に取り込まれていた仁子にとって、それは回避不能のようにも見えたが……。
―――『結果・黒の輪と羅刹紅・極、一刀両断』
その時にはすでに、そう選択されていた。
「遅いっ!」
目前にまで近づいていた仁子の叫び。
ラセツはその先の仁子の姿を、全く捕らえることはできなかった。
何故ならば、次にラセツが認識したのは、自身の視界が、真ん中から割かれていく光景だったからだ。
同時に、頭上で聞こえる、黒の輪の崩壊の音。
……完敗、であった。
ラセツには、どうやって負けたのかも分からないくらいに。
だけど。
それはあくまでもこの戦いにおいてのラセツの敗北、ただ一点のみで。
自分を操るものたちはきっと、惜しいところまでいった、くらいにしか思っていないのだろう。
ラセツは少し、悲しかった。
それは自身が駒として使われて死ぬことではなく。
「スマナイ、騙スヨウナ真似ヲシテ……」
こうして倒されることが、自身を操るものたちの目論見であるということが。
「……え?」
驚いたような表情の仁子。
しかし、ラセツにそれを伝える術はなく。
その表情も、やがて白色雑音に紛れて消えた。
ラセツの、その存在とともに。
操りし主にそんな意志があったこと、気づかれることもなく。
そして。
金箱病院一帯に、冷たい死の風が吹いたのは。
その瞬間だった……。
(第207話につづく)
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