第93話、うれしい猫、物語が始まる直前の舞台にお邪魔する


瀬華と法久が、そんな風に服屋を後にした頃。

若桜町、若桜高校では。

 

外界で起きていることなど、まるで無頓着であるかのように。

普通に授業が行われていた……。


ジョイは校舎の二階にある賢の教室を、その窓の外に立つ、銀杏の木の枝の上から猫のまま眺めつつ、授業が終わるのを待つことにしたのだが。

それにも既に限界がやってこようとしていた。


いわゆるお昼休みが終わって午後の授業の初めの一時間は、ジョイにとっては物珍しい風景というのもあったし、その授業をあのスキンヘッドの男……梨顔トランが教壇に立って教えているのもあって、やや緊張しながらそれを観察していたのだが。


何事もなくその授業が終わり、トランが去っていってしまったため、本来じっとしているのが苦手なジョイは、早くも退屈を持て余し始めたのである。



(うーん、何だか拍子抜けだなあ。さっきのつるつるの人の、すうがくの授業は面白かったけど、今のれきしの授業は知ってるのばかりでつまんないし)


何せ世界を知るために様々な本、文献を読み漁りことごとく吸収していったため、歴史、あるいは文学系の知識は豊富なジョイである。


この学校には普通の授業のほかに、カーヴ能力についての特別授業があるらしいのだが、これならそっちを見学しに言ったほうはまだ有意義な気がしてならなかった。


(きっと放課後まではケンもここから出ないだろうし、ちょっと探検でもしてみようかな)


あるいは、今は姿のないトラン……その動向を掴んでおくのも悪くない。

ジョイはそう思ったが早く、とととっと木を駆け下りると。

すぐに好奇心満載の瞳を輝かせて、あてもなく歩き出した。

 

 

そして。

まもなく辿り着いたのは、そう遠くない最近に建てられたらしい、赤い屋根の体育館だった。


ジョイはそこに近付いて、下方にある通風口から中を覗きこんでみる。

すると、いくつもの生徒らしき足元が見え、だんだんとボールの跳ねる音が響いてきた。


(ボール……なんだろう? ばすけかな、ばれーかなあ)


もっと良く見ようと、ジョイは体育館の入り口に回りこむ。

すると、タイミングよく開け放たれていた扉から白いボールが転がってきた。



(あ、ばれーぼーるだよね、これ)


実物を見たのは初めてだよ、とばかりにささっと駆け寄り、前足でつついていると。

そのボールを拾いにきたのか、どうやら染めているらしい、典型的な不良とも言えなくもない、金髪のボウズの一人の少年が走ってきた。



「ん、なんだぁ。金色だぞこの猫? ヘンな色してんな」

「……みゃん!」


人に向かって変とは失礼な、と抗議の声をあげるジョイであったが。

それは当然声にはならない。


「どっから来たんだお前?」


そんなジョイの行動が可笑しかったのか、少年はとたん人懐っこい笑みを浮かべしゃがみ込み、おもむろにその手のひらを差し出す。


握手かな? と思ったジョイが前足を差し出すと、少年は少し驚いた顔をした後、ジョイの前足を軽く握って上下に振ってくれた。

どうやら見た目とは違い、それほど悪い人ではないらしい。



「コウ! 何してんだっ。ボールないのかーっ」

「……あったよ、今行くって!」


と、授業の相棒らしき男子生徒の声がして、コウと呼ばれた少年はジョイの前足を離すと立ち上がり、ボールを片手の指二本で掴んで見せつつそのままきびすを返す。


ジョイが、すごいなーと思って見上げていると。

何を思ったのか、ふっと少年はジョイのほうへと振り返り……言った。

 


「お前、あんまりここにいないほうがいいぞ」

(……え?)


まるでジョイのことを知っているかのような少年……コウの物言いに。

ジョイははっとなってまじまじとコウを見返す。



「バカな生徒がよ、のらの餌付けを始めやがって、増えすぎちまって。まとめて保健所につれてかれてンだよ。それが今もねえとは言い切れねえし……って、オレは猫に何言ってんだろ……ったくっ」


だが、コウの言いたかったことはジョイの考えている考えているようなことではなかったらしい。

そのまま、なにやら聞き取りづらい自分への悪態を吐きつつ、体育館の中へと入っていくコウを見送って。

 

トリプクリップ班(チーム)のメンバーの一人にコウという人物がいたことを聞かされたのは、それからしばらくのことであった……。




                  ※




それから。中に入るわけにもいかず、ジョイがその場を離れてしばらく。

次にやってきたのは、校舎の裏手……菜園や焼却炉などがある、学内の中では比較的生活感滲む場所だった。



(うーん、ここには目を引きそうなものは、ないなぁ)


ここで何かを調べたり、トランの動向、あるいは目的を知るためには。

やはり校舎内に入らなければならないんだろう。


だが、もともと部外者であり猫である以上、それは大変リスクの伴うものでもあった。

仮に人型で侵入するにしても、生徒用の制服とかが必要になってくるだろう。



(でも。そんなのそこらへんに転がってるわけないしなぁ~)


それを探すにしても、どちらにしても中に入らなければならないんだから、本末転倒である。

しかも、人のものを取るなんて……ファミリアとしてどうなのかと思わないではなかったが。


ふと、その菜園のちょうど向かい、あまり大きな部屋ではないようだが、そこのすりガラスの窓が開け放たれているのにジョイは気づいた。



(うーん。何かくしゃみでしょうなニオイだ。あんまり入りたくなさそうな感じだけど、どうしよう)


それは、医療用のアルコールの匂いで、その部屋は保健室であったのだが。

ジョイはそんなこと分かるはずもなく。


入るべきか入らざるべきかうろうろとしていると。

突然がたん! とその部屋の中から何か倒れるような音がする。


何だろう? と思い、衝動を抑えきれなくなって。

それでも控えめに、ちょっと高い窓のサッシに飛び付き、顔だけ覗くように部屋の中をジョイは覗きこんだ。

  


(……あっ!)


すると、目の前に飛び込んできたのは。

男子の制服を着た、紺色のすだれ髪の少年が倒れ伏す姿だった。


何だかその様子が、倒れ伏す賢の姿と重なって。

ジョイは、助けなきゃ! と言う気持ちだけで人の姿に戻り、窓を乗り越えて部屋に入ると……



『―――言われなき罪背負いし子供たちよ。その瞳を閉じないで。全てを見届けよう。それはきっと力になる、この歌が命の糧となる……』

     

哲にして見せたように。

気づけばジョイは癒しの歌を口にしていて……。

 

 

 


 「……っ」


やがて目を覚ましたのか、意識を取り戻したのか。

ふるふると頭をふって、起き上がる少年。


(うわっ、まずいっ!)


そしてそこで、衝動的にとはいえやったことへの迂闊さに気づいたかのようにジョイは我に返ると、どうにかしなくちゃと慌てて机にあった赤ぶちの眼鏡とハンガーにかけてあった白衣を着込む。



「……」

「えっと、あははー」


焼け石に水だったかも、と思いつつも拙い変装を終えて。

愛想笑いを浮かべるジョイを、生真面目そうなきりっとした風貌ながらも……全く表情を変えないその少年は、観察するようにじっと見つめてくる。



(やっぱり駄目だよね。そりゃそうだよ、どうしよ?)


どうしても言い訳のしようがなくて、ジョイがおろおろしていると。

少年は何を考えているのか分からない表情で、何故か深々と頭を下げた。

 


「……失礼しました」


そして。何事もなかったかのように、スタスタと部屋を出て行ってしまう。



「うーんと、もしかして、ばれなかったのかな……」


よく分からない少年は、ジョイがここの主だと疑っていなかったようにも見えるし、分かっていて気を使ってくれているようにも見えなくはなかった。


まあ、結果的には倒れるほど具合が悪かったらしい彼を治したのはジョイなのだから、それはそれで良かったのかもしれないが……。


そう言えば名前くらい聞けばよかったと、自分の狼狽ぶりをジョイが悔やんでいると。

再びジョイが入ってきた窓の、反対側の入り口に、人の気配がした。

見ると、それは白衣を着た……あろうことか、ここの本物の主のようで。



(うわわわっ)


それを見たジョイは、ばばっと白衣を脱ぎ、自分で自分を褒めてやりたいほどのスピードで身につけたもの元の位置に戻すと。

ほうほうのていでその部屋を後にするのだった……。



                  ※



(うぅ~。あぶなかったー。やっぱり一人で中に入るのはやめとこ)


ジョイがそうぼやきながら次にやってきたのは。

蔦の生い茂るお立ち台にある、広場のような場所だった。


その場所は、生徒の憩いの場でもあるらしく。

いくつものテーブルや、ベンチが雑然に並んでいる。

 


(……ん?)


と、そのベンチ……白いペンキの塗られたものの一つに。

三つ編みで後ろに纏められクラシックショコラの髪がいかにも真面目そうな雰囲気を醸し出している、一人の女生徒が本を読みながら座っているのが分かった。



(こんなところで一人で何をしてるんだろう。授業はいいのかな?)


ジョイはそう思いまたしても興味を引かれてたたっとその女生徒に近付く。

すると、何かを考え込んでいるかのように、本の世界に入り込んでいるように見えたその女生徒は、もともとそれほど集中していなかったのか、ジョイの足音に気づいてふっと顔をあげた。

 


「あら。珍しい色の猫さんですわね? ポテチならありますけど、お食べになります?」


単純にさぼりで、ただの暇つぶしなのか。

そう言う女生徒の手には、プチサイズのポテトチップスが握られている。



「……にゃんっ!」


塩気のあるものはキライじゃないとばかりにジョイが一声なくと、お入用のサインだと受け取ったのか、女生徒はくすりと笑ってそっとその手を差し出してきた。


ジョイは、それをひょいっと掬い取るように一口でぱりぱりとかじる。



「猫さんって、お芋も食べるのですのね~」


女生徒は、それを見て感心するかのような声を上げ、そしてやはり退屈なのか、控えめにのびをしてみせる。


そしてそのままお昼寝でもしようかというまどろんだ雰囲気に、ジョイも感染されたかのように眠くなってきてしまった。

 


(あぁ~。そう言えばここ最近お昼寝してないなあ)

「くすっ。眠たそうですわね。それともわたくしの怠惰がうつったのかしら?」


そんなジョイを見た女生徒は、少し笑みをこぼすと、両手でジョイを手招く姿を見せる。


よかったら膝をお貸ししますよ?

つまりはそういうことらしい。

 


「みゃうん」


ジョイは躊躇わずにその女生徒の元へと飛び込む。

少し警戒心がなさ過ぎる気がしないでもないが。

ジョイとしては、その女生徒に危険を覚えることはなかったし、何より眠かったのもあるだろう。

 



「……古い慣わしというものは、とても面倒なんです。時々、自分が何をしたいのか、分からなくなります」

「……」


女生徒は、ジョイが落ち着いたのを確認すると。

誰にともなく、まるで子守唄であるかのように、そんな呟きを漏らした。

それはジョイに語りかけているようでいて、その実独り言のようなものなのかもしれなくて。



「明日、転入してくる娘がいて、本当は今日、ちょっとフライングで迎えに行っちゃおうなんて思ってたのですけどね。やめにしたんです。だって、気づいたんですもの、それが無意味だってことに……」

「……」


何を言いたいんだろう?

ジョイはそう思ったが、それと同時にやさしく髪を梳くように撫でられるので。

たまりに溜まった疲れもあったのか、どんどん眠気が強まり、その声すらもおぼろげになってきて……。



「どうせ死ぬのなら、何をしたってしょうがないって。そう思ったから……」


だから。

そんな女生徒の、感情が色を失ったような最後の一言は。


ジョイに届くことはなかったのだった……。



              (第94話につづく)





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