第十三章、『蝙蝠』

第95話、赤いうさぎ、ゴールデンに連れられて



―――信更安庭学園、私有地。





「ここは、街の中……どうして?」


阿海真澄は、わけの分からないままに辺りをきょろきょろと見回して、そうひとりごちる。


そこはもう夜の帳の降りた、真澄の知らない、記憶にないどこかの住宅街だった。

きっかりと一軒一軒がコンクリートの塀で区切られており、辺りに人の気配はなく。

いかにも閑静なベッドタウンとでも言うような他者を拒む闇と静寂が広がっている。



真澄はその場所で迷子にでもなったかのように立ちつくしながら、今までのことを思い返してみた。



確か自分は信更安庭学園の私有地にいて。

それまで一見ただの大きな犬だったツカサが急に襲いかかってきて、ひとのみされたと思ったら今の状態、である。



さてどうしたものかと考えつつも、真澄はあてもなく歩きだした。

それに確たる理由があるわけではない。

ただ、このまま立ち止まっているよりはいいと思っただけだ。


 


しばらく歩いていると。

夏の終わりが近づいているは思えない、まるで冬真っ只中のような冷風に巻かれ、真澄はくしゃみをした。



「何、これ? 寒いよ……あ、雪っ」


すると、それを証明するかのように。

ちらほらと真澄の白い髪に溶けて消えるような白い雪が、闇色に染まるアスファルトの通路、コンクリートの壁にちりばめられ広がっていく。


 

真澄がその時思い出したのは。

カナリの屋敷にたどり着く前に起こった、あのすべての始まりと終わりの雪だった。

もしかしてこれもカーヴの力なのかもと、思わず真澄が身を固くしていると。

その肩越しにふっと声が掛かった。



「ああ……そうだ。この記憶は冬真っ最中なんだ、その格好じゃ寒いかもしれないね」

「……え?」


真澄がその声に驚いて振り向く間に、ポンッと軽い音がして。

薄手の夜着のままだった真澄の肩に掛かるのは、薄桃色のコート。


驚き見開く視線の先には誰もいなく……いや、僅かに視線を下げると、そのコートよりもよっぽどあったかそうな栗色の毛皮に身を包んだ、普通サイズのゴールデンレトリバーがいた。



「……もしかして、ツカサ? しかもしゃべってる?」


おそるおそる、真澄がそう問いかけると。

器用にも頷いてみせるゴールデンレトリバー。



「そうだよ。今はこうして能力を発動しているから、見ての通り小さくなってるけど、この世界は僕の作り出したものだから、ある程度は融通が利くんだ。こうしてしゃべってみたり、真澄にコートを提供してみせたりね」



ファミリアであることは、うすうす感ずいてはいたのだが。

その語り口はとても流暢だった。


しかも、その声はどこかで聞いたような気がする。

真澄は、それがすぐにリアのものに似ていることに気づいた。



「きみはやっぱりリアのファミリアなの? それじゃあ今までのことも、今僕がここにいることも、リアの意志ってこと?」

「いきなり難しい事を聞くね。……まあ、少なくとも真澄を助けたことと、真澄に会って一緒にいたいと思っている部分に関しては、そうかな。それ以外のことは僕の意志さ」


言葉通りちょっとだけ難しい顔をしてみせたツカサは、尻尾を軽く振って近付くと。

リアと同じ青とも紫ともつかないつぶらな瞳で、真澄の次の問いを促すかのようにじっと見つめる。


小さくなったとはいえ、まだ真澄よりも明らかに大きな体躯をしているが。

その瞳には、さっきまでの怖い感じは微塵もない。

真澄はそれに心を許す形で、再び口を開いた。



「それ以外ってことは、この場所に連れてきたのもツカサの意志ってことだよね。これは異世? こんな所に連れてきて、ツカサは何を……ううん、僕に何をさせたいの?」


矢継ぎ早に、幾つかの疑問を投げかける真澄。

ここに来ても、その心に余裕はないらしい。


まあ、当然といえば当然かもしれないが……。

ツカサは少し苦笑をしてみせ、それに答えた。



「そうだな。それじゃあ順を追って説明していこうか。まず、ここが新たな異世かっていうと、答えはノーだよ。これ……この世界は、僕に与えられた能力の一つで、僕の体内に取り込まれた対象……この場合は真澄のことだけど、リアの記憶、体験したことを物質映像化して、体験してもらうものなんだ。思い切り簡単に言えばね」

「リアの……記憶」


真澄はそう言われ、ここに来る前に雅に言われた『何かをできるのは、あなただけなの』と言う言葉を思い出していた。

 


「うん。ま、本当は逆で、捕らえたものの記憶や思い出を第三者にご披露しちゃうっていう、はた迷惑な能力なんだけど、こういう使い方もできるって気づいたのは最近でね。……って、そんな裏話は後でいいか。それで僕が真澄に何をさせたいかってことなんだけど、一言で言うと、リアのことを知って欲しいんだよね」



その言葉は、主に対してのファミリアの言葉というよりも。

もっと別の何かに聞こえたが。

彼女のことを知るということならば、真澄にとっても興味深いところではあった。


リアは、何故自らの異世に閉じこもり、隔離されているのか。

その背にある翼は、なんなのか。

知りたくないと言えば嘘になるだろう。

 


だが、理由が分からなかった。


こんな大仰な仕掛けを使うことも。


その知る権利を自分に与えられていることも……。




               (第96話につづく)

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