第204話、似てない僕らは細い糸で繋がっている、よくある赤いやつじゃなく
そうして辿り着いたのは。
『赤い月』と呼ばれる赤茶けた大きな灯台のような建物の前だった。
青い糸は、その一つしかない入り口の奥、地下に続く下り階段へと続いていて。
王神が今さっき見たことは果たして真実であったのか。
それを確かめるべく、ひと呼吸して一歩踏み出して……。
「……っ!?」
瞬間、ぞくりと音立てて凍り付く、王神の全身。
目を見張るその先にあるのは地下へと続く階段。
そこから漏れ出す、闇よりもなお昏い障気と呼ぶ以外にないもの。
それは、王神でなくても黒の太陽が落ちた日に立ち会ったものなら誰でも知っている……あるいは忘れることのできない、『パーフェクト・クライム』によく似たアジールであった。
必然的に、王神の視線は険しくなっていただろう。
そして……。
狭くなる視界のその先に現れたのは……やはり彼女だった。
繋がっている青い糸。
終末の赤のような返り血を浴びた小さな身体。
背中に携えた『パーフェクト・クライム』と言う名の黒い翼。
「……やっと会えたね、ダーリン」
王神を見いだし、どこか壊れた、だけどずっと望んでいた笑顔を見せる。
王神のせいで、その運命すらも壊されてしまった……だけど誰よりも愛しい少女が。
「……怜亜」
どこか、熱に冒されたような感覚のまま、王神はそんな彼女の名前を呼ぶ。
「ふふ。いつもみたいに『俺は君のダーリンなんかじゃない』って言わないんだね?」
怜亜は、その呼び声に惹かれるように、そう言って王神のもとへと近づいてきた。
苛烈な闇を引き連れ、赤色の足跡を残しながら。
彼女が『パーフェクト・クライム』の正体だったのだろうか?
不意に浮かんだそんな考え。
しかしすぐに打ち消す。
何故なら王神は、彼女が背中のそれにのまれるのを、確かに見ていたのだから。
だとしたら彼女は何なのだろう?
王神が見ている幻?
敵が作り出した偽物?
それとも死の淵から蘇ったとでも言うのだろうか?
だが今は、その事よりも、確かめなければならないことがあった。
先ほど見たあの映像の真偽を怜亜の口から聞きたかった。
「怜亜、君は……何故こんなところにいる?」
どうしてここにこうして立っているんだ?
君はもう死んでしまったはずなのに。
うちに秘めたものは言葉にならなかったが。
「うん、ダーリンに会いたかったから」
しかしそれは、余りに遠回しすぎたのだろう。
彼女は、心底うれしそうな、血塗れの笑顔でそう答える。
王神の一番聞きたくなかった答えを。
それは、死しても解けなかった王神からの呪縛だったのかもしれない。
一層と膨らむ、王神の中の罪悪。
だからこそ、ここで言葉を止めるわけにはいかなかった。
この後に及んで意気地のない自分に渇を入れるように……意を決して言葉を紡ぐ。
「……繕う必要はないんだ、怜亜。地下には理事長がいたはずだ。理事長をどこへやった?」
「……」
無限の長さとまごうほどの静寂。
王神は、じっと怜亜を見据えていたが……その瞳の中の感情の色を掴むことができなくて。
「もうどこにもいないよ。……だって、あたしが殺したから」
すぐには、怜亜の言っている意味が理解できなかった。
……いや、本当は分かっていたのだ。
ただ、目の前の現実を認めたくなかっただけで。
「……何故!?」
それでも、王神は問い叫ぶ。
それが王神の成さねばならぬ事なのだと、どこか自覚しながら。
「あたし、考えたんだ。頑張ってアタックしても振り向いてくれなかったダーリンが、どうすればあたしのことを見てくれるかって」
王神のそんな問いを待っていたかのような、怜亜の言葉。
―――違う! それは君の本当の意志じゃないんだ!
そう返したかったのに、もはや破裂寸前の罪悪が胸を打ち、言葉にならない。
「それでね、思いついたの。正義の味方のダーリンが、無視できないくらいの悪者になっちゃえばいいんだって」
「だから……だから殺したとでも言うのか、理事長を! たったそれだけのために!?」
絞り出すようにしてようやく出た、そんな言葉。
「それだけ……?」
「……っ」
刹那、拡大する闇と軋む世界。
王神はすぐに間違ってしまったことを知る。
たとえ、王神自身がそれだけの価値のある人間ではないと主張してみても。
こうしてここにいる怜亜に、それが伝わるはずはないのだと。
「……うん、そうだよ。それだけのためだよ。あたしはそれだけのためにあの人に手をかけたの」
怜亜は、答える。
まるでそれが当然だと言わんばかりに。
自分に言い聞かせるみたいに。
「そしたらほら、こうやってダーリンが来てくれて、話しかけてくれた。今もこうして、見つめられてる。……今まではこんなことなかったもん。作戦成功、だね」
それは……何でもない風を装っての笑顔なのに。
王神には泣いているようにも見えて。
言われて思い出す、怜亜を一度失う前の自分。
彼女に対する罪の意識と、それでも現実から目を伏せようとした矛盾の中で……王神は彼女を遠ざけ、突き放そうとした。
今思えばそれは、王神の醜い心の表れだったのだろう。
彼女が王神を慕う理由が、もしかしたら王神の力のせいなんかじゃないんだって、思いたかったのかもしれない。
彼女を傷つけ、惑わし、その運命を狂わせてしまった間違いなく王神自身なのに。
「すまない、怜亜……っ」
王神は、そんな彼女に一体何ができるのだろう?
「……どうして、ダーリンが謝るの?」
まずはこの、偽りの糸を切ろう。
現実に戻った時。
彼女は全てを忘れるだろう。
これ以上自分のせいで彼女が罪を重ねるのを見ていられなかった。
それが今更の、独りよがりな綺麗事だって事はよく分かっている。
結局は王神自身が重い罪の意識に……耐えられなくなっただけだって事は。
「君が俺のことを想う気持ちは、君の本当の気持ちじゃない。……俺が作り出した偽物の気持ちなんだよ」
「……言っている意味が分からないよ」
本当に分からないのか、それとも理解したくなかったのか。
驚いた顔で王神を見上げる怜亜。
「……率直に言おう。君は俺に操られていたんだよ。俺の能力で、俺のことを想うようにね。これがその証拠だ」
そんな怜亜に正しくも懺悔をするかのように。
王神は能力を発動し、怜亜に繋がる青い糸を、怜亜にも見えるように通信用の緑の糸に変えて見せた。
「……な、何これ?こ、こんなのっ……悪い冗談やめてよ、この気持ちが嘘だって言うの? ひどいよ、ダーリンっ!」
「嘘じゃない、嘘じゃないんだ。怜亜だって本当は分かっていたはずだ。……君が俺を想うようになった理由。それがどこから来たのか、君は分からないだろう?」
「……っ」
一笑に伏そうとしていた怜亜が、硬直する。
見ていて辛かった。
たとえ紛い物だったとは言え、想いを否定されたのだから。
「すまない。全ての責任は俺が取るから……」
王神は、そう呟き、右手人差し指に赤色をしたアジールの灯を灯す。
それは、王神の彼女に対する柵と未練を断ち切るもので。
……これで彼女は解放されるはずだった。
「……」
王神の言葉に何かを悟ったのだろう。
怜亜は、その好意を包み隠せないほどに澄んだ何色の瞳を向けたまま、何も言わず王神のすることを見ていて。
降り下ろされた指先から二人を繋いでいた青い糸へと、ぼぅっと、燃え広がるアジールの光。
やがて青い糸は灰となり、夕空に舞い散って……。
「……ふふふっ。やっと表に出られたか」
それで全てが終わるのだと思っていた王神は、やはり愚かだったのだろう。
再び顔を上げた怜亜。
しかし、その唇からこぼれた言葉は、怜亜ではない何者かの言葉のように聞こえて。
気づけば目の前に……闇が具現化していた。
怜亜の背中にあったはずのそれは、じわじわと世界への浸食を開始し、ただ黒一色に染めあげようとしている。
―――『パーフェクト・クライム』。
ふと浮かんだそのフレーズは、目の前の光景を表す言葉として、正しかったのかもしれない。
「随分と手間をかけさせられたが……お前のおかげでこうして外に出る事ができた。誉め置こう、力ある人間よ」
そう言って微笑む怜亜は、王神のことなど忘れてしまっているかのようだった。
糸を切ったことにより、そうなるだろう事は予想の範囲だったはずなのに……。
こんなはずじゃなかったと、後悔ばかりが襲ってくる。
「何か褒美を取らせよう。ふむ、そうだな。苦しむことなく一瞬であの世に送ってやるぞ。喜べ」
途端に、吹き上がる闇の轟風。
怜亜はその中で涼しげに微笑み、いつの間にか手にしていたアコースティックギターの弦に指を添えた。
「……っ」
言っていることは無茶苦茶に思えたが。
そこにいるのが怜亜でなく、『パーフェクト・クライム』であるならば、そう言ってもおかしくはないのだろうと。
槍玉に挙げられている本人のくせに、やけに冷静に分析している王神がいる一方で。
その割には、今まさに殺されようとしているのに動こうともしない王神がいるのに気づいた。
そこにあるのは、漠然とした違和感。
このままただ殺されるわけにはいかないことなど百も承知なのに。
それでもなお動かなかったのは。
向けられた死の気配を近くに感じるプレッシャーが本物でも、どこかその言葉に本当が感じられなかったからなのかもしれない。
「【魔性楽器】ファーストっ、ギリィ・ベリアスっ!」
そして、怜亜の力ある言葉が発せられた時に。
王神は違和感の正体に気づいた。
だが、時既に遅く。
王神に襲いかかる、目視できるほどに凶悪な苛烈音と波動。
王神はせめて、視線だけは外さぬようにただ怜亜を見ていて。
堅いものに激しい力が加えられたことを表す、悲鳴のような摩擦音。
しかし予想していた通りに王神への衝撃はなく。
「くうぅっ!?」
予想外の苦悶の声に驚いて視線を向ければ、そこにあったのは能力によって作られたダイヤのごとき盾で。
王神を守るようにして立つ哲の姿がそこにあった。
「……っ!」
わずかに目を見張る怜亜。
だが、音の侵攻は止まらない。
盾ごとずるずると押し返され……すぐにみしり、と何かにひびが入る音がした。
「……かふっ」
「哲っ!?」
とたん、顔をゆがめてよろめく哲。
無詠唱のものだったとはいえ……哲の盾が破られようとしているのを見たのは初めてだった。
それほどまでに怜亜の力が強いのだろうか?
……いや、必ずしもそうではないらしい。
近づいてみて分かったが、哲の顔色が尋常じゃないほどに青白いのが分かる。
何かあったのだろうか?
聞く必要が感じられたが、今そんな余裕があるはずもなく。
王神は自身の能力の発動を始めたが、既にいくつも発現させている影響もあり、そんな猶予さえあるとは思えなかった。
怜亜が一際力強く、弦をつま弾く。
瞬間、ぐんと音の波動がうねり膨らんだ。
「なっ……!?」
今度は哲の驚愕の声。
「ちいっ!」
震え来るほどの焦りを感じ、王神は再び身を乗り出そうとして……。
そんな王神を追い越し、包むように、哲の盾が肥大化し伸びていく。
いや、それはよく見れば氷でできていた。
突如として哲の盾に生まれた氷の固まりは、生き物のようにうねり、音の波動を迎え打つ。
再び、激しい摩擦音。
それまで劣勢だった盾は、勢いを増し、音の波動を押し返し始める。
そして、しばらく拮抗していたと思ったら……唐突に音の波動が霧散して消えた。
怜亜が、突然攻撃をやめたのだ。
その理由は何なのかを考えようとして。
「ったく、何のための通信っすかぁ」
聞こえてきたのは、呆れ半分の馴染み声だった。
振り向けばそこには、慎之介と、慎之介をさらっていった金髪の女性がいる。
どうやら、騒ぎを聞きつけて駆けつけて来てくれたらしい。
「お前に言われたくないな。俺を置き去りにして二人の世界に入ってやがったやつには」
「うぅ~。ごめんなさいー」
「……いや、その、なんだ」
その事に感謝を込めて、お決まりの軽口を返したつもりだったが……慎之介ではなく女性のほうに謝られて、何も言えなくなる王神。
一瞬だけ、緩むその場の空気。
「……っ、哲!?」
だが、そんな慎之介の叫びと、ぐらりと重力に任せて倒れる哲の姿が視界に入って、再び走る緊張。
哲に駆け寄りつつ怜亜を仰ぎ見れば、しかし怜亜は王神たちのほうを見てはいなかった。
視線を遙か上……『赤い月』の頂上付近へと向けている。
何があるのかとつられて中空を見上げて。
「あれは……!」
塔の頂上に、明らかにその場のスペースに収まりきらない、規格外の大きさの何かがいるのを知った。
鬼神のごとき相貌をしたそれは、全身に深紅の鎧をまとい、その身の丈と同じくらいの赤茶けた下弦の月を描く大刀をぶら下げていて。
「兄さんっ……」
その時に聞こえたのは、哲の霞むような呟き。
「あれってまさか勇の能力の!?」
そんな哲を看ていた慎之介が、驚愕のままに叫ぶ。
どうやら、あれの正体に慎之介は気づいたらしい。
言われてよく見てみれば、確かにそれはかつて一度見たことのある勇の能力から派生したもののように見えた。
【赤月衛主】、ファーストの力である、守護魔神の姿に。
それは、一見ファミリアにみまごうが、事実は異なる。
簡潔に言えば勇のアジールを具現化したもの……あるいは勇の放つ剣気が感情に乗って顕在化したもの、と言えばいいだろうか。
王神がその事にすぐ気づけなかったのは、ただ単純にその姿が余りにも巨大でおどろおどろしかったからだろう。
一体、勇に何があったのだろう?
しかし、王神がそれを誰何するよりも早く。
「こっちに来る!」
慎之介のそばをつかず離れずでいた金髪の女性が叫んだ。
巨大な人型のそれは、その言葉通りにこちらに向かって飛び降りてくるのが分かって。
そのどこまでも赤く怪しく光る瞳の先にいるのは、怜亜だった。
ずっとそれから視線を外さずにいた怜亜は……確かに笑みをこぼしていて。
「【魔性楽器】ファーストっ! ギリィ・ベリアスっ!」
弦をつま弾き、力ある言葉を叫ぶ。
そしてその瞬間。
ありえないほどの強大な力と力が交錯し。
王神は五感の全てを奪われ、闇に沈んでいく……。
(第205話に続く)
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