第295話、そこに美しい終わりがあるなら、ただ静かに去っていきたい
「くぁーっ、って怒る気にもならねぇ」
「……どうした。もう終わりか。これからアンコールだぞ」
「すましやがって、むかつくっ、マチカさん春女(はるみ)にも一発かましてやってくださいよっ」
「……っ」
シャギーの少女は、春女というらしい。
さすが夢。
うまいこと辻褄をあわせるもんだとマチカは感心する。
それまで完全に上位に立っていた神楽と呼ばれた少女の無茶ぶりに、びくりと縮こまる春女と呼ばれた少女。
そんなに怯えるほど自分は怖いのだろうか。
確かに、今までずっと権威をかさにきて押さえつけていた気がしたのは確かなんだろうけれど。
ずびしっ。
「……痛くない?」
不思議そうな顔。
マチカはそれに、一つ頷いて。
「手加減を覚えたのよ。貴い犠牲のおかげでね」
「ひ、ひいきだ~」
おそらく、その言葉の真意を二人が気づくことはないだろう。
何故なら彼女たちは夢だから。
縛られ生きているようで、その実鎖は存在しない。
一人マチカは現実を実感し、儚げに微笑む。
それが、図らずも妙に映ったらしい。
「マチカ、気分でも悪いの? なんかいつもと様子が……」
「……そう言えばさっきも演奏止まってた」
「そうですわっ。何でそんな事をしたのか、まだ聞いてませんことよ!」
口々に、マチカを心配するような声がかかる。
これが夢だと大声で宣言されていなければ、些細なことにも気にかけてくれるんだって、ただうれしい気持ちにもなれたのだろうが。
それが自分の夢……求めていたものの具現だと思うと、現実にそれがないみたいで、空しくなってくる。
一体この夢はどんな意図があるのだろう?
マチカはそう思わずにはいられない。
夢に溺れさせるのが罠ならば。
どうして夢だと自覚させる必要があるのだろうと。
「してやったりのサプライズよ。お客さんだってほんとに止まったかと思ってドキドキするでしょ?」
確かに居心地はいいし、いつかライブだってしてみたいとは思う。
メンバー内にも、これといって問題はなさそうで、理想だと言えよう。
だけど。
これが自分の一番望んでいる夢なのだろうか?
マチカはそう疑問に思う。
これを唯一無二の夢だというなら一つ欠けている。
【トリプクリップ】班(チーム)は四人揃って初めて、【トリプクリップ】班(チーム)なのだ。
それなのに、肝心の一人が足らない。
それは、これが虚構であるとはっきり思わせるほどの空虚だった。
「そ、そんなの聞いてませんわっ! 心臓まで止まるかと思ったじゃないですかっ、もうっ!」
「人を驚かすにはまず味方からって言うでしょ?」
「騙すには、だと思うけど」
目の前にいる奈緒子やオジョーには悪いけれど。
その欠けたピースは、当人でしか埋めることはできない。
いや、それを言うなら残りの二人だってそう変わらないだろう。
マチカの一番はここにはいない。
それが逆に白けるほどに、マチカを夢から醒めさせるのだ。
……だが。
その辺りのことは、しっかりフォローが利いていたらしい。
「サプライズにかけるつもりが、逆に仕掛けられたって落ちッスね」
「……こら、今話してしまったら意味がないだろう」
思わず口にしてしまったのだろう神楽の言葉。
それ以上口にするなと春女が肘を入れたが、もう遅かった。
「何? 何かあるの?」
嫌な予感。
話の流れ的に、嫌なことである筈がないのに。
どうしてかマチカはそう思って。
「まぁ、もう何となく予想つくだろうけどね。はいこれ、今すぐ着替えて。本物じゃないから、上に着るだけでいいから」
奈緒子に渡されたのは、売店で売っているグッズではなく。
白く、薄いレースの服だった。
まるでウェディングドレスの子供みたいだと、他人事のようにマチカは思って。
「あなたの婚約者、会場に呼んであるから。みんなの前で宣言してやりなさい。この方は私のものだと」
オジョーは、冗談でも何でもなく。
至極真面目にそんな事を言う。
「そんな、どうして……」
マチカは、服を受け取ったまま呆然とするしかなかった。
そこまできてようやく。
この夢というものの怖さを思い知った。
「どうしてって。決まってるじゃないですか。あいつがマチカ様を選んだって、諦めてないヤツラは大勢いるんスからね。それぐらいしないと、しめしつかないんスよ」
「……その諦めてない一人がよく言う」
「その言葉そのまま返すぜ、春女ちゃん」
「……」
無言。
ある意味想定内のやり取り。
だけど言っていることが余りに非現実すぎて頭が回らなかった。
それは、あり得ないはずのことだ。
自分の想い人に想いを寄せるだろう人がたくさんいるのは分かっていた。
自分が彼女たちに対してライバルにすらなれてないだろうことも。
何故ならマチカは、その気持ちを表に出すことを一切しなかったからだ。
むしろ嫌っている風に見せていたかもしれない。
誰にも気づかれることなく。
ひっそりと想っているだけでよかったのに。
これは一体何なのだ?
何故、叶える気のない心の奥先にある一番の夢を、この世界は、この能力者は知っているのだろう?
マチカは怖かった。
確実に何人もの人を悲しませ傷つけるだろう、目の前のこの夢が。
「ウチラは先に行って会場を暖めておきます。頃合いになったら来てください」
茫然自失しているマチカは。
いつの間にか自分がドレスを着ていることに気づかない。
バンドのメンバーたちは、そんなマチカより先に部屋を出ていく。
まるで、これからの選択は自分でしろ、とでも言わんばかりに。
そこには、マチカが一人だけ残されて。
周りのかしましさがなくなると。
部屋越しから、地鳴りのようにアンコールと拍手の音が響いてくるのが分かる。
マチカはそれに呼ばれ、吸い込まれるようにして立ち上がった。
ふらふらとおぼつかない足取りで、部屋を出る。
そこは、暗くて細長い廊下だった。
左右から二つ、白い光がリノリウムの地面に走っている。
右から届いてくるのは、マチカを呼び続け連なる拍手と言葉たち。
左からは何もない。
何も聞こえない。
だからこそ、その先に何があるのか……余計に気にかかる。
「……」
マチカが逡巡したのは意外にも一瞬だった。
これは夢なのだから。
叶わない夢が一体どんなものだろうと、見てみようと思ったのだ。
ゆっくりとした足取りで、マチカは呼ぶ声の方へと歩き出す。
おぼつかなかった足取りも、一歩一歩進む度に冷静さを取り戻してゆくのを理解しながら。
四角くくり貫かれた光。
それはマチカには余りにまぶしい光だった。
瞳をすぼめながら、それでも躊躇いなくその縁へと足を踏み出す。
開け白けた目の前には。
マチカの想像通りの光景が広がっていた。
想像通りの、最高で最低な光景が。
爆発するほどの喝采で迎えてくれる観客。
飾ることのないまっさらな笑顔で讃えてくれる仲間たち。
その手に大きな花束を持ち、お気に入りのはにかんだ表情を見せてくれる、一番大好きな人の姿。
何隠すことなくはっきりと見え、そこに在る。
なんてベタな。
マチカは、思わず腹を抱えて笑いたい気分になった。
これが自分の夢であるというならば。
なんて身の丈に合わぬ、乙女チックな夢なのだろうと。
そんなマチカに動じることなく。
大好きな人はその両手を広げる。
この胸に飛び込んでこいと言わんばかりに。
それは。
その瞬間こそが、マチカにとっての夢のごとき願いがなんであるのか悟った瞬間だった。
マチカ、そのことに深く感謝する。
だから。
向けられる素敵な笑顔たちに負けないくらいの笑みを浮かべ、叫ぶのだ。
「ありがとう、ごめんなさい!!」
気づかせてくれて。
幸せをないがしろにする自分に対して。
理由は心内だけに秘めて。
深く深く頭を下げて。
何らかのリアクションが返ってくるよりも早く、マチカはくるりと向き直って駆け出す。
その表情に浮かぶのは持て余した変わらずの笑顔だった。
自分の本当の夢をこれでもかと自覚して。
マチカはどうしようもなく恥ずかしくなったのだ。
その夢は、背を向けたその先に広がるステレオタイプなものではなく。
それに背を向けて走る、今だった。
自ら無様な結末を選んで。
不幸に浸かって。
そのことに悲しみに暮れる自分。
悲しみに酔う自分。
全く歯が立たなかったライバルに。
悲しみをおくびにも出さずに不遜に言うのだ。
おめでとうと。
悲しくて情けないのに。
そんな自分がかわいくてかっこいいと思っている。
夢と言うより病気なのかもしれない。
たぶん、それを言い表す名前はたくさんあるのだろうけれど。
それこそが夢なのだと。
マチカは信じる。
笑いものにされ後ろ指さされようとも、気づかぬままで。
案の定。
そんなマチカを引き留めるものは現れない。
そうでしょうとも。
マチカはそう満足げに頷いて。
再び走り出す。
さっき選ばなかった、反対の道を。
おいしいものは後にとっておく性格と。
目指す正解の道ではない、行き止まりだと分かっている宝箱部屋から向かうその癖を。
改めて深く自覚しながら。
白けた光へと飛び込むのだ。
おそらくはマチカの大好きなままならない現実がある、その先へと……。
(第296話につづく)
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