第二十七章、『まほろば~LEMU~』

第205話、それだけじゃ嫌なのに、誇らしげに名乗る



―――仁子、弥生(さつき)組、金箱病院裏庭。



知己たちと合流し再び別れて幾数日。

それまでは緊張感すら忘れてしまうほどの変化のない一日が続いていて……辟易していたくらいだったのに。


ここ数日で、皮肉なことに世界が変わってしまったと思えるくらいに事態が動き始めていることを仁子は感じずにはいられなかった。


それはまるで、囲いから解き放たれた羊のようで。

仁子はそれを解き放ったものの存在を、生来の勘のようなもので感じ取っていた。

誰かの手のひらで踊らされているような、そんな感覚を。



「うーん……近くで見ると綺麗なものね。壊すのもなんだかもったいないかも」


そんなことを考えていると、すぐ脇で聞こえてくる弥生……ではなく、沈思の原因の一つにもなっているさつきの呟き。

言葉に習うように顔を上げると、目の前には透き通るオレンジ色の壁が広がっていた。


金箱病院を囲む氷のドーム。

それは、ようやく帳が降りはじめ深みを増している陽光を、金箱病院を覆うコンクリート外壁に乱反射しつつ投げかけている。

それが、壊すのが恐れ多い芸術作品のように見えるのは、確かに仁子も分からないではなかったけれど。



「……外壁の内側まで、か。これが本当の隔離施設ってわけね」


その氷ドームは、呟きの通りにちょうど金箱病院だけを外界から遮断していて。

思うのは、やはりこの金箱病院には何かがあるのだ、と言うことだった。

何故なら……自分たちを閉じ込めるのが目的ならば、異世を展開すれば事足りるはずたからだ。


それは、もうパームのものたちにとって異世も現実も関係ないからなのか。

こうして現実に隔離しなければならない笑えない理由が内側に存在しているのか。仁子に判断は付かなかったが……。



「……よっし~って意外とドラマチックだよね」


別に答えを求めていたわけでもなかった仁子の呟きに、ふとさつきはそんな言葉を返してくる。

一瞬、それこそ仁子自身には縁遠い、皮肉か何かかと思ったけれど。

さつきにして見ればそうではないらしい。



「その心は~?」


弥生の片翼、あるいは双生であるかのように、弥生と変わるところなどほとんどないさつき。


そんな弥生とさつきの違い。

髪型の違いをのぞいてひとつだけ、仁子には覚えがあった。


そんなさつきが何を考えているのか。

知りたくなった仁子は、軽い調子でそう問いかける。



「え? だってほら、『+ナーディック』の歌のプロモであったじゃない。お互いを想っている彼氏彼女が、離ればなれになっちゃう話」

「あー。なるほど~。言いたいこと分かっちゃったかも」



それは、仁子がさつきに始めて出会った頃に流行っていた歌だった。

ガラス越しの二人。

彼女は強い感染力を持つ伝染病を煩っていて。

お互いのことを想うが故に、近くて遠い、二人の距離。


仁子も、そしてさつきも、状況こそ違えどその歌に共感を見いだしていた。

何故ならば、仁子の前にもさつきの前にも、決して想い人に近づけない、透明な壁があったからだ。

でもその歌の結末のように、自身を賭してまでその壁を破ることはできないだろうって事も、お互いに理解していて。


「久しく忘れてたわ。そうやって歌を楽しむ事すらだいぶ昔のことに思えるくらいには」

「……そうかも。きっと、それだけ世界が変わっちゃったってことなんだろうね」


懐かしさと諦めの混じった仁子の呟きに、ちょっと寂しげに言葉を返すさつき。

それはどこか、世界が変わってしまったことで自分が今ここにいることを本能で理解しているようにも見えて。



「なんだか気が引けてくるけど、さっさと壊しちゃおっか~」


仁子はその真意を避けるように本来の目的を口にする。


「あ、うん」


しかし、さつきはそれを気にした風もなく頷いて。


「この際だから派手に頼むわよ、よっし~」


任せた、とでも言わんばかりに笑顔を見せるさつき。

仁子はそれに合わせるように仕方ないわね、と頷き返し。

アジールを展開し氷ドームに手が触れるくらいに近づいて……



その瞬間、世界が揺れた。



「な、何あれ!?」


驚愕の表情で揺れの元を仰ぎ見るさつき。

どうやらさっきの揺れは、それが大地を踏みしめたから起こったものだったらしい。

それは、赤い異形に氷の塊が混ざりあった、ルビーのような光沢を放つゴーレム、とでも言えばいいだろうか。

氷の壁から抜け出るようにして現れたそいつは、確かに仁子たちを捉えていて。



「……ガガガッ、通過許可リストニ該当ナシ。タダチニ排除シマス」


かたことの、でもたしかに仁子たちに聞こえる声で、そう言い放った。


「なるほど。自分の手は汚さないけど、ってことね」


自然とさつきを庇うようにそれと対峙する形を取った仁子は。

今までののんびりした雰囲気を切り替えるようにして冷静に、あるいは冷淡に呟く。


思い出すのは、仁子やカナリに対して傷つけない、と真面目に宣言していた克葉のことだった。

確かに嘘は言ってないんだろう。

しかし、その氷で作られたゴーレムの姿は否が応でも克葉を連想させる。

それを敢えてやっているのだとしたら、性格の悪いこと甚だしかった。

まるで、こちらを怒らせるのが目的なんじゃないかと勘ぐってしまうほどに。


「あいつは私に任せて。氷ドームの破壊のほう、よろしく頼むわね」


とにもかくにも仁子は一息つき、さつきの方を顧みてそう言う。



「あ、うん。了解っ」


さつきもそのほうが効率がいいと判断したのだろう。

決して弥生ともさつきとも呼ぶことのない仁子のことに気づくこともなく・

さつきはひとつ頷いて駆けだしていった。



「……」


仁子は、そんなさつきをちょっとだけ複雑そうに見送り、再び敵対するものへと向き直る。


「排除対象ノ一人、逃亡。タダチニ追跡ニ向カイマス」

「それは不可能よ。排除されるのはあなたなんだから」


まともに会話が成立するとは思っていなかったが。

仁子が言葉とともに虹色のアジールを高めると、突如として虚空に生まれるは、虹色の霞がかかった一人の天使。

それは、牙撃の姿と天使の姿を持つウェポンカーブで。

『トゥエル』と呼ぶ仁子の相棒というべきものだった。

一見ファミリアとみまごう出で立ちをしてはいるが事実は異なる。

いや、仁子自身はそうではないと思いこみたかった、と言うべきなのかもしれない。


ずっと悪いと思って仁子ば自分だけの心の内に秘めてはいたが。

敵を屠り蹂躙するには孤独であるべきだと、その責任は全て自身で負うべきだと、仁子は思っている節があった。

それは同時に弱さを内包していることくらい、美里や弥生を見ていて重々承知の上だったが。


自身が最も欲していた愛を受けられずに育った仁子には、誰かを頼り事を成すことはうまくできなくて。

仁子はいつもこう思い込むことにしていたのだ。


これは、敵を滅するためだけの、感情のないウェポンカーヴ。

頼もしくも恐ろしい、自分だけに赦された得物なのだ、と。


そんな仁子が……わずかに腕を上げると、トゥエルは虹の渦となって仁子の腕にまとわりつき、青銀の射光跳ね返す獰猛な刃をうちに秘めた武器と化した。

仁子はその切っ先を、標準を合わせるかのように、氷のゴーレムへと向ける。

するとそのゴーレムは気のせいだろうと思うくらいわずかに仁子に向かって笑みを見せた。


いぶかしげにそれを見据える仁子。

それが何を考えているかなど、分かろうはずもなく。


「目標変更……要注意人物認識。……タダチニ排除シマス」

「っ!?」


そしてその瞬間、その場の大気を吹き散らすほどのアジールがそれから吹き上がった。

仁子は戦慄を覚え、思わず声を上げる。


確かにそのアジールは強大であったが、しかし原因はそれではなく。

いくつもの色が混ざりあってできた斑色のアジールに対してで。

それが何を意味しているのか理解するのに、それほどの時間はかからなかった。


「ワタシハ『羅刹紅・極(らせつくれない・きわみ)』トイイマス。二人ノマスターノシンクロニヨッテウマレタ究極体デス。……以後お見知リ置キヲ」


まるで戦いの前の礼儀だとでも言わんばかりに名乗りを上げる、ルビーのような赤色をつけた氷のゴーレム。


二人とは、容貌などから判断するに塩崎克葉と東寺尾柳一のことだろう。

究極体と言う言葉を証明するかのように右手に六花の花開く黄金の銃が。

左手には美しい薔薇の細工が施された細身の剣が握られているのが分かる。


別人のカーヴ能力がふたつ。

つまりあの斑色のアジールは、その色の数だけ『羅刹紅』が異なる能力を有している、ということ意味しているのだ。

しかも、剣の方は少し前に仁子自身がお目にかかったばかりのもので。


(敵味方故人関係なく能力を扱えるのだとすると……厄介もいい所ね)


多勢に無勢とは正にこのことだろうか。

そう考えて、思わず仁子は苦笑を漏らす。

感じていた戦慄はからくりが分かったことですぐに震えへと変わったからだ。


それは恐怖からくるものではなく。

剛のものに対しての武者震いだった。

魂が熱く熱く燃え盛り、全身の血が沸騰するような震え。

それは唯一、美里といて似たもの同士だと感じられる部分でもあって。


「わたしは聖仁子。世界を救いし最強の英傑の妹……よ」


先ほどとは比べものにならない無垢な笑顔でそう応えた。

それが子供じみた掛け合いであることなど分かっている。


だけどそれは決意でもあった。

この戦いに勝つという揺るぎない意志の。

それは、こんな時でなければ本人の前でも言えないようなことだったけれど。


だからこそ戦いの誓いとして価値があって。

仁子はすでに、目の前にいる敵を見た目通りの意志のないくぐつだとは思っていなかった。


そんな考えでは負ける。

それほどの敵だと、判断していて。


「イキマス……」


機械的だが、どこまでも静かな始まりの合図。


仁子は頷く代わりに、迎え撃たんと再び構えを取るのだった……。



           (第206話につづく)







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