第94話、きっとサンタが叶えてくれる


―――そこはどこでもない、二人だけの異世界。



「ねえ、美冬さん。一体どこまで逃げる気っすか? いい加減、事情を説明してほしいんすけど……」


どこまでもどこまでも続く山間の峠のよう道で。

長池慎之介は、腕を抱えるようにつかまれ、ひっぱられるがままになりながらも。

目の前の肩にかかるくらいのセミロングの金髪碧眼の女性にそう呼びかける。

 


「だってしんちゃん、逃げなきゃ捕まっちゃうでしょ。……って、よく考えたら随分と落ち着いているのね。私がこうして異世を開いて、こんな急に逃避行はじめてるってのに」


そこでようやく、美冬と呼ばれた女性は立ち止まり。

向き合うようにそれでも手はつないだままそう言うと。

慎之介は何を今更と言った風に、ちょっと呆れた様子でそれに答えた。

 


「あ、うん。そういう美冬さんの突発的な行動はむしろ今更と言うか、標準装備って感じっすし、美冬さんなら異世くらい開けても不思議じゃないよなって思ったからなんすけど。……それより何で急にこんなことを? どこに逃げるって言うか、誰から?」

「どこって。あの世界からに決まってるでしょっ」


慎之介のリアクションが気に入らなかったのか、少し拗ねたようにそう言う美冬。

それは、どこか見た目と違うアンバランスさがあった。


「え? あの世界って、どの世界?」

「しんちゃんが生まれて、今までいた世界よ」

「何でっすか? ……と言うか世界から逃げるっていまいちピンと来ないんですけど」


―――美冬さんと違って、自分はこの世界しか知らないのだから。

慎之介は、そう言わんばかりに首を捻る。

 


「だってしんちゃんの世界、もう持たない。分かってるでしょ?」

「いや、まあ……ここ最近滅ぶだのなんだの言われてるみたいっすけど。だから逃げろって、そう言うことっすか?」

「うん……」


初めの剣幕とは裏腹に、ちょっといきなりすぎた自分を反省したらしい。

何だか自信なさそうに、頷く美冬。

 


「うーん、そう言ってもさ。できればしたくないっすね、それは。まあ、おれっちに何かあったら美冬さんだってとばっちりを食うわけっすし、悪いとは思うっすけど」

「……っ、違うっ。違うよ! 私じゃないもんっ。しんちゃんが、しんちゃんが心配だから言ってるのに!」


自分の身を守りたいがために。

そう言われた気がして、

一瞬だけクールダウンしていた美冬は、突然何かが切れたように叫ぶ。


確かに彼女は……慎之介の願いから生まれた存在で。

彼に何かあればその存在すら危うくなるわけだが。

だけど逃げようと言ったのは決して自分の身が可愛いからじゃない、と言わんばかりに。



「うわ。ち、ちょっと。何も泣かなくても。別にそう言うつもりで言ったわけじゃないっすよっ」

「ぐっ、泣いてないもんっ」


そう言いながらしゃくりあげる美冬に。

ホントにアンバランスな人だなあと慎之介は苦笑し、言葉を付け加える。


「美冬さんが自分の身が可愛いからそんなこと言ったわけじゃないことくらい、分かってるっすよ。でも、おれっちがヘマをすれば、美冬さんの存在が危うくなるのは事実っすよね? だから言葉に出ちまったんす。ごめんって」  

「許さないもん。バツとして、これから二人だけの安全な世界で暮らすんだから」


慎之介が素直にそう謝ると、美冬はまだ収まらないらしくそう言って頬を膨らましていた。


「や、ちょっと待つっすよっ。だからなんでそうなるんすか? 何で急にそんなこと言いだすんすか? 危険なら今までだって少なからずあったじゃないすか」


この頃家にも帰れなくて……久しぶりに会ったと思ったら、いきなり逃げようと言われ、それにノーと答えたら泣かれてしまって。

どうも慎之介は状況を把握しきれていなかった。

もっと、そう言うまでのいきさつから教えてくれなければ、どうしようもないじゃないかと。

 


「あ……うん。そうだよね。私、ちょっと焦ってたかもしれない。ちゃんと初めから話すね? えっと、その。しんちゃんはさ、私が人じゃないってことは知ってるよね?」

「そりゃ、まあ。美冬さんがそう言ったんだから、そうだと信じて今まできてるっすけど」


人外のものであると、ある意味衝撃的な美冬の発言であったが。

それこそ今更だと言わんばかりに、慎之介は頷いてみせる。



「ホントはね、私たちみたいなのはこの世界にこうやって、『個』としては存在できることはほとんどないはずなの。魔精霊(ませいれい)って言って、しんちゃんたちの言葉で言ったら、ファミリアって言うのと近いかもしれないけど」

「へえ、そうだったんすか? それは知らなかったっすね」


初めて聞くフレーズと馴染み深い言葉に、慎之介は少し驚いてそう呟く。

美冬はそもそも慎之介の幼い頃の願いによって、生まれてきた存在であると聞かされていた。


だから、その願いをした元である慎之介が存在しなくなれば、彼女も当然存在できなくなる、とも。

それは、言われてみればカーヴ能力者において、確かにファミリアとその主の関係に近いんだろう。

 


「でね、ここからが本題なんだけど。最近、その本来ならほとんどいないはずの、私たちの仲間が、この世界のあちこちに生まれ始めているのが分かったのよ」


美冬が言うには、ほとんどいないはずのものが、こうも増え始めているのは。

そのファミリアと言う存在はがうまく隠れ蓑になっているから、らしかった。

現に、その中には、ファミリアだと偽ってのうのうと存在しているものもいるらしい。


「それで? その魔精霊ってのが増えたらなんかまずいんすか?」

「うん。まずいのよ。本来いなくてもいいはずなものがいることで、世界に歪みが、バランスが崩れるっていうのもあるけど、そもそも彼らが増え始めたきっかけは、きっと迎えるためだと思うの。……私たちの王を」


美冬は深刻な面持ちで、そう言う。

それを聞いた慎之介は、その言葉に何だか嫌な予感を覚えた。



「王っすか。まさか、そいつがこの世界を滅ぼすとか言うんじゃないっすよね?」

「……うん、その通りだよ、しんちゃん」


だから、最もそうであって欲しくないことを長池は口にしたのだが。

それに美冬が重々しく頷くのを見て、さすがにこれはヤバイ会話だと実感し始める。



「私たちの王はね、世界を司る12の根源、この世界で言う神から生まれるの。乱れきった世界を白紙に戻す。そのために……」

「つまり、何すか? そのとんでもない王だかなんだかが、この世界を白紙にしようとやってくるから。迎えるために、その魔精霊ってのは増えてるってことっすか?」


何で他人の世界を? とか。何で美冬がそんな事を知っているのか、とか。

それ以前に、話が大きすぎて自分だけで聞いていていい話ではないように思える慎之介である。


冗談っすよね? とばかりに長池は半笑いで言うも。

その王と言う存在に、何となく想像はついていた。


すなわちそれは、『パーフェクト・クライム』、とりとまの魔王。

地球が汚れきった世界を正すために送り込まれた存在なのではないかと。



「大正解、って言いたいところなんだけど……一つだけ、間違っているところがあるの。これからやってくるんじゃない……もう来ているの。私がしんちゃんに逃げようって言ったのも、王がやって来ているのに気づいたのも、心の奥で繋がっているしんちゃんの側でその存在を感じたから、なんだから」

「なん、なんだって?」


そして慎之介はそう言われて、ついには絶句した。

それはつまり、自分は既にその存在……『パーフェクト・クライム』に会っている、ということだからだ。



「ね、だから逃げよう? しんちゃんが願えば、私がこの世界じゃない遠い世界に連れて行ってあげられると思うから……」


そう言う美冬の瞳には、慎之介だけを一心に想っているのが分かった。


きっとおそらく。

美冬が言うように、慎之介がそれを真に願えばそれを美冬は叶えられるのだろう。

彼女はもともと、そう言う存在なのだから。



だが、しかし。

慎之介はそれでも首を、大きく横に振った。



「無理っすよ、もう。おれっちが真に願って、美冬さんが生まれたのとはわけが違うんす。馴染んだ、この世界。友達もたくさんいて、美冬さんとの思い出がたくさん詰まってる。この世界から逃げるなんてこと、おれっちは、真に願うことなんて……絶対にできない」

「そっか、そうだ、よね……」


美冬は慎之介の言葉に、諦めたかのように悲しげにそう呟く。


思えば、最初から分かっていたことなのかもしれない。

だからあんなにも、どうにもならなくて慌てたのだ。



「でもさ。その王とかいう奴。そいつを追い払って、世界を守ってやるってことなら、真に願えるんじゃないかって、そう思えるんすよ。だからこの願い、叶えてくれますか? おれっちだけの、サンタさん」


懐かしいのその名で呼ばれ、美冬が顔を上げれば。


懐かしく、それでいてまぶしいくらいの。

初めて会ったときの、純粋な笑顔がそこにある。




「うん、分かったよ……」


この笑顔を守るためならば、世界を敵にしたってかまわない。


ならば世界だって救えるはずだと。

気がつけば美冬も、慎之介と同じく。

運命の出会いをした頃の、懐かしく輝く笑顔になっていて……。




               (第95話につづく)







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