第296話、ごめんなさいとありがとうが言えなかった似た者同士



仁子と奈緒子が創り出した幻想たちとの戦いは。

現時点でその優劣は火を見るより明らかだった。



「ぐぅっ!」


氷点下を伴ったシーヴァの寒風。

満身創痍の仁子はなすすべなく弾かれ、大地を滑り鉄壁に叩きつけられる。

すぐに起きあがろうとするも、風は地面から這い上がるようにして凍り付き、仁子を押さえつけようとする。



「積み、だな」

「けっ、なんでい。もう終わりか……」


鼻を鳴らすシーヴァ。

つまらなそうな、カンネの呟き。



「……っ!」


仁子は二人の言葉に反発するみたいに勢いをつけた。

皮膚が破れ取られようとも構わぬ、そんな勢いで。


だが、それを制したのはリョウだった。

仁子の首元にヌンチャクを添える形で。



「もう、いいだろ。あんたはよくやったよ」


勘弁してくれ。

そんな雰囲気のリョウ。

だが仁子は、それにも首を振った。



「よくないって。あなたたちの主が言ってる」


一度は仁子が破壊したはずの本。

それは、いつの間にかほとんどその原型を取り戻していた。

荒い息をつき焦点を濁しながらも、彼女は諦めていないのだ。



「だっ!」

「ちぃっ!?」


三人の意識が、奈緒子に向いたその一瞬だ。

仁子は自信の腕を賭し、胸に抱えていた牙撃を払うようにしてまとわりつく氷を砕いた。

そしてそのまま、下から突き上げるようにしてリョウのヌンチャクを押し退ける。


飛び散る鮮血。

驚愕に引くリョウ。

珍しいものが見れたことに仁子は苦笑を浮かべ、再び間合いを取る。


だが、いよいよ無茶をし過ぎたらしい。

仁子は立つこともままならず、ひざを突く。



「馬鹿者! 油断するなと言ったであろう!」

「うるせえ! そんな事分かってるんだよ!」


シーヴァもリョウも慌てていた。

仁子がそれだけの示威を現したからこそであるが、仁子からすればそれはどうにも滑稽なものにしか思えなくて。



「……そうこなくちゃな。立てよ。決着をつけてやる」


ありのままというか。

一人ぶれなかったのはカンネだった。

斬首刀を水平にした独特の構えで前に出る。


本気の構えだ。

敵は一人だというのに、とっておきの構えをしている。


それがなんだか嬉しくて。

仁子は素直に立ち上がった。



「てめえ、どうにもやりずれえと思ったら……オレたちのことを知ってやがるな」


不敵で、でも同じように嬉しそうなカンネ。


「当たり前でしょ。私が知ってるくらいの有名人だもの」


カンネがこれから繰り出そうとしている必殺の一撃がどんなものであるのか。

どんな動きをし、どんな強みと弱みがあるのか。


仁子は知っている。

それは、奈緒子の能力の二つ目の致命的な弱点だろう。


カンネのとっておきは精度が低い。

早さははあるが、早すぎて急激な動きにはついていけないのだ。

一対多には向くがタイマンには弱い。


本人の性格からして納得いかないだろう力。

それでも座っていれば的になるだろう。

仁子に残された道は、それを何とかかわして、その後に賭けることだけだった。



「なるほど。それならそれで好都合。」


だが、そんな目算をしていた仁子をあざ笑うように、シーヴァが冷酷な笑みを浮かべた。

手に持つ黒羽扇で、その表情を半ば隠すように。



「知ってるなら……オレたちの友情パワーの凄さも身に沁みてるってか」


ヌンチャクを肩に掛け腰を深く落として、リョウが悲しげに呟く。



「……」


三人同時での渾身。

なまじ知っているからこそ分かる。

今の一言は失言であったと、仁子は気付く。


彼らは恐れている。

おそらくは、仁子以上に。

仁子を驚異として認識している。


故に余裕がなくなったのだろう。

確実にしとめる気だ。

いよいよ追いつめられたという事を、仁子は理解して。



「っ!」


策も何もなく、仁子は走り出した。

奈緒子の元へ。


奈緒子を倒す。

もうそれしかないのは、分かっていたから。



「同じ事が二度通じると思うのか?」

「なっ!?」


驚愕。

足下に、青白く光る呪印が現れている。

それは、確かにシーヴァの力だが。


想定していたとっておきではなかった。

まさか、知っていることを把握した上でミスリードを誘うとは思わなかった。

肌で触れて初めて分かる、いにしえの英知。


実感したその瞬間、暴力的な氷風が真横から仁子を襲う。

それは風であるはずなのに、ダンプにはねられるがごとき衝撃があった。


「かっ……!」


吐き出す息さえ凍る。

全身が氷にでもなったみたいに、ひび割れていくような感覚。

そのまま弾き飛ばされ叩きつけられ、転がる仁子。



「それでも得物は手放さねえ、か」


カンネの呟きは、もはや賞賛だ。

だが、仁子にはそれに答えるずくは残っていなかった。

寒風から、無意識のままに庇った牙撃を、引き寄せることしかできない。



「……あんたすげえよ。うちらの世界にいても、きっと英雄になれたと思う」


倒れ伏す仁子に近づき、見下ろしながらのリョウの言葉。

それは仁子にとってはとても嬉しいものではあったが。


仁子の耳には届いていなかった。

仁子は牙撃を、トゥエルだけを見ていた。


まだ、できるのにしていないことがあるから。

変なプライドにかまけて、言うべき言葉を口にしていなかったから。


仁子はトゥエルを引き寄せ、額を触れさせる。

冷たいかと思ったその感触は、しかし人肌のように暖かかった。


むしろ、熱いくらいだ。

きっと、歯を食いしばって我慢していたんだろう。



頑固な子。

全く、いったい誰に似たのやらと。

仁子は思わずにはいられない。

そしてすぐに気づくのだ。

何だ私じゃないかって。



「……ごめんなさい」


仁子は、かすれた声で呟く。

本当はすぐにでも助けたいのに。

本当は今すぐ助けてもらいたいのに。


お互い頑固だったから。

ずっと言えなかった言葉だ。


示す選択に全て従うのならば。

ただの敵を屠る為の道具にでもなる。

人に頼ることができない仁子が、望むままの姿に。

それがトゥエルの、条件だった。


なのに仁子は、その約束を破ってしまった。

今の今までそんな自分は悪くないと、ずっと意地を張っていた。


一人じゃ何にもできないなんて恥ずかしくて口にできなかったのだ。

こんな風に、どうしようもないほどに追い込まれるまで。

全く、困ったものだと仁子は自身で強く思う。



「ごめんなさい。……私が悪かったわ」

「……」


真摯に。

なりふり構わず。

どうせ死ぬのならば。

自分を曝け出したっていい。


だから仁子は口にする。

今まで口にできなかったその言葉を。

トゥエルはそれに、心臓脈打つように反応して。




「リョウ!」

「分かってるっつの!」


あがく仁子に、本能的な危機を感じたのかもしれない。

叫ぶシーヴァに最後までやりにくそうに、リョウがヌンチャクを振り上げる。


仁子は、そんなリョウを見ていなかった。

ただ、トゥエルだけを見ていて。



「私が悪かったから! 助けてよ、トゥエルっ!!」


ついには、そう叫んだのだ。

普段だったら絶対に言えない、だけど言わなくちゃいけないことを。

そんな仁子の勇気に答えるように。




その瞬間。

今まで頑固にも我慢していたものを吐き出すみたいに。

トゥエルはまばゆい光を発した。



「くそっ!」


目も眩む光の奔流に押されつつも、ヌンチャクを振り抜くリョウ。

固い……地面の抉れる手応え。


かわされた。

リョウはそれにぞっとしたものを覚え間合いを取ろうとしたけれど。


気づいたときにはもう、遅かった。



猛るのは炎。

ただ掴んでいるのではなく、ようやくにして一つとなった仁子の腕……青く光輝くトゥエルから発せられている。



―――【代仁聖天】セカンド、アドジャッジセブン。


その一翼、【傲慢】のインガノック。

赤炎……地獄の業火をも彷彿させるそれが、今ここでトゥエルが示した答えだ。



考えてみれば単純なことではあるが。

紙媒体の彼らにとってそれこそが最大の弱点なのだろう。

堕ちた天使を示すねじくれた角のように、螺旋描きし炎は、無慈悲に彼らを包み焦がす。



「ば、ばかな……これほどの力を残していたとはっ」

「畜生っっ!」

「だからやだったんだよなぁ……」



力ある彼らは悟る。

それが、耐えうるものでないことを。

だからこそ、彼らは自分ができることをするのだ。

その身を盾にするようにと、奈緒子の前に。


トゥエルがいなければ。

仁子は刃を向けるのを躊躇っていただろう。



迷い。

生きることは迷いの連続だ。


選ばざる岐路に立たされた時。

どちらの選択が正しいのかなんて、本当は誰にも分からないのかもしれない。


それでもトゥエルは一方を示す。

迷いなく。

結果として起こる事象に対して。


全ての責を負うがごとく。

その身を犠牲にするがごとく。

まさしく、目の前にいる三人のように。


―――躊躇わず進め!


そう叫ぶのだ。




「やぁあああああっ!!」


だから仁子はそれに答える。

伸びゆく動きで、体を前に疾らせる。

ぐんと腕を突きだし、轟く炎を叩きつける。



それは。

勝負を決める、凄まじい一撃だった。

牙撃の先端は串刺すものではなく、ひと思いに焼き付くす六花だ。


それはトゥエルなりの計らいだったんだろう。

視界を覆い隠すようにした花びらは、一時仁子を現実から目を逸らさせる。


その心意気に。

力が抜けたわけではないだろうが。


仁子自身も、一撃の衝撃に引っ張られるようにして倒れた。

もはやとっくの昔に彼女は限界であって。


そんな彼女を支えていたのは、負けず嫌いのプライドと。

トゥエルの力に対する期待で持っているようなものだった。



「……っ」


でもまだ終わりじゃない。

炎が幻想たちを焼き、本を焼いただろう結果は出ている。


それでもまだ分からないこと。

それは、奈緒子の戦意だ。


幻想たちがその役目をとくと果たしたのならば。

その炎が奈緒子の命まで奪うことはないだろう事は、トゥエルと仁子の総意でもあり、選択して示された結果だった。


後は、その炎が奈緒子の意志まで燃やし尽くしたか、で……。



            (第297話につづく)







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