第三十七章、『まほろば~Love.too Death. too~』
第294話、まどろみの中で見た幸せな夢は……
―――桜枝マチカは、夢を見ていた。
赤い法久が宣言した通りに、『LEMU』と呼ばれる異世、未知を表す場所で。
それは……夢だと理解した上で見る夢だ。
無機質な鉄の箱のフロア。
足を踏み入れた瞬間、アジールの混じった白い煙に巻かれて。
その途端視界が劇的に変わる様を、はっきりと目にしていたのだから。
白い煙が去ると。
変わったその場は、えも言われぬ静けさに包まれていることをマチカは理解する。
それは、砂漠にたった一人取り残されたような孤独による静寂などとは一線を画す。
事実、息をのんで見守る、数千、数万にも及ぶ視線がマチカを突き刺していた。
だが、それは決して攻撃的なものではなかった。
期待、驚き、不安。
待ち焦がれ打ち震え、終わりが近いことに切なさを覚えるもの。
マチカは知っている。
これほどの数を受け止めたことはなかったけれど。
それは、自分の生きる力になるものたちの瞳だ。
自分を応援してくれる、ファンの瞳。
これがどんな夢であるのか。
マチカが理解したのはまさにその瞬間で。
ひぃんと。
静寂破るハウリングの音。
金属の歌声だ。
耳元にあるほどに近い。
「……っ!」
事実、それは耳元、マチカのごく近くにあった。
黄金映える、六枚の花びら。
マチカに、向けられている。
過去とも呼べぬ時の失敗を思い出したマチカは、僅かに身をすくませたが。
六花を扱うその人は、マチカが想像していた人と180度違っていた。
知らない少女だ。
ブロンドのツインテールが、やんごとなき身分を主張するみたいにぐるぐると前衛的に螺旋を描いている。
その瞳に映えるは、ターコイズの輝石。
「……っ!」
無言のプレッシャー。
可愛らしく頬を膨らませている。
本人からすれば、滅茶苦茶焦って怒ってるつもりなのかもしれないが。
背が小さいのか上目遣いなところもあってむしろ泣きそうにも見えてしまう。
一体何に?
考えていた時間は、きっと刹那のものであったに違いない。
手のひら指の先に熱気のこもった金属の感触。
マチカは手にしていた。
少女の持つ金の六花と対をなす銀の花を。
たとえるならそれは糸瓜の花だ。
真円を形作る弁が少女に向けられている。
相対し、世界を共有するように。
一旦それを理解してしまうと。
停滞から外れるのは造作もないことだった。
やきもきと心臓が止まる思いをさせてしまっただろう目の前の少女に、
マチカは尊大で優しげに微笑む。
少女はそれに安堵とともにさらにむっと頬を膨らませて。
一時停止をしていた世界が動き出したのは……まさにその瞬間だった。
音の爆発。
無遠慮で際限のない、しかし整いすぎるほどに緻密なそれは、精緻なハーモニーを奏でその場を支配する。
聞くものの耳を、自己陶酔の世界へと誘う。
むろん、マチカはそれの使い方を知らない。
憧れてはいたが、どちらかと言えば自分が演ることは否定的だったようにも思えたけれど。
これは夢だから。
細かいことは抜きにして。
マチカの思うままに音は流れる。
マチカの意志を越えて、強引に進化してゆく。
精緻に重なり変化する音は、無秩序な膨大を止めようとはしなかった。
どんどんと大きくなってマチカを食らおうとする。
対するように……スウィングする。
じゃじゃ馬をならすように。
その身に秘めた獰猛な魔物を落ち着かせるように。
すると狭まっていた視界が一気に広がる。
舞台の上……そう、そこは夢らしく憧れの舞台の上だ。
意識失うほどに、焼き付けるライトがまぶしい。
その七色の舞台には、目の前の見知らぬ少女とマチカ以外にも演者がいた。
三人の少女。
きっと、酸いも甘いも一緒に噛みしめてきたかけがえのない仲間で親友たちなのだろう。
おそらく、目の前の少女もそれは同じで。
できすぎていて逆に違和感のある世界に、自然とマチカの顔に笑みかこぼれた。
面白おかしくて。
それにすら、囲む視線は踊る。
歓声とともに盛り上がる。
たぶん夢の中のマチカは、この今感じている熱く燃えたぎるような高揚感など慣れたものなのかもしれない。
だが、現実のマチカにとってそれは新鮮で、大きな驚きでもあった。
自分にはいいわけじみた情けない結末を嘆くのが似合う。
そう思っていた部分があったのに。
消えることなど忘れて燃え続けるような。
論理的で落ちることのない、単純に喜びと楽しさを表現するような。
そんな自分も確かに存在していたことに。
一度死んで生まれ変わるような感覚を覚えていたのだ。
それは、最高の気分だった。
本当は惨めな負け犬の自分が好きなのに。
その熱気は、それすらも忘れさせるようで……。
それを助長するかのような、割れんばかりの拍手。
熱に浮かされ、曲が終わったのにも気づかずぼぅとしていると、マチカは真横から小突かれた。
とっととはけろ。
言葉は発せずに、おかんむりなままもかわいらしさしか増長しない少女が促す。
これからアンコールか。
マチカは漠然と、そう理解して。
意味がないようで大いにある締めの為にと、マチカは舞台袖に引っ込んだわけだが。
「もう、なんですのあれは! アドリブはよしなさいと何度も言ったでしょう! しかもあんな演技までして! 本気であなたが弾けなくなったかと心配してしまったじゃありませんかっ!」
控え室らしき場所に戻ってきてすぐ。
今まで溜まっていたのをようやく吐き出せたことに喜びを感じているかのごとく。
少女が激しく憤慨して肩をいからせている。
だが、そのキッチュでポップな容姿のせいか、いまいち迫力のようなものが存在していなかった。
むしろ、ライブ後でへとへとらしく汗だくで覇気がないから、マチカの方が心配になってしまうほどだ。
「……えっと、ごめんなさい。あんまり怒らないで。あなた今にも倒れそうよ?」
この夢は、自分に一体何をさせたいのだろう?
そんな風に冷静でいる自分がいることも自覚しつつ。
マチカはテーブルにあったタオルで額に流れる汗を拭ってやった。
「あ、ありがと」
初めは、されるがままでおとなしかった少女だったけれど。
「って! そんな事でこのわたし往生地蘭(おうじょうち・らん)がだませると思うのは大間違いですわよ! 何ですかさっきの間は!もう少しで放送事故になるところだったじゃありませんか! CDの録音班もお越しになっているというのに、あんな無茶をしてっ!」
ご都合主義で自己紹介までしてくれて、さらにさっきあったことを事細かに説明してくれる少女。
ぜえぜえと肩で息をしている。
「まだアンコールがあるんでしょう? お嬢チランさん? あまり無理しない方が……」
「変なとこで名前を切らないでくださいますっ!」
「ご、ごめんなさい」
早口だからどこで区切るかなんか分からなかった、とは言えず。
結構気にしているのか、泣き顔になるのが申し訳なくて、真摯にマチカは頭を下げる。
「おお。マチカさまが二度もオジョーに謝ってる。何だ、隕石でも降ってきやがりますか?」
と。
そこに声をかけてきたのは、見た目が少し斜めの入った、長い長いスカートが似合いそうな少女だった。
聞き覚えのある雰囲気とその声。
まさしくお化けでも見るみたいにはっとなって視線を向けると。
「あ、いやっ、冗談ですって! そんな怒らないでくださいマチカさんっ!」
たたくのはやめてください! とばかりに両手で顔を覆って縮こまっている。
確かに、簡単に頭を下げるようなキャラではなかったのかもしれないけれど。
「にぎゃっ!」
一体普段からどんな目で見られていたのだろうかと、反射的に手が延びていた。
おろそかになっていたわき腹にずびしと。
すると、どう見ても誰かを連想させる似非不良少女は、変な声を発して転げ回った。
「少しやりすぎたかしら」
ついいつもの調子で突っ込んでしまった。
「つ、ついに正体を現しましたわねっ!」
たぶん。目の前の光景がショッキングだったんだろう。
さっきまでの勢いはどこへやら。
ガクガクとおびえている、オジョーと呼ばれた少女。
見た目はあれだけど、悪役にはとうてい向かなそうだな。
何となくマチカはそんな事を思って。
開かれる扉。
残りのメンバーの二人が、着替え用の販売シャツを持ってやってくる。
そして、そのうちの一人が惨状を見て。
「ちょっとマチカ、オジョーも。まだ終わりじゃないんだから遊んでないでよ。ほら、神楽(かぐら)も転がってないで」
まるで世話焼きのお母さんみたいに。
一つため息をつくと、悶えている少女を抱き起こしたのは、何のひねりもなく、そのままの奈緒子に見えた。
近くにいたから夢に出てきたのだろうか。
単純にそう思ったマチカであったが。
奈緒子とともに音楽をしているという目の前の夢は、違和感なく受け入れることができた。
かつて、ある意味尖っていたマチカに対して真っ先に噛みついて見せたのは彼女だったから。
言われるままに従うだけの有象無象ではなかったから。
「うぅ、もうだめっス……」
冗談なのか本気なのか。
泣き顔の少女は、奈緒子によると神楽と言うらしい。
そう来るんだと、マチカは思わず笑みをこぼす。
「ごめんなさい。あまりにも隙だらけだったから」
「説得力ないすよ。満面の笑みじゃ……・」
脱力。
以外と余裕ないらしい。
ライブでのアクションで疲労がピークなのだろう。
一旦は起き上がったけど、またしゃがみ込んでしまう。
「……這い蹲る、お似合い」
と、そこに。
含み笑いとともにそんな言葉を浴びせかけるものがいる。
それは、奈緒子とともにやってきたシャギーな髪で顔半分を隠した少女だった。
ライブ中にも視線交わしていたのだから分かってはいたのだが。
彼女は自分だ。
もう一人の自分、分身。
神楽と言う少女と同じく。
決して切り離せない二人。
とはいえ現実のものとは例えるなら188度くらい違うようで。
雰囲気はあるが、余りにはまりすぎていて笑いを堪えられなくなるマチカがそこにいて……。
(第295話につづく)
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